第50話「前夜祭」
ソフィの瞳は両眼とも『真実の瞳』と呼ばれる力が宿っている。歴代の大司教でも両眼とも『真実の瞳』の人物は、数えるほどしか確認されていない。ソフィの祖父カトラス・エス・アルカディアも右目だけだった。
『真実の瞳』は物事の真贋を視覚的に見極めることができる能力で、ソフィはこの力で懲らしめた相手が改心しているかを見極めている。故に彼女にはアルバートの言葉が真実かどうかがわかっていた。
どうやら目の前の青年は、本当にソフィと友人になりたいと思っているらしく、ソフィたちの旅の話を楽しそうに聞いている。
「あははは、そんな事がっ! それは愉快な旅路だったようだね。ソフィ」
「愉快と言われても色々大変だったんですが……そんなに面白かったですか?」
楽しそうに笑うアルバートに、ソフィは苦笑いを浮かべながら首を傾げた。
「あぁ、とても面白い。とりあえずわかったのは、君を怒らせるのはやめておこうと言う教訓だね」
おどけた様子でウインクをするアルバートに、『真実の瞳』を使わなくても冗談だとわかる態度だった。幼い頃から白き聖女として崇められてきたソフィには、このような気さくな友人関係の構築が難しかったこともあり、何とも言えない気恥ずかしさがあった。
ソフィは自分の話は終わりとばかりに頷くと、彼のことも尋ねてみることにした。自分でも不思議だったが、この変わった青年に少し興味が出てきたのだ。
「私のことかい? 君のような楽しい話はないと思うけどね。そうだな……」
アルバートは現在二十一歳、先代公爵の嫡男として生まれ、他の兄妹は妹が一人いる。現皇帝から見て甥にあたる。十五歳に初陣を飾って以来、負けたことが無いほどの戦術家でもあり、剣術の腕もかなりのものと自慢げに語ってくれた。
「確か閣下は、北の若獅子と呼ばれていたような?」
話を聞いていたイサラが思い出したように呟くと、アルバートは少し照れたように苦笑いをする。
「あはは、戦場以外で面と向かって言われると少し照れるね」
恥ずかしそうに頭を掻くアルバートに、ソフィも一緒になって笑っていた。そんな風に会話を楽しんでいると、扉がノックされ外から男性の声で
「旦那様、そろそろお時間ですが……」
と聞こえてきた。その言葉にアルバートがハッと顔を上げて時計を見ると、少し眉を上げながら首を横に振った。
「もうこんな時間か……すまない、ソフィ。前夜祭の準備があるので、ここで失礼させていただくよ。君たちはここで待っていてくれればいい。また後で会おう」
アルバートはそう告げると部屋を後にした。ソフィは彼が出ていった扉を見つめながら呟く。
「不思議な人でしたね」
◇◇◆◇◇
しばらくしてメイドがソフィたちを呼びにきたので、ソフィたちは応接室を後にした。メイドに付いて行くと中庭に通され、そこがパーティー会場が出来ていた。大きな庭園に長テーブルがいくつも運びこまれており、その上には溢れんばかりの料理が置かれている。
周辺には貴族や騎士ばかりではなく、使用人たちも一緒に談笑している。テーブルには給仕がいるが、交代制だと案内役のメイドが教えてくれた。
立食形式で貴族や使用人たちが一緒に楽しんでる姿は、ソフィにはとても新鮮に映っていた。そして帝都で毎晩付き合わされていた豪華な晩餐会を思い出しては、自嘲気味に笑って首を振りながらその記憶をかき消す。
「こちらで、しばらくお待ちください」
メイドはそう告げると、カーテシーをして持ち場に戻っていった。ソフィがキョロキョロと見回していると、ある一角から歓声があがった。そちらに目を向けるとアルバートが白と赤を基調にした服に着替えて現われたところだった。
アルバートは笑顔で手を振りながらステージに立つと、観衆に向かって挨拶を始めた。
「紳士淑女の皆さん、今日はリントの前夜祭だ。今宵ばかりは身分を忘れ、皆で楽しんで貰いたいっ!」
アルバートの宣言に、会場は盛大な拍手でそれに答えた。前夜祭が始まると、それぞれが入り乱れて談笑を始める。アルバートはステージ上からソフィを発見すると、笑顔で手を振りながら近付いてきたが、途中で貴族の令嬢と思われる女性たちに囲まれてしまっていた。
ソフィはそんな様子を見てから、イサラのほうを振り向くと
「先生、それじゃ私たちも何か食べましょうか」
「……公爵閣下が何か用があったみたいですが、よろしいのですか?」
「えぇ、なにやら女性に囲まれて忙しいようですし」
ソフィはそう言いながら料理を見繕いに、長テーブルの方に向かったのだった。しかし結局ソフィも取り囲まれてしまう。
大司教としてのソフィに顔を覚えて貰いたい貴族、ソフィの美しい顔に惹かれて寄ってくる若い騎士、シルフィート教徒として一言でも話したい信者など理由は様々だったが、とにかくソフィと話したい者が寄ってくるのだ。
ソフィは邪険にしたりせず、その一人一人に対して笑顔で対応していく。しかし次から次へと人が来るため、まともに食事が取れず徐々にお腹が減ってきていた。無敵の永続回復も空腹には効果がないのだ。
今も太った伯爵がソフィに対して長々と自慢話をしている。挙句の果てに自分の息子の嫁になどと言い出して、ソフィも乾いた笑いが出始めていた。さすがに見かねたイサラが、スッと間に割って入る。
「猊下、あちらで公爵閣下が呼んでいましたよ」
「えっ? そうですか……それでは伯爵、失礼させていただきます」
ソフィは微笑みながらお辞儀をすると、太った伯爵は残念そうな顔で頷く。
「むぅ……閣下のお呼びとあらば仕方ありませんなぁ。おや、貴女もお美しいですな。良ければ私の息子の……」
今度はイサラが捕まってしまったが、あまりの節操なしにソフィは苦笑いを浮かべながら、その場を後にした。
人混みから避けて、柱の影に隠れたソフィは深くため息を付く。体力的には消耗しないソフィでも、精神的に負担がかかると疲れた気分になるのだ。
「……お腹空いたな」
イサラの機転で抜け出して隠れてはみたが、食事を手に入れるのは戻らなければならず、戻ればまた取り囲まれるので動けなかった。この場にマリアがいれば、彼女に持って来てもらうのだが残念ながら留守番中である。
「良ければこちらをどうぞ、美しいお嬢さん」
「あっ、ありがとうございます……えっ?」
突然差し出された料理が乗った皿を受け取りながら、顔を上げてその人物の顔に驚いた表情を浮かべた。皿を差し出してきたのは少し疲れた顔をした、アルバートだったからである。彼はスッとソフィの隣に入ると
「大変そうだったね、ソフィ。私もここに隠れさせて貰ってもいいかな? お嬢さんたちが、なかなかしつこくてね。食事を取る暇すらない」
「ふふ……しつこいだなんて、あんなに慕われてますのに可哀想ですよ」
ソフィは少し笑いながら、受け取った料理を食べ始める。アルバートも一緒になって皿から取って口に放り込む。その様子はとても公爵には見えなかったが、戦場で生きてきた彼に取っては普通のことだった。
「君も大人気だったね、伯父上が嫌がるのも頷けるかな。まぁ相変わらず器が小さいなとは思うけどね」
「アル様、陛下に対して不敬ですよ。誰かに聞かれたら大変です」
ソフィに窘められると、アルバートはおどけた様子で肩を竦めた。それから食事を分け合いながら少し話したあと、アルバートがチラっと会場を覗き込むと、予想通り貴族の令嬢たちがアルバートを捜してウロウロしている。
アルバートは小さくため息を付いて苦笑いを浮かべる。
「さて、そろそろ戻ろうかな……主催者がいつまでも席を空けるわけにはいかないからね。正直彼女たちに囲まれるぐらいなら、戦場で敵に囲まれていたほうがいくらか気楽なんだがね」
『真実の瞳』が反応しないところをみると、どうやら本心で言っているようだった。ソフィは呆れた様子で首を横に振る。
「いけませんよ。女性にそんなことを言っては……」
「あははは、それじゃ戻るよ。またね、ソフィ」
「はい、アル様。私もそろそろ戻ります」
二人は微笑みながら視線を交わすと、そのまま会場の方に戻っていく。そして、そんな二人を見つめる小さな影があった。




