第42話「シハレの町」
元気を取り戻したイサラの指示で無事に雪山から下山した聖女巡礼団は、街道に戻る進路を取っていた。現在はその途中にあるシハレの町に入ったところである。
シハレの町は、北の街道から少し逸れた所にある人口千人以下の小さな町である。近くには美しいシハレ湖があり、夏場は避暑地として貴族や豪商に人気がある。寒くなると湖が凍るため客層がガラッと変わって、氷上で行うリィーション釣りで賑わうような土地柄だった。
リィーションは湖のような淡水で生息する比較的小さな魚である。湖面が凍っても水中で生きているため、氷に穴を開けて釣りを楽しむことができるのだ。特に冬場のリィーションは脂が乗って美味だと言われている。
また帝国内では珍しく、シルフィート教徒が少ないことでも有名な土地だった。現在はシルフィート教の熱心な布教活動のおかげで半数はシルフィート教徒だが、残りの半数は土着の神である湖神ザフィーが信仰されているのだ。
彼らからすれば町を豊かにしてくれる湖の神ザフィーのほうを、信仰対象にするのは当たり前のことだった。
「この町はリィーションの揚げ物が、有名だったはずです」
「へぇ~それは楽しみだね、レオくん」
「がぅ!」
イサラによる町の解説を聞きながら歩いているが、ソフィは町の様子を窺いながら首を傾げる。
「先生、この町はそれなりに人気のある観光地なんですよね?」
「はい、暖かい時期は美しい湖畔で過ごしたり、寒くなってきてからも紅葉やリィーション釣りで賑わっているはずですが……随分と閑散としてますね?」
改めて町の様子を見てみると人は疎らで出店などもやっておらず、およそ観光地の雰囲気ではなかった。これにはイサラも首を傾げる。
「おかしいですね?」
「ちょっと、あそこの女性に聞いてみよう。あの~すみません?」
「えっ……ひぃ!?」
ソフィが丁度建物から出てきた女性に声を掛けると、女性は驚いた顔をして顔を引き付かせると、逃げるように建物に戻ってドアを閉めてしまった。
「えっ!?」
いきなりそんな態度を取られたソフィは、困惑した顔でイサラを見る。しかし彼女もよくわからないといった顔で、首を横に振るしかなかった。周りの建物を見ても監視するようにソフィたちを見ており、目が合うとスッと部屋の奥へ姿を消してしまうのだった。
「明らかにおかしいですね……一度聖堂に向かいましょう。何か情報が掴めるかも」
「そ、そうですね」
町の様子を不審に思いながらも聖女巡礼団は、この町の聖堂に向かうことにしたのだった。
◇◇◆◇◇
聖堂は湖畔へ続く道にあった。比較的新しい建物のはずだが、野盗の襲撃にでもあったかのようにボロボロになっている。窓は全て木製の鎧戸で閉ざされており、その鎧戸も石でも投げられたように大きな傷がついていた。
扉も外部から壊されており、ソフィたちが警戒しながら踏み込むと中もだいぶ荒んだ状態になっていた。本来であれば綺麗に並べられている長椅子も、まるでバリケードのように配置されており、外部からの進入を防いでいる。さらに長椅子を囲むように、防殻用の避魔針が設置されていた。
まるで要塞のような物々しさに、ソフィは訝しげに首を傾げると中に声を掛けた。
「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」
ソフィの声が聖堂内に響き渡ると、奥の長椅子の影で何かが動いた。しばらく待っていると、修道服を着た女性が一人顔を見せ、ソフィたちの姿を見た瞬間、涙を浮かべながら駆け寄ってきた。
「え、援軍!? フォレストから支援に来てくれた方々ですね! あぁ、やっぱりシル様は私をお見捨てにはならなかった!」
「えっと……すみません。何か勘違いがあるようですが、私たちは巡礼団です。帝都から来たのです」
シスターがあまりに喜んでいたので、少しバツの悪そうな顔でソフィが答えると、シスターはガクッと膝を落として祈り始める。
「あぁ、シル様……私はこれ以上の試練に耐えれそうもありませんっ!」
その後バリケードになっている長椅子を退かして、嘆き悲しんでいるシスターを落ち着かせるとようやく話を聞くことが出来た。
このシスターは名をアルメダといい、この町に布教のためにシリウス大聖堂から派遣されたとのことだった。一緒に来ていた司祭やシスターと共に熱心に布教活動をしたお陰で、徐々にシルフィート教徒を増やすことが出来ていた。しかし、それに伴い土着宗教のザフィー教との対立が、目立つようになってきたのである。
最初はこの聖堂の責任者ジューン司祭と、ザフィー教のシャーマンとの言い争い程度だったのだが、徐々に争いが広がっていき教徒を巻き込む形になっていった。そんな折にある出来事が発生する。
「ある出来事?」
「はい……死者が蘇ったのです」
シスターアルメダは少し言い難そうに答えた。シルフィート教の教義では生を全うした魂は、炎と鈴の音と共に女神シルの御許に送られることになっている。これは治癒術はあっても蘇生術はないことも深く関係していた。
そもそもシルフィート教では死者は火葬であり、死者に蘇る要素などないのである。
「ザフィー教は土葬なんですか?」
「はい……恐ろしいことに、湖のほとりに彼らの集団墓地があります。そこから死者が這い出てきて、観光客や町を襲い始めました」
死者が這い回り襲い掛かってくるという噂はあっという間に広がり、この町に人が寄り付かなくなってしまったのだ。その影響が観光資源で暮らしていた人々に直撃してしまった。町に活気を失っていたのはこのせいである。
「それは死霊術の屍操術では?」
イサラがそう尋ねると、シスターアルメダは小さく頷いた。すぐに屍操術であると見破った司祭とアルメダは、町を守るために浄化の光で対抗した。
しかし、それがよくなかったのだ。浄化の光で死者を浄化する光景は、彼らの先祖を消していくことである。ザフィー教のシャーマンたちは死者が蘇ったのは湖への信仰が薄れたためだとし、先祖を大切に扱わないシルフィート教は悪だと断じた。人が来なくなり生活が苦しくなっていた町の人は、それを簡単に信じてしまいシルフィート教を弾圧するようになったのだという。
「この荒みようは、その結果ですか?」
「はい……もはや私たちだけではどうしようもなくなり、フォレストの街のユル司教に助けを求めることにしたのです。その為に数日前にジューン司祭がフォレストに向かいました」
ジューン司祭が助けを求めに向かっている間に、アルメダはこの聖堂を守るために残っていたのだという。ソフィが少し悲しそうな顔をするとイサラに意見を求めた。
「そうですね。フォレストからの救援となると色々問題が、あそこには聖騎士団がありますから……正直、彼女も聖堂を放棄して脱出してしまったほうが安全と思います」
「何をおっしゃるのですか、イサラ司祭! この地の迷える民をお見捨てになるというのですかっ!?」
シスターアルメダは凄い勢いでイサラに詰め寄った。押され気味のイサラはソフィに助けを求めるように視線を投げかける。
「落ち着いてください、シスターアルメダ」
「あっ……はい、申し訳ありません」
元々異教の地に布教に来るような女性である。相当熱心なシルフィート教の信徒であることは窺える。そこにレオと共に玄関見張りについていたマリアが、何かを見つけて声を掛けてきた。
「聖女さま~何か大勢近付いてきます~」
「あぁ……おそらく町の人たちです。また立ち退きの要求に来たでしょう」
アルメダは祈るように指を組み、空を見上げながら答えた。ソフィは深くため息をつくと、立ち上がると見上げてくるアルメダに告げる。
「ここは私が対応します……いいですね?」
「いえ、しかし……彼らは暴徒化してますので危ないですよ。いくらなんでも猊下に、そのような真似を……」
「大丈夫です。私にはこれがありますから」
ソフィはそう言って右手に装着したガントレットを軽く叩くと、アルメダに向かって微笑むのだった。




