第36話「最強の力」
眩いばかりの光を放ち始めたソフィに、ガロンは一瞬怯んだように身を伏せた。光はそのまま収縮するようにソフィに集まっていく。
「グゥルルゥゥゥゥゥ」
ガロンは身を起こすと威嚇するように唸り声を上げる。ソフィは拳を握り締めながら、ゆっくりとガロンに向かって歩き始めた。
「ガァァ!」
ガロンが吼えると再び黒い鬣が伸び始める。そして鬣の先が槍のように尖って、次々とソフィに襲いかかってきた。ソフィはその攻撃を舞うように躱すが宙に翻ったところに、さらに無数の槍が襲いかかる。
「あぶないっ、聖女さまっ!」
思わず叫んだマリアだったが、ガントレットから伸びた鎖が易々と鬣の槍を搦め捕っていく。ソフィは纏められた槍を足場にして天井まで飛ぶと、天井を蹴って急降下した。
「モード:拳!」
モードチェンジにより鎖が巻き取られ、雷の如く拳がガロンに突き刺さる。これはアリストの街でアンデッド・トロルを一撃で屠った攻撃だった。轟音と共に石畳が粉砕されて破片が舞い上がる。
ドゴォォォォォォォォン!
舞い上がった粉塵の中で、右腕全体に走る激痛にソフィの顔が歪むと、彼女の意思に反してモード:拳が強制的に解除され再び鎖が現れた。
「……くぅ」
次の瞬間、再び無数の槍がソフィに襲い掛かってきたが、ソフィは後に飛び跳ねてそれを躱した。
「ゥガァァァァ!」
ガロンは吼えながら身を起こす。ソフィの放った一撃は、ガロンを半壊させるほどの威力だったがトドメを刺すには至らず、すぐに修復して元の姿に戻っていく。
距離を取ったソフィは、左手で右腕を押さえながらガロンを睨み付ける。その右腕は自らの攻撃の反動に耐えれなかったのか、完全に破壊され真っ赤な鮮血が流れ出ていた。それを見たマリアは驚いた様子で口に手を当てる。
「どうして……聖女さまには永続回復があるはずじゃ?」
「超過強化の弊害です。限界を越える強化は永続回復の効果をギリギリまで使ってますから、それ以上のダメージに回復が追い付かなくなっているのです」
冷静に説明してくれるイサラに、マリアが食って掛かる。
「大変、助けにいかないとっ!」
「大丈夫、猊下を信じなさい! 貴女はシールドの維持に務めるのです」
「で、でも……」
毅然とした態度のイサラにマリアは文句を言おうとしたが、彼女の拳が堅く握られていたことに気が付くと、それ以上は何も言わず自分の役目に専念していく。
「さすが合成獣ですね……これほど丈夫とは思いませんでした」
そう呟きながら追加で治癒術を施すと、右腕の負傷はすぐに回復していく。ソフィは右手を何度か握って感触を確かめる。
「はっははは、さすがガロンだっ! 未完成でもこの強さよっ! お前らを殺してからレオンホーンを取り込み、ガロンを完成させるのだっ! あっははは」
ソフィはガロンの後で高笑いをしている侯爵に眉を顰めると、イサラの足元にいるレオを一瞥して優しげに微笑む。
「……そんな事はさせませんっ!」
ソフィは左手を突き出して腰溜めに右拳を構えた。それを見た侯爵は見下しながら叫ぶ。
「くっはははは、無駄だ、無駄だっ! 強靭な身体と驚異的な回復力を持ったガロンを倒すことなど不可能だぁ!」
ソフィは少し悲しげな瞳でガロンを見つめると、短く深呼吸をして拳に力を込める。
「……モード:癒」
ソフィの言葉に反応したガントレット:レリックは、少し形を変形させると宝玉の色が金色から深い緑色に変っていく。そして聖印が浮かび上がと、大気を振るわせるほどの力が拳に集まっていく。
「モード:癒って、確か治癒能力強化の? どうして、あの化け物に!?」
マリアが疑問を口にすると、イサラは神妙な顔で首を横に振った。
「いいえ、あれは猊下の最強の力です。普段は絶対使おうとはしませんが……それほどの敵と言うことでしょう」
「最強の力……?」
マリアは息を飲むと、祈るようにソフィを見つめる。
「グガァァァァァ!」
ガロンは咆哮をあげるとソフィ目掛けて一気に跳躍した。しかしソフィは避けようともせず、そのまま構えたままである。ガロンの牙が、今まさにソフィを食い掛かろうとした瞬間、再び眩い光がソフィから発せられた。
その光はガロンも怯ませ、周囲の人々も目が開けてられないほどの輝きだった。
「何だ、この輝きはっ!?」
徐々に輝きが小さくなっていき光の氾濫が治まると、ソフィは右の拳を振りきった状態で止まっており、ガロンは原型を留めず壁まで吹き飛んでいた。その様子に侯爵は驚愕の表情でワナワナと震えている。
「ば……馬鹿な、ガロンがやられるだと!? いや、そうだ! 起き上がれ、ガロン!」
「グルゥゥゥゥゥ」
侯爵の声を聞いたのか、ガロンは身体を修復しながら起き上がってくる。その崩れた顔の奥で輝く瞳には、明らかに怒りの炎が灯っていた。その姿にマリアが狼狽した様子で叫ぶ。
「あぁ、やっぱり回復してるっ!?」
「落ち着きなさい、シスターマリア……モード:癒は、その治癒の能力を高めることで、超過強化を越える力を発揮するモードですが、その拳にある力を宿してしまうのです」
超過強化は最大でソフィの力を六倍程度まで引き出せるが、モード:癒の治癒能力強化でさらに回復力を向上させたソフィは、その力でさらに身体強化の持つ崩壊現象を押さえ込み、さらに能力を引き上げることができるのだ。……しかし、それには弊害があった。
「ある力?」
「そう……超治癒拳撃を!」
マリアが首を傾げて尋ねると、イサラは回復しつつあるガロンを睨みながら答える。
「ウガァァァァァァ!?」
その瞬間、順調に修復していたガロンの身体が急に崩れ始め、身を捩って暴れ始めた。
「おい、どうした!? うわぁぁぁ」
「ぎゃぁぁぁ」
暴れた拍子に振り回した腕が、侯爵とゴードンがいた場所を吹き飛ばし粉塵を撒きあげる。マリアの後ろで、事態を見守っていたヨームが息子の安否を気遣って叫ぶ。
「カルロッ!?」
「動かないでください、ヨーム様っ!」
「イサラ司祭、何が起きているの!?」
マリアが首を傾げながら問い質すと、イサラは小さく頷いて答え始める。
「あれが超治癒拳撃の力です。水を与えすぎた花が枯れてしまうように、膨大に送り込まれた治癒の力が生物が元来持つ代謝機能を崩壊させてしまったのです」
ソフィは拳を再び構えて、悶え苦しんでいるガロンだったものに、哀れみの篭った瞳を送っている。
「苦しいのね? ……今、楽にしてあげる。モード:拳!」
そして再び放たれたソフィの拳は、ガロンの苦しみを終らせたのだった。
◇◇◆◇◇
その後 ──
現侯爵カルロ・エフ・ギントは重傷を負っていたがなんとか生きていたため、ソフィの治癒術で一命を取りとめていた。しかし悪徳商人のゴードンは、完全に原型を留めていなかったため死亡していた。そして侯爵の息子であるハグヌ・エフ・ギントも、ロビンたちに連行されて城館に送り届けられていた。
縛り上げられた状態で座らせられているカルロとハグヌに対して、先代侯爵であるヨームが怒りに震えながら告げる。
「お前たちは、貴族としてギントの民を守り導かねばならぬ立場にありながら、彼らの安寧を省みず私利私欲に走った。さらに事もあろうか、シルフィート教大司教のアルカディア様に危害を加えんと、禁忌の術を用いて魔獣を練成するなど言語道断! この件は皇帝陛下に上奏し厳しく処罰していただく所存だ! 沙汰があるまではお前たちは別邸で謹慎、ワシが公務を代行するっ!」
父であるヨームの決定に、カルロとハグヌは慌てた様子で懇願する。
「父上! それでは、ギント家が滅んでしまいますぞっ!?」
「そうです、お爺様っ! 彼女らには金を渡して穏便に……」
まだ諦めていない彼らに、ヨームの怒りは頂点に達した。
「この馬鹿者どもがぁ! まだわからんのかぁっ!」
その怒りに満ちた声に、カルロとハグヌ親子は震え上がる。肩で息をしているヨームの背にソフィは軽く手を触れる。
「お気を沈めください、ヨーム様。お身体に触ります」
「はぁ……はぁ……すみませぬ、猊下」
ヨームもこのまま皇帝に上奏すれば、ギント家は取り潰しになるとわかっていたが、息子や孫がしたことを考えれば、それでも構わないと考えていた。しかし、ソフィは
「ヨーム様、彼らの罪は償わなければなりませんから、陛下への上奏はやむを得ません。ですが長年ギントの街を治めていた侯爵家が変ってしまうのは、暮らす方々に無用な不安を煽るのではないでしょうか?」
「し、しかし……皇帝陛下は、決して許されぬでしょう?」
ソフィは優しくヨームの方に触れながら答える。
「私が侯爵家を取り潰さないように一筆認めましょう。しかし、ヨーム様はご高齢ですので一族の方で、誰か養子に取っていただくことになるかと思いますが……」
「それなら、弟の孫に良い者がおります。……しかし陛下は大変厳しい方だ、本当にお許しいただけますかな?」
ソフィは改めて頷き、ニコッと笑いながら
「大丈夫です。もし聞き届けていただけぬようなら、一度お話するために『私が帝都に戻ります』と書いておきますから」
と答えるのだった。




