第3話「死ぬほど痛い」
ソフィが野盗のアジトで戦っているころ、村に残ったイサラ司祭とシスターマリアは、怪我人の治療を続けていた。その治療が一段落したところで、マリアがイサラに声をかける。
「イサラ司祭、聖女さまは大丈夫かな?」
「シスターマリア、それは無用な心配ですよ。猊下は幼い頃から真面目に調練をされてますし、貴女と違って筋がよろしいですから」
「うぇ、イサラ司祭の調練は厳しすぎるんですよ~」
イサラの調練を思い出したようで、マリアは舌を出して首を横に振る。
「それにガントレット:レリックを装備している時の猊下を、倒せる人などいませんから」
「あ~……確かにその通りですね。あのガントレットは謎が多くて、わかっている性能は形状変化と能力倍増でしたっけ? 聖女さまの永続回復と合わせると無敵ですよね~」
イサラは頷くと付け加えるように答える。
「永続回復の真価は、それだけではありませんが……」
「でも聖女さまってすごく優しいから、野盗相手でも手加減とかしちゃいそうで心配だな~」
話がコロコロと変わるマリアに、イサラは眉を少し吊り上げるが軽く首を横に振ってから答える。
「それこそ心配することはありません。あの方の拳は、この世で一番優しいですが……死ぬほど痛いですから」
◇◇◆◇◇
洞窟を出たソフィは、先程の焚き火の近くまで戻っていた。焚き火の周りには四人が座っており、木の影に隠れて様子を窺っていると、大男が怒鳴り始めた。
「おい、女はまだか! バダの野郎はどうしたぁ!?」
「へぇガルツ隊長……ロッジの野郎が呼びに行ったんですが」
女性を呼びにいった男たちが戻ってこないので、ガルツと呼ばれていた大男は相当苛立ている様子だ。ソフィはガントレットの灯りが洩れないようにケープで隠しながら、徐々に近付いていく。
「これだけ近付けば……モード:鞭!」
ソフィが闇の中から右腕を横に薙ぐように振ると、焚き火のほうに向かってしなるように鎖が伸びる。そして一番近くに座っていた男の首に巻きつくと、一気に暗闇に引きずり込んだ。
突然暗闇の中に引きずり込まれた男の顔は恐怖に歪んでいた。彼の瞳には白い影が映っている。
「ごめんなさい」
ソフィは謝りながらの鳩尾の辺りに拳を叩きこむと、男はそのまま意識を失った。焚き火のほうからは動揺した声が聞こえてくる。
「おい、今のはなんだっ!?」
「あいつはどこに行ったんだ?」
「あっちに引きずりこまれたぞ!? 魔獣か!」
男たちはそれぞれの武器を持ち、仲間が引きずり込まれた暗闇に向かって怒声を浴びせている。しばらくして痺れを切らしたのか、暗闇の中に隊長を除く二人が警戒しながら入ってきた。
ソフィが木の陰に隠れていると、倒れている仲間を見つけたのか男たちが駆け寄ってくる。
「おい、大丈夫か!? って誰だ、テ……ぐぁ!」
ソフィが飛び出して駆けつけた男に右拳を叩きこむと、男は焚き火の方へ吹き飛んでいく。そのまま鎖でもう一人の男を捕らえると、駆け出して男の腹に拳を叩きこみ、先程と同様に焚き火の方へ弾き飛ばした。
「これであと一人……」
ソフィがそう呟くと、焚き火の方からガルツの声が聞こえてくる。
「ちっ……ちくしょう! なんだ、テメェ!」
ソフィはゆっくりとした歩調で、焚き火の方へ出て行った。彼女の姿が焚き火の灯りで映し出されると、ガルツはニヤついた顔を浮かべる。
「なんだよ、別嬪さんじゃねぇか。いきなり襲ってきたのはテメェか!? 何のつもりかしらねぇが、こっちにきやがれ」
「こんなことをするのはやめなさい。反省して自首するというのなら、慈悲深き女神シル様の名において許してあげます」
「はぁ? 何言ってんだ、ふざけんなよ、女ぁ!」
ソフィが与えた懺悔の時間は、この男には不要だったようだ。彼女はため息をつくと、左腕に水平に伸ばして右腕を縦に重ね、腕全体で十字架を作るポーズをする。
「仕方ありません……『聖女執行』!」
ソフィの言葉に呼応するように、ガントレットに埋め込まれた黄金の宝玉が輝き始めた。
「モード:拳!」
宝玉に何か文字が浮かぶと伸びていた鎖が収納され、ただのガントレットの形状に戻った。
「やぁぁぁ!」
ソフィが掛け声と共に右拳を繰り出すと、ガルツに易々と躱されてしまう。
「そんなミエミエの攻撃が、俺様に当たるわけねぇだろ? このアマッ!」
そう叫びながら振り下ろそうとしたが、バキバキという音で振り向くと大木がガルツに向かって倒れてくる。驚いたガルツは後に跳びはねて躱す。
「おいおい、大木を殴り倒すなんてどんな怪力だよ」
ガルツが呆れた様子で言うと、ソフィはガントレットを突きつけながら自身満々に微笑む。
「あら、怪力だなんてひどい……乙女になんてことを言うんですか? モード:拳の力ですよっ!」
「乙女だぁ? ふざけんな、その白い服に格闘術……テメェ、修道拳士か? 一体誰に頼まれたっ!?」
ソフィは答えずに腰を落として、右拳を腰の辺りに添えて構えた。傍目から見れば、明らかにこれから右拳を突き出しますと教えている構えだ。
「だからバレバレだって言って……うぉっと!」
先程より速い身のこなしで繰り出された拳に、ガルツは驚きながら距離を取る。ソフィの身体は微かに輝きを放っていた。
「ちっ、なるほど……身体強化の法術か。不意打ちとは言え、あいつらがやられるわけだぜ。だがなっ!」
ガルツが短く息を吐くと、彼の体も微かに輝きだす。
「身体強化ぐらい俺でも出来る。同じ強化なら元から強い俺の方が効果は上だぜ? 諦めて降参しなって、たっぷり可愛がってやるからよぉ!」
身体強化の術は対象のフィジカルから、一割から三割程度を強化することができる法術である。神職以外にも騎士や傭兵といった、戦うことを生業としている者たちも習得していることが多い。
強化の割合は術者の力量によるが、伝説の勇者と呼ばれた者でも五割程度の強化が限界であると言われている。それ以上強化すると、強化された力に肉体が耐えられないのだ。
ガルツを百とするなら、ソフィの素のフィジカルは半分にも満たないだろう。彼の余裕は、そう言った事実から来ているものだった。
「……では、もう少し頑張りますっ!」
ソフィが短く息を吐くと、眩いばかりの輝きが彼女の体から発せられる。男の顔から余裕の色がどんどん消えていく。
「ば……馬鹿な、なんだその輝きは!? そんなに強化して体がもつわけがないだろっ!」
ソフィから発せられている輝きは、明らかに彼女に数倍の強化を発現させた状態だった。
「……私なら耐えれますっ!」
その体からは強化の輝き以外にも、治癒術の効果が発現する時に漏れる輝きも断続的に発せられている。崩壊しそうな体を、強化した永続回復で無理やり維持しているのだ。
「貴方には、もう一度懺悔の機会を差し上げます。いきますよ? 私の拳は死ぬほど痛いそうですから、覚悟してくださいねっ」
その瞬間ソフィが地面を蹴った。
ソフィの攻撃は右手を打ち出してくるだけ、ガルツにはそれがわかっていたが、その一撃は熟練の傭兵であるガルツにすら知覚できない速度だった。繰り出された一撃は彼の右脇腹を貫き、その一点から鮮血や臓器を撒き散らす。
明らかな致命傷を受け、ガルツはゆっくりと倒れていく。彼の頭の中では、彼の今までの人生が走馬灯のように蘇っていた。
泣いている赤子をあやしている母親の笑顔、子供時代に憧れていた隣のお姉さんとの別れ、傭兵時代に笑いあった仲間たち、そんな顔が次々と浮かんでは消えていく。
「おふくろ……みんな……なんで、俺はこんなことを……」
倒れたガルツは死を感じなら、大の字で暗闇の空を見つめる。そして、今までの人生を悔やんで涙を流す。そこにソフィの声が聞こえてきた。
「罪を悔い改める気になりましたか? 次はありませんよ?」
「つ、次も何も……なっ!?」
ガルツはガバッと半身だけ起き上がると、自分の右脇腹を触って確かめる。革鎧や服は破れ血塗れになっていたが、体には傷一つ存在していなかった。ただ微かに治癒術の光の残滓が見てとれる。
「幻影? いや、あの感覚は現実だったぜ。だが、俺は生きてる……生きてるのか?」
「はい、貴方は生きてます。女神シル様は、貴方に罪を悔いる時間を与えてくださったのです。私は貴方をもう傷つけたくはない……どうか自首をしてくれませんか?」
ソフィの諭すような優しい言葉に、ガルツは涙を流しはじめた。そして、地面頭を擦りつけるようにソフィに対して平伏す。
「お……俺が悪かった! 許してくれ! 必ず部下を連れて衛兵に全て話す!」
死の感覚を知ったガルツの心情に、どのような変化があったのかわからないが、彼の言葉には真実味があった。ソフィは真偽を確かめるように、ジッと彼を見つめると、小さく頷いてから祈るように手を合わせた。
「わかりました……聖女ソフィの名の元に、貴方の言葉を信じましょう」
「あ、ありがてぇ、一生を賭けてでもこの罪は償うぜ……」
涙で掠れた懺悔を背に受けながら、ソフィは連れ去られた女性たちの元に向かうのであった。




