第29話「司祭の悩み」
「シスターアリーナ、こちらの方々は?」
ファランの熊のような大きさに、唖然としているソフィとイサラを見下ろしながら彼は首を傾げた。アリーナは小さく頷くとソフィたちを指して紹介する。
「ファラン司祭、こちらはソフィーティア・エス・アルカディア様、シルフィート教の大司教猊下です。そして、こちらがイサラ司祭です」
ファランは目を見開いて、アリーナとソフィたちを交互に見る。
「だ……大司教猊下!? こ、これは失礼しました」
ファランは信じられない思いだったが、アリーナがこのような嘘を付く人物でないことを知っていたので慌てて跪く。しかし、それでもソフィたちと目線があまり変らなかったことが、彼の巨大さをさらに強調させていた。
「お初にお目にかかります、大司教猊下。私はファランと申します」
「ソフィーティア・エス・アルカディアです。ファラン司祭、よろしくお願いしますね」
ソフィが朗らかに微笑むと、ファランからは女神が降臨したように見えたのか、祈りを捧げ始めた。
「女神様……この出会いに感謝致します」
◇◇◆◇◇
その後、聖堂から食堂に移動した一行は、当初の予定通りファランの説得を始めた。サコロの町の状況や経緯についてを説明していく。大人しく聞いていたファランだったが、話を聞き終えると済まなそうな顔で首を横に振った。
「せっかくのお誘いなのですが……」
「どうしてですか、ファラン。猊下に推薦されるなど、大変名誉なことなのですよ?」
アリーナが気を使って尋ねると、ファランは付け加えるように答えた。
「すみません、今はまだこの街から出るわけにはいかないのです」
ファランが頭を下げた瞬間、一人の少年が慌てた様子で食堂に飛び込んできた。
「あー! ファラン兄ちゃん、こんなところにいた! 大変なんだよ、またアイツらが来たんだ」
「なんだって!? ……すみません、猊下!」
ファランは勢いよく立ち上がると、ソフィたちに頭を下げてから少年と共に食堂から出て行ってしまった。ソフィたちは突然の出来事に顔を見合わせ、アリーナは恐縮したように顔を伏せている。
「何かあったのかな?」
「すみません、猊下! あのような失礼な態度を取る子ではなかったのですが……」
「いえ……気になりますし、私たちも追いかけましょう」
ソフィはそう言うと席を立ち、ファランを追いかけるように部屋を後にした。イサラとアリーナも慌てた様子でその後を追うのだった。
◇◇◆◇◇
鞄から伸びているガントレットの鎖に導かれ、ソフィがファランを追跡していた。脚に障害を抱えるイサラと、普段それほど運動をしているわけではないアリーナは、すでに遥か後方に置いてかれてしまっている。しばらくして、前方の角の先から怒鳴り声と悲鳴が聞こえてきた。
「いいから来いっ!」
「いやっ! 行かないって言ってるでしょ!」
「やめないかっ」
ソフィが角を曲がると、そこにはガラの悪い男たちが二人と、ソフィと同じぐらいの年頃の女性、そして先程の子供とファランが言い争っていた。
「姉ちゃんを放せっ!」
先程の男の子がガラの悪い男の脚にしがみ付くと、男は蹴り飛ばすように払い飛ばした。ファランがすぐに駆け寄って治癒術を掛けていく。子供を蹴り飛ばした男は、ファランに対して唾を吐いた。
「ぺっ、邪魔すんじゃ……ごばっ!」
しかし、男はその言葉を言い切ることは出来なかった。眩しいと思った瞬間、馬車にでも撥ねられたように吹き飛ぶと、民家の壁に突っ込み瓦礫に生き埋めになったのだ。
その場に現れた光は徐々に治まり、ソフィが拳を振り切った状態で現われた。
「その人を放しなさいっ!」
「ひぃぃ」
突然相棒が吹き飛ばされたことに驚いたガラの悪い男は、捕まえていた女性をソフィの方に突き飛ばした。飛んできた女性を、ソフィは慌てて彼女を支える。ガラの悪い男は、その隙に吹き飛ばされた男を掘り起こして、彼と一緒に逃げていった。
「お……覚えてろよぉ~!」
もはや聞き飽きた捨て台詞に、ソフィは小さくため息を付くと、抱きとめた女性に確認する。
「大丈夫?」
「えぇ、ありがとう。貴女強いのねっ!」
ソフィが少し照れていると、彼女の前にファランが跪く。
「ありがとうございます、猊下!」
「いえ、その子には怪我はありませんか?」
「うん、大丈夫だよ! お姉ちゃん」
男の子がニカッと笑うと、ソフィは彼の頭を優しく撫でる。そうしている間に、壁を壊された民家の住人が飛び出てきて、壊れた壁を見て怒鳴りつけた。
「こらぁ、誰じゃワシの家の壁を壊したのはぁ!」
「ご……ごめんなさいっ!」
ソフィたちが謝っていると、追いついてきたイサラとアリーナが何とか取り成してくれた。そして修理費と多めの慰謝料を払うと、住民は笑顔で帰っていく。
「それで、なにがあったんですか? 猊下」
イサラが尋ねるとソフィが見たままを伝え、ファランが付け加えるように事情を話してくれた。
彼の話では、この女性はラナといい。この近くにあるシルフィート教が経営している孤児院で働いているらしい。彼女自身もその施設の出身であり、同じ境遇だったファランとは兄妹のような間柄だ。
先程のガラの悪いのは、おそらく侯爵の子息ハグヌの手下ではないかという話だった。ハグヌはラナに一目惚れしており、しつこく言い寄っているらしい、ラナには婚約者がいるため大変迷惑していた。
イサラは頭を押さえながら問い返す。
「つまり権力を笠に着て、そちらのお嬢さんを手篭めにしようと?」
「はい……婚約者がいるって言っても、やめてくれなくて……今日みたいな嫌がらせを繰り返してくるんです。そんな私をファ兄は、いつも助けてくれるんですよ」
ラナはファランを見つめるとニッコリと微笑む、ファランは少し照れたように頭を掻いていた。
「ひょっとして……先程サコロ赴任の件を断ったのは、この件が関係してますか?」
ファランは黙って頷いたが、ラナは首を傾げながら尋ねてきた。
「ファ兄、赴任ってどういうこと?」
「あぁ、この方たちは俺に、サコロという街に新しくできる聖堂に赴任しないかと、勧めに来てくれたんだよ。でもラナのことが心配で……」
そこまで聞くと、ラナはファランの背中を叩く。
「何言っているの、ファ兄! 聖堂付きの司祭様だよ!? 大出世じゃないっ! 私のことは大丈夫だから、今すぐ受けて!」
「う~ん、そうは言ってもなぁ」
ファランは大きな背中を丸めながら頭を掻く。
見習い司祭のファランはこのまま修行を続けて、今いる聖堂の司祭が引退するのを待つか、新しい地で一から頑張っていくかを選択しなくてはならない。ファランは昔から後者の道を希望していた。
「大丈夫だって、何かあったら今度はロディに助けて貰うから! 聖堂付きの司祭様になるのが夢だったんでしょ?」
ロディと言うのはラナの婚約者で、行商をしている男性だった。今は行商の身だが、近々店を構えてラナを娶るつもりだという。
ファランもロディのことは気に入っており、彼ならラナを守ってくれると思っているのだが、今は大きな商売で他の町に行っているのだ。
「せめてロディが帰ってくるまで……」
「もうファ兄は心配性だな~。さっきあんなにやられたんだし、きっともう来ないよっ!」
今までの経緯から、そんなことはないとラナも思っているが、そんなことより兄と慕っているファランの夢を、後押ししたいという思いが強いのだ。
それまで黙って話を聞いていたソフィが、イサラの方を向くと首を傾げながら尋ねる。
「ファラン司祭は本当は行きたいけどラナさんが心配、ラナさんはファラン司祭を行かせてあげたいけど、身に危険が迫っている。これは……元凶を取り除くしかないかな?」
「猊下がそうお考えであれば、私に異存はございません」
その答えに満足したように、ソフィはニッコリと笑い
「わかりました。ファラン司祭、ラナさん、この件は私に任せてください」
と告げるのだった。




