第28話「ファラン司祭」
区長室があまりに煩雑としていたため、アリーナ院長の勧めで聖女巡礼団とタドリー司教は食堂に来ていた。全員が椅子に座ると、改めてタドリー司教が挨拶をした。
「改めて挨拶させて貰うが、タドリー・ジー・バトロスじゃ。この地域一帯の区長も勤めておる。風の噂で猊下が帝都を追われたとは聞いておったが、まさかギントまで来るとは思っておらんかったよ」
ソフィは少し頭を下げると、申し訳なさそうな顔をした。
「何も知らない小娘だったことを、旅を通じて学びました」
「はははは、無知であることを悟るというのはよい心がけじゃ。ワシはこの歳になっても、知らぬことが多すぎてあの様じゃよ」
「タドリー司教は、ただ片付けができないだけですっ!」
怒り出したアリーナ院長に、一行は先程の部屋を思い出して苦笑いを浮かべるのだった。
「それで……何か用があったのではないのかね? 滞在したいというのなら、何日でも居てくれても構わんぞ?」
「ありがとうございます。それでは数日、滞在させていただきたいと思います。あとサコロの町で教会を作る計画があるのですが、領主に信頼の置ける司祭を紹介するように頼まれてます。タドリー司教、どなたかご紹介いただけませんか?」
ソフィが尋ねると、アリーナ院長が首を傾げながら問い返してきた。
「はて……サコロとは聞かない名ですね。どこにある町なんですか?」
「サコロは南にある小さな町じゃよ。山間部にあるからあまり知られてはおらんが、確か穀物が有名じゃったかな?」
スラスラと答えるタドリー司教に、アリーナ院長は驚いた顔をする。その雰囲気に彼は呆れた表情で咳払いをする。
「ごほんっ、自分の教区のことぐらい知っているのが当たり前じゃ。それより司祭の派遣の話じゃったか?」
「はい、どなたか適任者がいれば良いのですが」
タドリー司教は少し考えると、アリーナに意見を求めた。
「僻地に赴任となると、ある程度若く体力がある人物が良いでしょうね。……そうですね、トーマス司祭はどうでしょうか? なかなか堅実な人物だと思いますが」
「あぁ、トーマスはダメじゃ。アイツは頭が硬すぎるじゃろう。もっと柔軟な発想ができる人物がよい」
二人して悩んでいると、アリーナが誰かを思い出したように頷く。
「ファラン司祭はどうでしょうか? まだ見習いですが、あの人なら若いし柔軟かと思いますが」
「ファランか……うむ、アイツなら悪くはないかもしれんな。一応ご自身が確認して貰ったほうが、サコロの民も安心できると思うのじゃが?」
タドリー司教の提案に、ソフィは微笑んで頷いた。
「えぇもちろんです。そのファラン司祭は、どちらにいらっしゃるのですか?」
「西区の聖堂で見習いをしております。明日にでも案内しましょう」
「ありがとうございます、シスターアリーナ」
こうしてソフィたちはギントに滞在することになり、この日はアリーナに案内されて、聖堂に併設されている修道院に泊まることになったのだった。
◇◇◆◇◇
翌朝、修道院の食堂で修道士たちと一緒に食事を共にしていた。食事中はアリーナの目もあり大人しくしていた修道女たちだったが、食事が終るとソフィの周りに集まり始めた。
「大司教猊下! お会いできて光栄ですっ!」
「まさか猊下にお会いできる日が来ようとはっ!」
取り囲まれてしまったソフィは微笑み返した。
「私も皆さんにお会いできて嬉しいです。しばらくの間ですが、よろしくお願いしますね」
その笑顔に目を奪われた修道女たちがキャァキャァと騒ぎはじめたので、アリーナ院長が咳払いをすると修道女たちは蜘蛛の子が散るように逃げていった。アリーナは済まなそうな表情でソフィに頭を下げる。
「猊下、煩くしてしまい申し訳ありません。あの子たちったらはしゃいでしまって」
「いいえ、大丈夫ですよ。シスターアリーナ……それで、ファラン司祭に会いに伺う件ですが」
アリーナは再び頭を下げる。
「西区は少し遠いので乗合馬車で向かいましょう。しかしまだ出ておりませんので、時間になるまで猊下たちはごゆるりとおやすみください」
聖堂がある場所は東区と呼ばれる場所であり、聖堂のある西区の反対側だった。ギントは巨大な街なため徒歩で向かうには遠すぎるのだ。
「それでは祈りの時間ですので……」
アリーナがお辞儀をして、その場を後にしようとするとイサラが呼び止めた。
「シスターアリーナ、少しよろしいですか?」
「はい、イサラ司祭?」
アリーナは振り返ると首を傾げてイサラの言葉を待った。イサラはレオとジャレているマリアの奥襟を捕まえるとアリーナに突き出す。
「シスターマリアも連れて行ってください。よい機会です……少し修行をしてきないさい、シスターマリア!」
「えぇぇぇ! おーぼーだ~!」
マリアは猛抗議をしたが、最終的にはソフィの「いい機会だから」という一言で、肩を落としたままアリーナ院長について行くことになった。
それを見送ったイサラは、改めてソフィの方を向くと優しげに微笑んで尋ねる。
「猊下はどうなさいますか?」
「私は少し敷地内を見てまわろうかな。先生は?」
「私は、クソ爺……いえ、タドリー司教に話を聞いて来ようかと思っています」
ソフィは頷くと立ち上がってレオに手招きをすると、レオは一鳴きしてソフィの足に擦り寄った。
「レオ君は私が見ておくね」
「はい、それでは」
イサラとソフィは食堂を離れると、それぞれ別方向へ歩いていく。
◇◇◆◇◇
それから数時間後、ソフィとイサラは乗合馬車に揺られていた。出発時には職場に向かう人で混んでいた乗合馬車だったが、西区に入る頃には彼女たちとアリーナしか乗っていなかった。
「猊下、もうすぐ着きますよ」
「そうですか。遠いとは聞いていましたが、本当に遠いんですね」
ソフィは少し疲れた様子だった。二時間ほど馬車に揺られているのもあるのだが、それまでにレオの相手をして走り回ったからである。レオはマリアと共に修道院に留守番中である。理由は簡単で乗合馬車に獣は乗せれないからである。
ソフィは小さく深呼吸をすると、改めてアリーナに尋ねた。
「今からお会いするファラン司祭とは、どんな人なんですか?」
「ファラン司祭ですか? そうですね……まずは大きいですね」
「大きい?」
イサラが首を傾げると、アリーナは目一杯手を上げて手首を曲げると、ヒラヒラと高さをアピールする。アリーナもそれほど小さいわけではない、もし彼女の言う通りの背丈だとかなり大柄な人物だ。
「えぇ、これぐらいですかね?」
「なるほど、背が高いと……他には?」
「とても温厚な人物ですよ。子供たちにも人気がありますし、宣教にも熱心ですからピッタリではないかと」
ソフィは人物像を想像しながら頷く。開拓地に赴任する司祭は宣教にも熱心なことは重要だが、周辺の者たちと軋轢を産まない立ち回りができる人物が好ましい。彼女の話を聞く限りでは、ファランはそういう人物のように聞こえた。
「なるほど、それは会うのが楽しみですね」
「きっと気に入っていただけるかと……あっ、すみません。ここで降ろしてください」
「あいよ~」
アリーナが降車を頼むと、御者は軽く返事をして馬車を止めた。三人が降りると御者は被っていた帽子を軽く上げて、そのまま馬車を走らせる。
「こちらですよ、猊下」
ソフィたちが、アリーナに導かれて少し歩くと聖堂が見えてきた。小さくもなく大きくもない古い聖堂だったが、よく手入れが施されているのか綺麗な印象だった。
聖堂の扉は開かれていたため、そのまま中に入っていくと時間のせいか、祈りを捧げる信者はいないようだった。
「もし、誰かいませんか?」
「は~い、何の用でしょうか?」
アリーナの声が聖堂に響くと奥から返事があり、女神の象の前で何かが動いた。よく見ると司祭服を着た熊……のような男性が立ち上がって近付いてくる。二セルジュ(メートル)はありそうな印象だ。拭き掃除の最中だったのか、腕まくりされた袖から見える腕は丸太のように太かった。
「猊下、こちらがファラン司祭ですよ」
その大男を指しながら、アリーナはニッコリを微笑むのだった。




