第26話「ギントの街へ」
昨晩の襲撃から夜が明けて、マドランの隊商はギントの街へ向けて移動を開始していた。ソフィたちも目的地が同じくということで、マドランの好意で一緒に馬車に揺られている。
マドランは商人にしては珍しい熱心なシルフィート教の信徒で、ソフィが大司教であると知ると大変驚いて女神に感謝していた。口調も丁寧になり「大司教様」と呼び始めたが、ソフィに「嬢ちゃん」で構いませんと言われたため、その言葉に従うことにした。
「そう言えば帝都に寄った時に、噂でアルカディア大司教がお隠れになったと聞いていたが、まさか巡礼の旅に出ていたとは……」
聖女巡礼団の出発は急に決定したことで、特別にセレモニーなどはしなかったため、ソフィたちが旅立ったことを帝都の民が知ったのは、だいぶ後になってからだった。
ソフィがマドランの帝都の話を、少し悲しそうな顔をしながら聞いていると、膝の上に乗っていたレオが、ソフィの頬に鼻を押し付けてくる。少し湿った鼻の跡が判子のように頬に付く。
「なに、慰めてくれるの? レオ君はいい子だね~」
「にゃふぅ!」
ソフィに優しく撫でられて気持ち良さそうにしているレオを見て、マドランは首を傾げて尋ねてくる。
「そんな獣は見たことがないんだが、それは魔獣じゃないのかね? 昨夜、魔法を使っていたような気がしたんだが……しかし魔物除けに反応しないようだし」
魔法を使う獣は魔獣であるというのは、この世界の一般的な常識である。そのマドランの疑問に対して、イサラが首を横に振ってから答えてくれた。
「魔法を使う獣が全て魔獣というわけではありませんよ。魔物の中で獣の姿をしているのが魔獣です。この子はレオンホーンという幻獣ですね」
「ほぅ……そんな違いがあるんだなぁ」
マドランに感心したように頷いてから、マジマジとレオを見つめる。その視線に気付いたレオはチラリとマドランを一瞥したが、すぐに興味を失ったのかそっぽを向いてしまった。
「そう言えば……あの野郎が珍しい獣を扱っていたな。その腕を見込んで魔物除けを仕入れたのに偽物だったとは」
「その方は、ギントの街の商人ですか?」
「あぁギントでも有数の大商会でゴートンって野郎だ。正直いけ好かない野郎だが、今までこんなことはなかったんだがな。最近認可品にまがい物が増えてるんだよ。侯爵様も忙しいんだろうがしっかりして欲しいね」
マドランは眉を顰めながら、昨日の襲撃を思い出していた。
魔物除けの道具は、旅の安全を確保するための必需品であり、販売するには性能評価を受ける必要がある。いくつか種類があり商人たちが扱っているのは、魔物が嫌がる臭いを発するタイプの物が多い。そのためおよそ半年程度で使えなくなる消耗品であり、定期的に購入する必要がある商品だ。
ゴードン商会は魔物除けの商品や、愛玩や労働用の動物を扱う商会とのことだった。
「魔物除けは、やっぱりシルフィート教の物のが確かだなぁ。ちいと値段が張るがね」
マドランがニヤッと笑う。教会で販売しているものは、護符と呼ばれるもので、効果も高いが値段も高い代物だった。寄付と共に教会の貴重な収入源にもなっており、時々教会以外の紛い物が出て騒ぎになったりする。ソフィは微かに笑って自分の肩掛けカバンから、四本の串のような物を取り出すと彼に差し出した。
「良ければこちらを使ってください。ご存知かもしれませんが、範囲は三十セルジュ(メートル)ぐらいです」
「おぉ、こ……こいつぁ!?」
差し出された物を見たマドランは目を見開いて驚いた。それはシルフィート教に伝わる魔物除けの道具で、避魔針と呼ばれているものだった。基本的に販売されておらず、商人の中ではシルフィート教と懇意の者や、領主などの御用商人しか持っていない物だった。
臭いで魔物を寄せない物とは違い、擬似的に守護者の加護を展開する道具である。物理的に遮断するため魔物以外に対しても効果がある。使用する度に蓄積されている法力が消耗するため、定期的にシルフィート教で祈りを捧げて貰わなければならないが、それさえ忘れなければかなり非常に強力なアイテムだった。
「こんな物……いいのかい?」
「えぇ、お肉のお礼ですよ。貰っておいてください」
「ありがとう! こいつがあれば、これからの旅も安心だ!」
マドランは嬉しそうに笑いながら、避魔針を掲げてじっくり見つめるのだった。
◇◇◆◇◇
野営地から半日ほど進むとギントの街が見えてきた。ギントはこの辺りでは一番大きな街で、高い城壁に囲まれた要塞都市である。西方地方と北方地方を繋ぐ街でもあり商業都市としても栄えていた。
城門まで近付くと、その前には順番待ちをしていた多くの商人や旅人が並んでいた。これほどの城砦都市になると、入るためにも検問を越えないといけないものだが、マドランの隊商は少し逸れて別の門に向かっていく。
門に着くと衛兵が詰所から顔を出した。
「やぁマドランさん。帰ったのか、今回の取引はどうだったかね?」
「まぁいつも通りさ、コッティ」
「えっと……あぁ、これか。人数に変りはないか?」
コッティと呼ばれた衛兵が帳簿を確認しながら尋ねると、マドランは首を横に振って視線をソフィたちに向けた。
「あぁ、済まないが三人追加だ」
「ん~? あぁ、あの神官さんかい? 規則じゃ新しい奴を入れるときは、あっちの門で調書を取る決まりなんだがなぁ」
コッティがカウンターを人差し指でトントンと叩きながら言うと、マドランは苦笑いをすると懐から小袋を取り出すと、カウンターの上に置いた。
「そう堅いこと言うなって、あっちに並んでたら日が暮れちまうだろ?」
「んんっ! まぁマドランさんの知り合いなら大丈夫だろう。ほらよっ!」
コッティは咳払いをしてスッと小袋をカウンターの下に隠すと、代わりに通行手形を三つカウンターの上に置いた。そして横に吊るしてあった紐を引っ張ると、遠くで鐘の音が聞こえてきた。
「ありがとよ、コッティ」
マドランは通行手形を受け取ると、馬車まで戻りソフィたちに手渡した。
「通行の許可が下りたぜ、嬢ちゃんたち」
「何から何まで、ありがとうございます」
そんな会話をしていると、大きな音を立てながら門が開き始めた。ある程度、門が開いたところでソフィたちとマドランたちの隊商は、ギントの街に入って行くのだった。
◇◇◆◇◇
城門を潜ると大きな広場になっていた。石造りの大きな建物に囲まれており、威圧感がある雰囲気だった。マドランの隊商はそこに止まると荷物を降ろし始めた。馬車から降りたマリアが、周りを見上げながらボソリと感想を呟く。
「大きな街なのに、なんか地味なところだね?」
「あぁ、ここは搬入口だからな、正門はあっちの並んでた方なんだ。あの道を進めば大通りに出れるぞ。嬢ちゃんたちは、泊まるところ決まってるのか? もし良ければ俺のところに部屋を用意させるが」
マドランが尋ねて来たが、ソフィは首を横に振って答えた。
「この街には教会の支部があるそうなので、そちらにお世話になるつもりです。ちょっとお願いもありますし」
「そうか、そうか、じゃここでお別れだな。もし何か困ったことがあれば、マドラン商会に顔を出してくれ。商館は大通りにあるからよ」
「ありがとうございます」
ソフィたちは頭を下げると、そのまま大通りに向けて歩き始める。細い通路を抜けて大通りに出ると、大勢の人が行きかっており大変な賑わいを見せていた。
「わぁ、こっちは凄い人だね」
「この辺りでは一番大きな都市ですからね」
「先生はこの街にも来たことがあるんですか?」
ソフィが尋ねると、イサラは懐かしそうな瞳で小さく頷いた。
「えぇ、もう十年も前ですが、まだ生きていれば区長も知ってる人物です。聖堂は大通りの先のはずですよ」
「それじゃ、いきましょうか」
「にゃぅ!」
こうして一行は、この街の聖堂を目指して歩き始めるのだった。




