第24話「折檻」
ガントレット:レリックの宝玉に聖印が浮かび上がると、彼女を守るように伸びていた鎖が巻き戻りガントレットの中に消えていく。いつものように腰溜めに右拳を構えるソフィに、ギルースは大きな戦斧を構えて腰を落とす。
「うおぉぉぉぉぉ!」
ギルースは雄叫びを上げると彼の身体も輝き始めた。その様子を見守っていたイサラは目を細めて呟く。
「あの輝きだと三割ほどの強化でしょうか? あの山賊、なかなかやるようですね」
身体強化の輝きは強化の度合いによって輝きが変化する。大抵の人物は一割から二割程度の身体強化で限界を迎えるので、ギルースはかなり優秀な戦士であると言えた。四割以上になると肉体に相当な負荷がかかるため、有名な冒険者や英雄クラスの実力と才能が必要になってくる。
ソフィは地面を蹴って、一足で間合いを詰めると右拳が唸りを上げた。空気を裂いた音が響き渡り、なんとか躱したギルースは吹き飛ばされたように転がっていく。
「おいおい、冗談じゃねぇぜ……見えねぇぞ」
ソフィの拳が掠めた鎧に付いた黒く焦げた跡を触りながら、ギルースの頬には冷たい汗が流れた。彼は傭兵時代に幾多の戦場を渡り歩いており、英雄クラスにも何度も会ったことがある。
時に味方として肩を並べ、時に敵として相対してきたが、それでも彼は今日まで生き残ってきたのだ。自分の力にはそれなり自負もあるし、どんな相手でも戦えると思っていた。
しかし、目の前の光り輝く少女を見て思うのだ。
「こいつぁ……やべぇ」
頭の中では鳴り響く警鐘は今すぐ逃げろと言っていたが、こんなところで無様に逃げようものなら、頭としての面目が立たないと思っているのだった。
再び繰り出してきたソフィのパンチも何とか躱すギルース。彼女の攻撃モーションは非常にわかりやすいため、ギルースほどの実力者であれば攻撃の始動に合わせて動くことで、何とか反応できていた。
ギルースはソフィのパンチの打ち終わりに合わせて、カウンター気味に手にした戦斧を振り上げる。
「うおぉらぁぁ!」
しかし、その戦斧は虚しく空を切ることになった。先程までソフィがいた場所には、すでに光の残滓があるだけだったのだ。振り上げた肩越しに後方に飛び退いたあと、再びソフィが腰溜めに構えているのが見える。
「てめぇぇぇぇ!」
ギルースがそう叫んだ瞬間、彼の横腹に強烈な衝撃が走った。再び放たれたソフィの右拳が彼の右脇腹に突き刺さったのだ。上半身と下半身が裂け血と臓器を撒き散らしながら、半ば千切れそうになりながら吹き飛ぶと、地面に激突して動かなくなる。
「ぐぁっ!」
一瞬気を失っていたのかギルースはガバッと起き上がると、自分の腹の辺りを確かめる。
「た……確かに、腹が……どういうことだ?」
確かに痛みの記憶があり、服は血に塗れている。自分の身に起きた不可思議な状況と恐怖に怯え、ギルースはゆっくりと向かってくるソフィを睨みつけて叫ぶ。
「てめぇ、何をしたっ!?」
「大人しく悪いことはやめて貰えませんか?」
「ふざけ……ふぅっ!?」
ギルースが反論した瞬間、ソフィの拳が彼の顔面を捉え、再び血を噴き出しながら吹き飛んだ。
身を起こしたギルースは、今度は自分の顔を触って確認する。確かに潰れたはずの顔が元に戻っており、痛みも殆ど感じなかった。しかし全身を襲う倦怠感と得体の知れない恐怖が彼の身を包んでいく。
「ひぃぃぃ、わかったっ! やめてくれ、もうこんなことはしない!」
自分の前まで来たソフィに、ギルースは左手を上げて懇願する。ソフィはジッと見つめてから首を横に振る。
「……嘘ですね?」
「くたばれ! このアマァァァ……ガァァァ!」
ギルースは背中に隠していた大型ナイフを突き出したが、その刃が届く前に左のこめかみを打ち抜かれて再び吹き飛んだ。
「山賊稼業は、もうしないと誓ってください」
「ひぃぃぃぃぃ……」
この時点で、ギルースの仲間たちは「もう終わりだ~」などと叫びながら逃げだしており、ソフィたちのやり取りを見ていたマリアは、イサラの方を向いて尋ねる。
「聖女さまのアレって、悪さをした子供を叱りつけるぐらいのつもりでやってるんですよね?」
「えぇ、そうですね。いったい誰の影響でしょうか……」
マリアは顔を顰めると小声で呟いた。
「間違いなく、イサラ司祭の影響……」
「何か言いました、シスターマリア?」
「いいえ、何にも~」
マリアは凄い勢いで首を横に振っていると、ソフィが彼女たちの元に戻ってきた。
「終わりましたか?」
「えぇ、やっとわかってくれました」
イサラがチラッとギルースの方を見ると、抜け殻のような表情で神を讃えるように天を仰ぎ見ていたのだった。
◇◇◆◇◇
ギルース団を撃退したソフィたちは、そのまま北の街道に出ると道なりにギントの街に向かっていた。しかし途中で日が落ちてきたため、今夜はここで野営することになった。
街道から少し逸れた平地でソフィとマリアが天幕を張り、イサラが夕食の準備を進めている。結局付いてきてしまったレオは、イサラの横でハァハァと息を荒げ舌を垂らしながら待っていた。
「貴方の食事はありませんよ? 野生なのですから、自分で獲物でも獲ってきなさい」
「わぅ?」
つぶらな瞳で首を傾げるレオに、イサラは思わず言葉を詰まらせる。
「うぐ……仕方ありませんね、今日は貴方も頑張っていたので少しだけですよ?」
イサラは自分の鞄から干し肉を取り出すと、軽く火で炙ってからレオの前に置いた。レオは嬉しそうに一吼えすると、干し肉にかぶりつき始める。
「聖女さま~あのイサラ司祭がおかしいです! レオには優しいなんてっ」
「先生は誰にでも優しいよ、マリアちゃん」
「えぇ、嘘だ~」
マリアは即座に疑うが、イサラは眉を顰めて告げる。
「シスターマリアの干し肉は、彼にあげてしまいましたので貴女の分は肉抜きです」
「えぇ!? ひどい、ひどいっ!」
マリアは猛烈と抗議をするが、イサラはしれっと言い放つ。
「私は優しくありませんから諦めなさい」
「わぁ、嘘です。嘘ですよ~イサラ司祭は優しい人です」
そんなやり取りをしていると、街道の方から声が聞こえてきた。
ソフィたちがそちらを見ると、護衛付きの大きな隊商が止まっており、その中の一人が大声で何かを叫んでいる。やがて声が届いてないことに気が付いたのか、その男性は護衛と思われる青年を連れて近付いてきた。
「おーい、嬢ちゃんたち、こんなところで野営するなんて自殺行為だぞ」
話しかけてきた中年の男性は、上等な身なりから隊商の主の商人のようだった。
「どうしてですか?」
ソフィが首を傾げながら尋ねると、その男性はヤトサー山を指差しながら重々しい口調で言う。
「あのヤトサー山には、ギルース団って山賊が棲みついてんだ。あんたらみたいな美人は、攫われて慰み者にされたあげくに売られちまうぞ」
どうやら彼はたまたま発見した彼女たちを心配して、忠告に来てくれたようだった。ソフィは微笑みながら答える。
「彼らなら、もう大丈夫ですよ。きっと改心してくれたはずです」
その商人は首を傾げたが、すぐに首を振って声を荒らげる。
「何を言っているんだ、そんなわけあるか! あいつらのせいで、この街道は護衛無しで通行できなくなっちまったんだぞ」
その商人は空を見上げると、深くため息を付いた。
「お嬢ちゃんたちが攫われでもしたら目覚めが悪い、俺にはあんたらぐらいの娘がいるんだ。ちょっと早いが我々もここらで野営しよう。カール、構わないな?」
「あぁ、もちろんだ。マドランさん」
カールと呼ばれた護衛が頷くと、マドランが隊商に手を振る。隊商の使用人たちは馬車から降りて野営の準備を始めるようだった。
「じゃ我々はそこで野営するから、困ったことがあれば言ってくれ」
マドランは一方的にそう言うと、隊商のほうへ帰っていった。カールは、ソフィたちにウインクをする。
「いきなりで戸惑うと思うけど、マドランさんは困ってる人を見ると放っておけないんだ。それじゃ、何かあったら呼んでくれよな」
「カール! 何をやってるんだ、戻るぞっ」
「はいはい、待ってくださいよ」
マドランが振り返って怒鳴ると、カールは笑いながら返事をして小走りで戻っていった。
その背中を見送りながら、マリアは首を傾げながら呟く。
「なんだか変わった人もいるもんですね」
「えぇ、でも私たちのことを、本当に心配してくれていたみたい」
こうして聖女巡礼団は、マドランの隊商と共に野営することになったのだった。




