第20話「幻獣」
良く晴れた青空が広がる穏やかな日、青い空と朱に染まる美しい木々が並ぶ街道でその出来事は起きていた。
舞うように飛び交う白銀の鎖が光に反射して煌き、鎖が木々を掠めて紅葉が舞い上がっている。その木の下には、両手に盾を装備したマリアが倒れて目を回しており、イサラが彼女に治癒術を施していた。
街道上では光輝く白き聖女が踊るように身を翻している。
「な……なんなの、この子!?」
その聖女と対峙しているのは、黒い捩れた角と白く美しい鬣の小さな獅子だった。
◇◇◆◇◇
事の始まりは数時間前に遡ることになる。
三日ほど前、聖女巡礼団がサコロの町を出発する際、北への旅路にはしばらく町や村がないと聞いた一行は悩んでいた。山賊を避けて大きく迂回すると、半月ほどかかるという行程に耐え得る輸送手段がないためである。
一行の野営装備などの共有荷物は、殆どをマリアが持っており概ね五日ほどの荷物しか運べないのだ。そのことを知ったヒューズは喜んで馬を一頭譲ってくれたので、三人と一頭の旅になっていた。
馬にはイサラが乗っており、今回の行程に耐え得る分の水や食料なども一緒に積んでいる。先頭を行くマリアは前方に何かを発見したようで、指差しながら声を上げた。
「あっ、聖女さま。アレじゃないですか? ウェル男爵が言ってた背の高い木って」
ソフィが顔を上げると一本だけ背の高い木が立っており、その根元には左右に分かれる道が続いている。確かにヒューズが言っていた目印の木のようだ。マリアは地図を取り出すとクルクルと地図を回してから
「えっと、確か西は行けっていってましたよね? 西は……右ですね!」
「ちょっと待ちなさい、シスターマリア!」
ごく自然に違う道を進もうとするマリアに、馬上のイサラが慌てた様子で呼び止める。彼女は馬から降りるとマリアの地図をひょいっと奪い取って間違いを訂正する。
「その地図を左とか右で判断する癖を直しなさい。そっちの道は東です」
「えぇ~?」
信じられないといった顔で驚くマリアにため息を付きつつ、彼女の背嚢に地図を差し込むと肩を持って西へ続く道へと向ける。
「こっちです」
「よ~し、それじゃ行きましょう~」
間違っても気にせず進むマリアの元気な号令で、西の道を進むことにした聖女巡礼団は紅葉が綺麗な道を進んでいた。青い空と紅葉のコントラストが美しく、ソフィたちも見とれながら歩いている。
「綺麗なところだね」
「そうですね~……」
マリアはあまり興味がないのか気のない返事をしていた。それに気付いたソフィが心配そうに声を掛ける。
「どうしたの、マリアちゃん?」
「しばらく町とかないんですよね? また野営か~と思って」
「いつものことでしょう。我慢しなさいっ!」
馬上のイサラから怒られると、マリアは頬を膨らませて先程の道を指差した。
「だって、あっちの道なら三日ぐらいでギントの街に着くんでしょ? こっちの道だと半月ぐらい掛かるって言ってたし、その間ずっと町とか村はないんでしょ?」
「あちらの道は、山賊が出るらしいから迂回するしかないの我慢してね」
ソフィが窘めるようにマリアの頭を撫でると、膨らんだ頬がしぼんでいき気持ち良さそうにゆらゆらと揺れている。そんな二人にイサラは呆れた様子で微笑んでいた。
その時いきなり街道沿いの森からガサガサと音が聞こえたと思えば、一匹の獣がソフィたち目掛けて飛び出してきた。マリアは反射的に背嚢から盾を取り外すと、ソフィの前に出て正面に構える。
「聖女さまっ!? ……うきゃっ!」
突っ込んできた獣と正面衝突したマリアは吹き飛ばされ、木の幹に衝突して目を回してしまった。衝突した獣も同様に吹き飛んで、逆側の森に弾け飛んでいた。ソフィはガントレット:レリックを右手に装着する。
「先生は、マリアちゃんをお願いします! お願い、レリ君」
ソフィの呼びかけに応じたガントレットの鎖は、獣を捕えようと森に向かって伸びていく。イサラがマリアを回復するまでの時間を稼ぐつもりだったが、鎖に追われて飛び出してきた獣は左右に飛び跳ねて器用に躱していく。
「凄く速い……どうにか動きを止めないと!」
そう呟いた瞬間、獣は鎖を掻い潜ってソフィに襲い掛かかってきた。反射的に超過強化を使ったソフィは身を翻してそれを躱す。そして距離を取って対峙すると、ようやくその獣の正体がわかったのだった。
猫ぐらいの大きさだが、黒い捩れた角に美しく白い鬣を靡かせた姿はとても美しく、一目でただの獣ではないことがわかる。よく見てみると後ろ足に矢を受けており、白い毛並みを赤く染めていた。
「な……なんなの、この子!?」
「おそらく角獅子の幼獣です」
疑問に答えたイサラに、ソフィは顔を向けずに尋ね返す。
「レオンホーン?」
「魔獣とも聖獣とも呼ばれてますが獅子型の幻獣です。普通はこんなところにいないはずですが……気をつけてください。動きが素早いだけでなく鋭い爪と牙を持っている上、雷系の魔法も使いますよっ!」
その言葉に反応したように唸り声を上げていたレオンホーンが、ガァ! と一鳴きすると角が輝き出して、雷で出来たような矢がレオンホーンの周辺に浮かび上がった。ソフィが驚いた顔をすると、すぐに右手を前に突き出して叫ぶように唱える。
「あれは雷の矢!? 守護者の光盾」
マリアが使う守護者の光盾よりも、さらに大きく厚い五層の光の盾が展開されると同時に、そこに向かって複数の雷の矢が発射された。雷の矢は、使い手次第で巨大熊を一撃で屠るほどの威力がある魔法だ。しかしソフィが展開した光盾は、それ以上の硬度を持った鉄壁の盾である。
雷の矢を弾かれたレオンホーンは怒りの篭った咆哮をあげる。その咆哮に驚いた馬が嘶き、一目散に逃げ出してしまった。突然のことに一瞬そちらに視線を動かしてしまったソフィに、レオンホーンが飛び掛かってきた。
「……っ!?」
完全に反応が遅れたソフィだったが、ガントレット:レリックの鎖は勝手に反応しており、飛びついてきたレオンホーンの正面にクロスするように突き刺さる。それに対してレオンホーンは攻撃を止めて後ろに飛び退いた。
「がるぅるるるぅぅ」
牙を剥き出しにして唸り声を上げているレオンホーン。ソフィはじっとレオンホーンの青い瞳を見つめると、フッと力を抜いて両手を開いて攻撃の意思はないことを示した。
「……その足、怪我してるでしょ? 治してあげるからこっちに来て」
「猊下!?」
マリアを回復中のイサラが、ソフィの行動に驚いて叫ぶ。
「大丈夫! この子はきっと良い子だから……ほら、私たちは敵じゃないよ」
「ぐるるるるぅぅ」
唸り声を上げながらゆっくりと近付いてくるレオンホーン。イサラはすぐに飛び出そうとしたが、ソフィは右手を向けてそれを制すると首を横に振った。レオンホーンは近くまでくると、唸り声を上げるのをやめて彼女をジッと見つめている。
ソフィは微笑みながらレオンホーンの頬を撫でると、気持ち良さそうに目を細めている。
「それじゃ怪我を見せて」
「がぅ」
その言葉に反応するように、レオンホーンは矢が刺さっている左脚をソフィのほうへ向けた。
「やっぱり賢い子ね。ちょっと痛いだろうけど我慢してね?」
ソフィはそう言いながら、刺さっている矢を掴むと一気に引き抜いた。
「ぎゃんっ! ぐるるるるるぅぅぅ」
さすがに痛かったのか、再びレオンホーンは牙を剥き出して唸り声を上げ始めた。ソフィは微笑みながら患部に触ると、女神シルの息吹を発動させた。緑色の優しい光に包まれるとレオンホーンは唸るのをやめて、ソフィに甘えるように擦り寄ってくる。
「ごろろろろろ」
ソフィがレオンホーンとじゃれていると、復活したマリアとイサラが近付いてくる。
「猊下、大丈夫ですか? レオンホーンは無闇に人を襲うような種族ではありませんが、決して穏やかというわけでは……」
「わぁ、もふもふだ~」
イサラは警戒していたが、マリアは気にせずレオンホーンに抱きついた。
「しかし、こんなところにいるわけがないんですが……誰かが連れ込んだのでしょうか?」
「どうだろ? 矢が刺さっていたし、誰かに追われてるのかも?」
そのままソフィとイサラは周辺の森に気配がないか見回してみたが、それらしい気配は感じなかった。
「とりあえず、人はいないみたいだけど……この子、どこから来たんだろ?」
ソフィはレオンホーンを見つめながら呟くが、マリアはキャッキャとレオンホーンとジャレあっている。そして、イサラは馬が逃げていった方向を見るめると呟く。
「さて……これからどうしましょうか?」




