第18話「カナブス中毒」
跪いたヒューズにソフィは、困ったような顔をしていた。
トールスが語った話が少なくとも彼らに取っては真実であることを、ソフィは真実の瞳を通して理解してしまったからである。帝国の法に則れば、彼らが犯した罪は極刑に値するが、彼女は法を司る存在ではないのである。
「ヒューズ様……自領の民を救うためであっても、貴方が手を貸した麻薬の密造で多くの者たちが苦しんだのは疑いようがありません。その罪に対して私は皇帝陛下より賜った権限と、女神シル様の名の下に貴方を裁きます」
「覚悟は出来ております……この場で処刑するなり、帝都に引き渡すなりしてください」
ヒューズは覚悟を決めているのか、抵抗の意思は見せていない。ソフィは目を閉じて少し考えたあと告げた。
「しかし……罪を認め悔いている者を罰することを、慈愛の女神であるシル様が望まれるとは思えません。犯罪組織とは手を切り、カナブスの畑は全て処分してくれますね?」
思いがけぬソフィの言葉に、ヒューズは頬を濡らしながら頭を垂れると震えながら答える。
「は……はい、必ず! いえ、すぐにでも行うことを誓います」
ヒューズの懺悔の言葉に、ソフィが微笑んで彼の肩に触れた。顔を上げたヒューズは、その微笑に女神の存在を感じたという。
◇◇◆◇◇
ヒューズの懺悔から一時間後、彼と執事のトールス、そして聖女巡礼団はカナブスの葉を栽培している畑に来ていた。その前にある偽装のために植えられた麦畑の一部が、不自然な形で刈り取られており昨日の小火騒動を物語っていた。
ソフィたちがこの畑に来たのは、まず手始めに畑を焼いて処分するためだった。
「トールス、始めてくれ」
「はい、御領主様」
ヒューズがそう命じると、トールスは周りで控えていた兵士たちに合図を送るため手を上げた。その瞬間……
ヒュン!
という風切り音に反応してイサラが振り向くと、トールスの胸に矢が突き刺さっていた。イサラはゆっくりと倒れていくトールスを見つめながら
「シスターマリア、猊下をお守りなさいっ!」
と叫ぶと同時にトールスに駆け寄る。その声に反応したマリアは即座に盾を装着すると、盾を掲げて守護者の加護を発動させる。ドーム状の光の幕が展開されると同時に、上空からは無数の矢が降り注ぐ。
「ト……トールス!?」
突然の反応が遅れたヒューズも倒れたトールスに駆け寄った。すでにイサラが治癒術を施しているが効果が薄かった。治癒術は元々代謝を活性させるものであり、老齢のトールスには効果が薄いのだ。
ソフィが睨むように周辺を見ると、すでに畑を焼くために待機していた兵士たちの姿はなく、五十人ほどの男たちが、彼女たちの周りを取り囲んで徐々に近付いてきていた。それぞれが短剣や弓を持っており目が空ろの者も多い印象だった。
「何者だっ!?」
血の気がなくなっていくトールスを見つめていたヒューズが、怒りをそのままぶつけるように叫ぶと、取り囲んでいる者たちの中から一人の青年が歩み出る。金の短髪で白い羽付き帽子を被っており、青い瞳をしている青年は貴族が着るような上等な服を着ていた。
「勝手なことをされては困るんですよねぇ、ウェル男爵」
「お……お前は!? 確かカイト? よくもトールスをっ!」
「名前を覚えておいていただき、ありがとうございます。お会いするのは三度目ですな、男爵?」
ニヤついた顔をしてい話しかけてくるカイトに、ヒューズは苦虫を噛み潰したかのような顔をする。
「どなたですか?」
トールスに治癒術を掛けているイサラが尋ねると、ヒューズははき捨てるように答える。
「組織の幹部です。私にカナブスの葉の密造を提案してきたのも彼でした」
「なるほど……」
ソフィは右手にガントレット:レリックを装着しながら呟く。ヒューズはさらに怒鳴りつけるように問い質した。
「なぜ、貴様がこんなところにいる!?」
「貴方が我々を裏切ろうとしていたのは、前々から掴んでいました。困るんですよねぇ、勝手なことをされると……貴方と我々は仲間ではないですか? これからも仲良くやっていきましょうよ」
「まもなく南部街道へ続く道も開通する! もう貴様らの言いなりにはならんぞっ!」
穀倉地帯であるサコロと、ティミタの街を繋ぐ道はもう少しで開通予定だった。これによりサコロはカナブスの葉で縛られていた経済を脱す計画だったのだ。
カイトは呆れた様子で、両手を広げると首を横に振る。
「やれやれ……仕方ありませんな、ここで死んでいただこう。貴方の代わりなどいくらでもいるのだからな……やれっ!」
「おぉぉぉ!」
カイトの合図で周りを取り囲んでいた男たちが一斉に襲い掛かってきた。しかし、マリアが展開している守護者の加護が彼らの侵入を防いでいる。男たちは狂ったように光の壁を殴っている。
「この人たちなんか変ですよ~」
マリアが怯えたように言うと、イサラがトールスの治癒を続けながら答える。
「カナブス中毒者ですね。気を付けてください、常人より力が強いですし痛覚も鈍いです。骨を折った程度では止まりませんよ」
「私がいきます! マリアちゃんはヒューズ様と先生を守ってあげて」
「はーい、わかりましたっ!」
マリアは素直に答えたが、ヒューズは驚いた顔をして問いかけた。
「ふ……二人はソフィ様の護衛ではないのか?」
「えぇ、護衛ですよ。しかし、今は治癒術を止めるわけにはいけません」
イサラは首を横に振りながら答えた。
「聖女さま~そろそろ限界ですよ~」
正面だけに展開する守護者の光盾に比べると、広域に展開する守護者の加護は耐久性に欠けているため、こんな人数の攻撃をいつまでも耐えれるものではなかった。
ソフィは頷くと、腕をクロスさせて
「全ての元凶を断ちます……聖女執行」
と気合を入れると、身体強化の輝きが彼女を包みこむ。
「マリアちゃん!」
「は~い!」
マリアは元気よく返事をすると、守護者の加護を解除した。襲いかかっていた男たちは突然消えた壁にバランスを崩した。その前のめりに倒れかかった男の顔面に、ソフィは右拳を振り抜いた。馬車にでも撥ねられたように殴り飛ばされた男は、カナブス畑を三、四度跳ねると地面にめり込んで動かなくなる。
突然の出来事に半数近くは唖然としていたが、意に介さず狂ったように襲いかかる男たちもいた。完全に正気を失っている様子に、ソフィは眉を顰めながら右手を払うように振ると、ガントレットから伸びた鎖がその男たちを絡め取っていく。
ソフィは鎖を掴むと思いっきり振り回す。凄い力で振り回された男たちは、取り囲んでいた男たちと巻き込んで蹴散らしていく。
「うわぁぁぁ」
「ぎゃぁぁ!?」
次々となぎ倒されていく配下の者を見て、カイトは顔を顰めて後ずさる。
「アレは何だ、化け物か!? おい、お前たちそいつに構うな、男爵さえ殺ればいいんだよっ!」
目の前で繰り広げられる光景に戦慄が隠せないカイトは、狙いを当初の目的通りヒューズを始末することに変更した。
カナブス中毒者は恐怖を感じないのか、命令も聞かずにそのままソフィを襲い続けたが、正常な部下十五人ほどは、この命令を幸いとヒューズを取り囲んだ。ヒューズの周りには倒れているトールスに、彼の治療をしているイサラ、そして護衛に付いたマリアがいる。
「ちっ、またこの壁か!」
男たちは手にした武器でガンガンと光の壁を叩いているが、先程より範囲を狭めた守護者の加護はそう簡単に抜けるものではなかった。
「退きなさいっ!」
カナブス中毒者に取り囲まれているソフィは、まるでゾンビのように纏わりついてくる男たちを、鎖を上手く使いながら距離を保ちつつ一人ずつ吹き飛ばしていく。
モード拳ではないが、超過強化をしているソフィの一撃は、剛力無双であり骨は砕け散り血を噴き出しながら吹き飛んでいく。もっとも治癒拳撃を使っているため、吹き飛んだ先では傷一つない状態に戻っていた。
通常であれば死の恐怖や治癒術の発現時の疲労で動けなくなるのだが、カナブス中毒者にはそのような感覚がなく、スクッと立ち上がると再びソフィに襲い掛かるべく駆け出すのだった。




