第122話「聖女の悩み」
鈴鳴りの儀を執り行うことが決定した日の夜、兵士たちによって神殿が用意された。もっとも神殿と言っても土を盛って段を作り木材などで周りを固め、清めた後に天幕用の布を被せただけの急ごしらえなものだった。
今回は特定の死者がいないため、死者を安置する祭壇は用意されなかった。その代わりに一際大きな篝火が設置されている。神殿全体にも光源用の篝火が置かれている。
ソフィは儀式を執り行う準備のために、特別に用意された天幕にいた。準備には聖騎士団に随伴していた女性神官たちが手伝っており、彼女を鈴鳴りの儀用の祭服に着替えさせていた。
今回は正式に祭事用に使うもので、白を基調とした服に金の刺繍が施されており、手首や足首の他にも鈴が付けられている。
鏡の前に座らされているソフィは、髪を梳かれながら大人しく瞳を閉じていた。髪を梳いている神官は微笑みながら賛辞を贈る。
「猊下の御髪は凄くお綺麗ですね。とても旅を続けていた方の髪には見えません」
ソフィの髪は毛先が少し荒れているだけで、ほぼ完璧な状態で保たれている。これは彼女の持つ永続回復の影響で、髪が伸びすぎて毛先が死ぬまでは完全な状態を維持しているのだ。
「ありがとう」
褒められて悪い気はしないが、お世辞と思ったソフィは微笑みながら答える。そんな彼女に神官は手を差し伸べてくる。
「猊下、お手を拝借します」
ソフィが素直に手を差し出すと、神官は装飾が施された布製の手甲を彼女の手に通す。両手とも装着すると今度は片足ずつ差し出して、足首にも同じように布製の装束を着せられていく。ソフィは立ちあがると、手首を撓らせたり足踏みしたりして鈴の音を確認していく。
「うん、大丈夫みたい」
「では、こちらを」
神官は細長い羽衣をソフィの背中に回して手首の装飾に繋げていく。伝承にある女神シルの装束を真似たと言われている鈴鳴りの衣は、着ているだけで神々しさがあった。この衣装は女性の聖堂長以上のみが身に付けることを許された装束で、今ソフィが着ているのはカサンドラのために用意されていた物である。
ソフィは鏡の前で、全身を確認していくと納得したように頷いた。
「サイズが合うか少し心配だったのだけど……大丈夫みたいね」
「はい、大変お似合いでございます。それではしばらくお寛ぎください」
神官たちはソフィにお辞儀をすると天幕から出ていった。ソフィが精神を集中しながら待っていると、しばらくして純白の鎧に身を包んだフィアナが天幕に姿を現す。
「猊下、お待たせしました。準備が出来たとのことです」
「わかりました」
ソフィは席を立ち天幕を出ると、フィアナの誘導に従って用意された神殿に向かって歩き出した。
すでに篝火が焚かれており、聖騎士たちが神殿までの道を固めている。美しい衣装を着たソフィに感嘆の声も漏れるが神聖な儀式の前であり、ある程度の節度は保たれていた。
小さな階段の前でフィアナが横に逸れると、ソフィはそのまま壇上に上がり中央まで歩く。正面の一際大きな篝火のところにはカサンドラと何人かの神官が立っており、ソフィは彼女にお辞儀をしてからその場で跪き祈りを捧げ始めた。
「不幸にも命を落とした者たちの魂よ、慈愛の女神シル様の御許に……」
ソフィの祈りの言葉が始まると、観衆も一斉に黙祷を捧げる。
しばらくして祈りの言葉が終ると、ソフィはその場で立ち上がり振り向いて、黙祷を捧げている観衆の方を見た。そして両手を広げると手首を返して鈴を鳴らした。
シャリン!
その音を合図に観衆たちも目を開き、静かに壇上のソフィを見つめる。
こうして戦没者の魂を慰める鈴鳴りの儀が始まった。鳴り響く鈴の音に戦友の死を思い出し涙する者、炎の中で美しく揺れれるソフィの姿に感嘆の声を上げる者など、その反応は様々なものだったが一様にソフィへの敬意と、これから始まる戦への戦意は高まっていった。
「あいつにも見せてやりたかったぜ」
「あの方のためにも、我々が勝たねばならんのだ」
鈴鳴りの儀を見つめながら、騎士たちも決意を新たにしながら祈りを捧げていた。
最後に鈴鳴りの儀の終了を告げる一際大きな鈴の音が鳴ると、カサンドラが神官から手渡された松明を大きな篝火に投げ込んだ。特定の死者はいなくても、この火が死者たちの魂を女神シルの御許に送る送り火となる。
全神経を使って踊っていたソフィは、壇上の中央で立ちつくし息を整えている。そんなソフィにマリアがゆっくりと近付くと、彼女に大きな布を被せ腰に付けた水袋を彼女に差し出した。
「お疲れ様です、聖女さま」
「ありがとう、マリアちゃん」
ソフィが水を飲んでいると、アルバートが階段のところまで歩み出て観衆に告げる。
「大司教猊下の鈴鳴りの儀にて、我らが友の魂は女神シル様の御許に向かった。今は戦時中故に大きな宴は出来ないが、ささやかながら酒も用意した。今いる友と酒を飲み交わし明日への英気を養ってくれ」
「おぉぉぉぉ!」
騎士たちは拳を振り上げて、その意気を示して見せたのだった。
◇◇◆◇◇
そのまま宴が始まったがソフィとマリア、そしてレオは共に用意されていた天幕に戻ってきていた。永続回復の影響で体力的な消耗はないが精神的にはかなり疲弊しており、ソフィは椅子に深々と腰を掛けて休んでいた。
「なんだか疲れたわ……」
「大丈夫ですか?」
「えぇ、少し休めば大丈夫よ。マリアちゃんは何か食べて来たら? 宴だからいつもよりは多少は良い物なはずよ」
この軍は相変わらず物資不足が続いており、水はともかく糧食は日に日に厳しくなってきている。マリアはそのことによく不満を漏らしていたのだ。
「えっ? でも聖女さまの側にいないと」
「私は大丈夫だから行ってらっしゃい。ほら、レオ君は行く気満々みたいよ」
ソフィが入口の方に顔を向けたのでマリアも向けると、レオが入口のところでと息を切らせながら尻尾を振っていた。
「もうレオくんは仕方ないな~、それじゃちょっとだけ行ってきます。聖女さまの分も運んで貰えるように頼んできますから」
「えぇ、お願いね」
マリアは頷くとレオを連れて天幕を後にする。そんな二人を見送ってソフィは優しげに微笑むと、気を休めるように瞼を閉じた。
しばらくして天幕の外から若い男性の声が聞こえてくる。
「お食事をお持ちしました」
「はい、ありがとう。どうぞ、お入りになって」
どこかで聞いたことのある声にソフィが首を傾げながら答えると、天幕の入口が開き食事を持った男性が入ってくる。その顔にソフィは少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに体裁を整えてお辞儀をした。
「あら……アル様でしたか」
「おや驚かそうかと思ったんだが、あまり驚いてないようだね?」
「いえ、十分驚きましたよ。でも二回目ですからね、貴方が食事を持って来てくれたのは」
ソフィが笑いながら答えると、アルバートは少しバツの悪そうな顔でテーブルまで歩き、持ってきていた皿をその上に置いた。
「ありがとうございます」
「君がしてくれたことに比べれば、大したことはないさ」
アルバートはそう言いながら、ソフィとは対面の席に座った。
「まぁせっかくだから一緒に食べよう。君も少しは食べたほうがいい」
「えぇ、いただきます」
二人はアルバートの持ってきた食事を食べ始めた。食事の内容は炙った燻製肉に野菜を炒めたものを沿えたもの、比較的柔らかい白いパン、そして赤いワインだった。聖騎士団は元々質素な食事が多いが、最近はペースト状にした穀物や豆類ばかりだったことを考えれば、十分に豪華な食事だと言えた。
食事を取った後しばらく歓談していた二人だったが、ソフィの顔色があまり優れないことに気が付いたアルバートは、その訳を聞いてみることにした。
「やはり何か悩みでもあるようだね。私で良ければ話を聞こうか?」
「ありがとうございます、アル様。そうですね、貴方なら何か良い意見があるかも……実はエリザちゃんのことについて考えていました」
「エリザというと、あの謎の光を放っている可能性があるという少女のことかい?」
アルバートが首を傾げながら確認するとソフィは静かに頷いた。
「彼女を救う方法はないかと、ずっと考えているんです」
そう告白したソフィはこれまでの経緯を再び話し、アルバートに助言を求めた。しかしアルバートは困ったような顔をして答える。
「う~ん、私は呪いの類にあまり詳しくないのもあるんだが、出来れば怒らないで聞いて欲しい。もし彼女が光の正体だった場合、彼女は見捨てるべきだと思う」
「そんな……」
「わかって欲しい。私は一軍の将として、あのような危険な敵を放っておくことは出来ない。あの力は危険だ! 次に現れたときは私が自ら討ち取るつもりでいた」
真剣な表情のアルバートを見つめながら、ソフィは彼が本心から言っていることを見定めると肩を落として哀しそうな顔をする。エリザを救いたいと思うのは彼女の本心だが、それは多くの騎士たちを犠牲にする理由にはならないのだ。
「こんな時に先生が居てくれれば……」
ソフィが思いつめた表情で呟く。今までずっと彼女を支えてくれたイサラがいないことが、彼女を不安にしていたのだ。
その時である。微かな風が天幕の入口の布を揺らし、そちらから懐かしい声が聞こえてきた。
「いつまでも頼ってばかりではいけませんよ、猊下」
ソフィが驚いて顔を上げると、そこには待ち望んでいた者が立っていたのだった。




