第121話「四人の英雄」
ケイトルコ絶壁での敗北から数時間後、その報せはノイスたちがいる本陣に届けられていた。完全に優勢だったにも関わらず見事に罠にハマり先鋒隊は散り散り、聖堂派が用意した巨人兵も失ったと聞かされては、ノイスの怒りは頂点に達していた。
「貴様らぁ! この不信心者どもめ、なぜ神のために戦わぬのだっ!」
逃げ帰ってきた先鋒隊の副官に、ノイスは怒り任せに手にしていた金属製の杯を投げつける。杯は跪いていた副官の側に音を立てて跳ね返った。
「申し訳ありません、ダーナ聖堂長。しかし……」
「うるさいっ! 言い訳など聞きたくもないわっ!」
ノイスはふるふると震えながら椅子に腰を掛けると、歯軋りをしながら副官を睨みつける。側に座っていたシコウ将軍は、彼を落ち着かせようと酒の入った杯を差し出した。
「まぁまぁ落ち着いてください。巨人兵などいくら死んでも、我々には神がついているではないですか」
「……ふんっ」
ノイスは面白くなさそうに鼻を鳴らすと、受け取った杯を飲み干した。ウルド平原での戦いの最中、突如現れた光の柱を見たシコウ将軍はすでに新たな神の信奉者になっていた。
「しかし、あの方はお休みになっておる。カタルフも連絡が着かぬ。一体何をしているやら……」
「ふむ……では先鋒隊の失敗を踏まえてウルド平原まで戻り、そこで戦うとしよう。あそこなら今回のような伏兵は出来ないからな」
平地であれば巨人兵が自由に動くスペースがあるし、カタルフが用意した魔獣たちも使いやすかった。聖騎士団のような軍隊を持たない聖堂派にとって、それらが重要な戦力になっていた。
シコウ将軍の考えに、ノイスも概ね賛成して頷く。
「……我々も負けれない戦いだ。次は出し惜しみなしでいく。あのカサンドラだけは始末しなくてはっ!」
ノイスは吐き捨てるようにそう答えると、そのまま天幕の外に出ていくのだった。
◇◇◆◇◇
聖堂派の神官が護っている大きな天幕まできたノイスは、神官たちに目配せをして入り口を開けさせると、そのまま天幕の中に入っていく。
天幕の中はまるで外のように明るく、まるで神殿のような厳かな雰囲気が漂っている。
天幕の先には祭壇のような段差があり、そこに背の高い椅子が置かれている。その椅子に座っているのは薄く輝く少女で、その瞳は黄金色に輝いており髪の色は純白だった。
「シャロン様、ご気分はいかがでしょうか?」
「…………」
少女は何も喋らず、じっとノイスを見つめている。この少女が彼の元に届けられた時からこの状態だった。
彼女を神の子としてソフィの代わりに聖王に据えるのが彼らの目論見である。そのため彼女のことを女神シルの子であるシャロンの名で呼ぶことにしたのだ。もっともノイスは彼女の本当の名前など知らなかった。
彼女を担ぎ上げるにしても、これほど感情の起伏がないのでは使い物にならない。ノイスはすぐにカタルフに連絡をしたが、最終調整に向かうと返信があって以来返信が途絶えていた。
「このままでは、ただの生物兵器……使い物にならないではないか」
顔を伏せながらボソリと呟くノイスに対しても、少女は何も反応を見せない。一応最低限の言葉には反応するが敵味方の識別が出来ておらず、先のウルド平原の戦いでは敵ごと多くの味方を焼き払っている。
ノイスは顔を上げて少女を見る。ピクリとも動かない少女に顔を歪ませるが、すぐに穏やかな表情になると立ち上がった。
「シャロン様はお疲れのようだ。今しばらくお身体をお休めください」
ノイスはシャロンに背を向けると、ブツブツと何かを言いながら天幕から外に出ていった。
◇◇◆◇◇
その頃ソフィたちと民兵を中心にした後方部隊は、ケイトルコ絶壁を越えて敷設された陣地に来ていた。念のため敵方の後続部隊に警戒した布陣になっていたが、すでに敵方が進軍を止めていたことから、おそらくウルド平原まで撤退するだろうと予想されていた。
ソフィたちは本営になっている大きな天幕に訪れる。
「叔母様、ご無事なようで何よりです」
「あぁソフィ、よく来てくれました」
カサンドラはソフィに近付くと、彼女を思いっきり抱きしめる。解放されたソフィは、苦笑いを浮かべているアルバートにも挨拶をする。
「アル様もお怪我はないようですね」
「あぁもちろんさ、ところで後ろにいる方々は? そちらの令嬢は、確かティー家の?」
フィアナを見つめながら首を傾げるアルバートに、フィアナは会釈をして挨拶をする。
「はい、フィアナ・フェル・ティーです。お久しぶりでございます、公爵閣下」
フィアナはフォレストの街で聖騎士団に所属していた上、ティー家は騎士としてフォレスト公爵に仕えている家なので、以前からアルバートとも交流があったようだ。
ソフィは続いて、他の仲間たちも紹介をしていく。
「こちらは旅の最初から同行してくれているシスターマリア、そしてこちらの二人はモルドの民の姉妹でクレスさんとクリリちゃん」
「私はアルバート・フォン・フォレストだ。よろしく頼むよ」
アルバートは流すように一行を見ると、クレスのところで視線を止めて興味深そうに頷く。
「ひょっとして東の勇者クレス・モルガナ殿かな?」
「あぁそうだよ。お貴族様には知り合いはいないはずだがねぇ?」
クレスは怪訝そうに首を傾げる。彼女の人生の中で貴族と関わったことなど、ギルドを通した依頼と先のモルドゴル大平原の戦いの時ぐらいである。
「さすがに勇者と呼ばれる者ぐらいは知っているさ。東の勇者クレス・モルガナ、西の勇者ロビン・スフィールドの両名は有名だからね」
「西の勇者と一緒にされるのは何か嫌なんだが……まぁ貴族様にまで知られているのは悪い気はしないね」
ソフィはそんな二人を見てにっこりと笑うと、何かを思いついたように頷いた。
「東西の勇者に、北の若獅子、こうなってくると南にも何かいそうですね」
その言葉にアルバートとカサンドラが笑い始める。ソフィがキョトンとした顔で首を傾げていると、アルバートが笑いながら理由を話し始めた。
「あははは、そうか……君は知らなかったのか。まぁ白き聖女のほうが有名だからね。南は『南の白き聖女』だよ。つまり君のことさ、ソフィ。時々ルスランの四英雄だと評する吟遊詩人もいるんだよ?」
「えぇ!?」
ソフィが驚いていると、アルバートは口を押さえてている。ソフィは自分の評判にあまり興味を示してこなかったし、白き聖女までは耳にしたことはあったが、まさかそんな風に言われていたとは夢にも思わなかったのだ。
ソフィが少し恥ずかしそうにしていたが、一頻り笑うとアルバートは話を戻そうと一つ咳払いをした。
「さて我が友、実は君に頼みたいことがあるんだが」
「……なんでしょうか?」
アルバートは一度確認するようにカサンドラの方を向くと、再び視線をソフィに戻した。
「戦没者のために、鈴鳴りの儀を執り行って貰えないだろうか?」
「鈴鳴りの儀ですか? 死者を慈しみ女神シルの御許に送るのも、我々の約目ですから必要であればお送りしますが……」
ソフィは少し首を傾げながら答えた。戦没者を送ること自体おかしいことではなかったが、今はまだ戦時中である。通常であれば状況が治まったあと、落ち着いた状態で執り行うものである。
少し困惑した様子のソフィを見て、カサンドラが付け足すように告げる。
「しばらくしたら、おそらくウルド平原で再戦することになるわ。以前敗戦している場所だし、騎士たちも少なからず動揺している。だから彼らの戦友たちを、ちゃんと送ってあげたいのよ」
先のウルド平原での戦いでは逃げ出すのが精一杯で、戦死した仲間たちをちゃんと弔ってあげれていない。そのことが騎士たちの中でシコリのように溜まっていた。
もちろん聖女であるソフィが、鈴鳴りの儀を執り行うことによる士気高揚の狙いがないと言えば嘘になるが、その不安や憤りを少しでも解消してあげたいというのがアルバートとカサンドラの考えだった。
ソフィは少し考えてから、深く頷いて答える。
「わかりました。迷える死者の魂を女神シルの御許に送りましょう」




