第120話「ケイトルコの戦い」
ケイトルコ絶壁 ── ルスラン帝国中央部にあるケイトルコ山脈にある亀裂の名称である。元々は山脈を南北に走るただの亀裂だったが、今では整備が進んで拡張されており南部と北部を繋ぐ大動脈として活用されている。
アルバートが戦場に設定したのは、その断崖絶壁に挟まれた街道だった。この場所に聖騎士団一万とフォレスト公爵軍五千が陣取り、帝国軍の先鋒隊を迎え撃つ算段だった。聖女巡礼団は民兵を中心とした部隊と共に、後方支援としてルス平原の最南端にいた。
絶壁の上から街道を見下ろすカサンドラは、訝しげに首を傾げながら尋ねる。
「本当にこんな場所に来るのかしら? この場所は伏兵に適していると思うけど、敵もそれは承知でしょ?」
「アルカディア聖堂長。貴女はウルド平原での戦いをどう思った? 我々はあの閃光によって撤退を余儀なくされたわけだが、その前の敵軍はどう感じた?」
カサンドラが瞼を閉じてしばらく考えたあと、ゆっくりと目を開いて答える。
「烏合の衆だったわね。正直、兵の使い方がまるでなってなかった」
「そう……敵の大将が誰なのかは知らないが、正直言って彼らは素人だ。少し隙を作ってやれば必ず食いつく」
アルバートの立てた作戦は至極簡単なもので、このケイトルコ絶壁を通過中の敵軍を足止めして、岸壁上から攻撃を仕掛けるというものだ。単純であったが極力兵に被害を出さずに、巨大な体躯を持つ巨人兵を倒すには有効な策だった。
それ故にカサンドラは策の実効性については半信半疑だった。こんな作戦は誰でも警戒するものであり、敵軍が掛かるとは思えなかったのだ。しかしアルバートに説得されて、最終的には作戦の実行を了解していた。
「ソフィは連れてこなくてよかったの?」
「あぁ、彼女は優しすぎるからね。戦場はあまり似合わないだろう」
アルバートが少し遠い目をして答えると、見張りに立っていた兵が駆け寄ってきた。
「公爵閣下、来ました! 先の報告通りおよそ一万、巨人兵は二体です」
「わかった。それでは事前に通達してあった通りに動いてくれ」
「はっ!」
こうしてカサンドラの不安を他所にケイトルコの戦いが始まった。
◇◇◆◇◇
ケイトルコ絶壁の街道沿いには、すでに聖騎士団三千が簡易的な陣を築いており帝国軍を待ち構えていた。その布陣を見て帝国兵は、馬鹿にしたようにニタニタと笑う。
「おいおい……なんだ、ありゃ? あんなもんで俺たちを止めるつもりか?」
「はははは、そう言ってやるな。俺たちに蹴散らされて兵も碌にいないんだろ」
ウルド平原からの撤退戦で勝利したことや、巨人兵の存在で気が大きくなっているのか、帝国兵たちは何の警戒もせずにケイトルコ絶壁の中に侵入していく。聖騎士団の布陣が、寡兵で戦うには決して悪くない布陣であったことも、彼らの油断に拍車をかけたようだった。
十分に近付くと、この先鋒隊を指揮している隊長が突撃を命じた。
「あの程度の陣など、踏み潰してしまえっ!」
「うぉぉぉぉぉぉ!」
一斉に突撃を開始した敵を睨みながら、街道を防衛している聖騎士団を指揮しているアレクシオス・エス・アルカディアが、配下の騎士たちに確認するように問い掛ける。
「来るぞ、総員わかっているなっ!? 我らが聖女と信仰のためにっ!」
「おぅ!」
騎士たちは盾を掲げて構えると敵の突撃に備えながら応じる。そのまま正面からぶつかった両軍は、その場で乱戦になっていく。
帝国兵と聖騎士団の乱戦は、実力が上である聖騎士団がやや優勢といった感じで推移していく。それなりに広い街道だが両軍が広がれるほどではなく、結果として同士討ちを恐れた帝国軍は巨人兵は使えなかったのだ。
しかし劣勢であった帝国軍の隊長は兵たちを下がらせる命令を出し、代わりに巨人兵を前面に繰り出してきた。
「ウボォォォォォン!」
鈍い響きの雄叫びを上げながら吶喊してくる巨人兵に、聖騎士団の騎士たちも少し浮き足立つ。しかし部隊を指揮しているアレクは冷静に状況を見定め、剣を振りながら撤退の命令を出していく。
「撤退だ! 我々では巨人兵の相手は出来ない、撤退しろっ!」
「うわぁぁぁ!?」
帝国軍が下がっていたこともあり、聖騎士団は速やかに撤退を開始した。普通の将であればすぐに見破れる誘引行動であるが、帝国軍の隊長は慌てふためいて逃げる聖騎士たちを見て豪快に笑いながら追撃を命じる。
「よし、敵が逃げ出したぞ! お前たちも追うのだ。巨人兵の前には出るなよ!」
「おぉぉぉぉ!」
逃げながら岸壁上を見ていたアレクだったが、女神シルの御旗が振られているのを確認すると剣を振って騎士たちに命じる。
「ここだっ! 全軍反転っ!」
「女神シル様、悪しき者から我々をお守りください……守護者の光盾!」
聖騎士およそ三千が踵を返すと、一斉に守護者の光盾を展開した。数千もの光盾が展開して街道中心を埋め尽くし、帝国兵の侵攻を阻む。
いきなり現れた光盾にぶつかり、巨人兵もその場で足止めを喰らう。
「えぇい、小賢しい! そんな盾いつまでも張れるものではないわ。打ち壊せっ!」
帝国の将軍の言う通り守護者の光盾と言えど、術者の法力を消耗する以上いつまでも発動できるわけはなかった。しかし、アルバートたちにはその僅かな時間で十分だったのである。
「女神シル様、悪しき者から我々をお守りください……守護者の光盾!」
カサンドラが岸壁上から発動させた守護者の光盾は帝国軍の後方に展開された。それは巨大な光盾で、たった一枚で街道を覆うほどだった。これにより帝国軍は完全に囲まれる形になったのだ。
「そんなに耐えれないわよ!?」
「わかっている。全軍、放てっ!」
アルバートの号令により、それまで岸壁上に伏せていた聖騎士団とフォレスト公爵軍の兵たちは一斉に立ち上がり、油が入った樽や壷を投げ込み、そして火矢を崖下に向かって放っていく。
特に重点的に狙われたのは巨人兵で、あっという間に火だるまになって暴れ回り近くにいた帝国兵を薙ぎ払っていく。もちろん帝国兵も巨人や火に巻かれまいと逃げ惑うが、進退を断たれたケイトルコ絶壁内は阿鼻叫喚の様相になっていた。
「うわぁぁぁぁぁ!?」
「火がぁ火がぁ!」
「隊長!? 隊長はどこだぁ?」
しばらくして後方に展開していた守護者の光盾が消えると帝国兵は一斉に逃げ出したが、巨人兵は燃えながら壁に激突して動かなくなっていた。
この戦いで聖騎士団とフォレスト公爵軍の負傷者は百も満たなかったが、帝国兵の先鋒隊は多大な被害を被る結果になったのである。
◇◇◆◇◇
それから三時間後、後方に待機していたソフィの元にも聖騎士団勝利の報が届けられた。天幕に入ってきた騎士は興奮気味に報告を口にする。
「大司教猊下、お喜びください! 我が軍の完勝です!」
「そうですか……負傷者は多く出ましたか?」
「いえ、ほとんど出ませんでした。治療も終わっているとのことです」
その報告にホッと息を付いたソフィだったが、騎士は前線からの伝令を続ける。
「公爵閣下のご命令で、大司教猊下も後方部隊と共に移動して欲しいとのことです」
「わかりました。部隊長さんにも伝えてくれますか?」
「はっ!」
騎士は敬礼するとそのまま天幕を後にする。ソフィが少し疲れた様子で椅子に深く腰掛けると、頭にレオを乗せたマリアがお茶を運んできた。
「聖女さま、お疲れさまです」
「えぇ……ありがとう、マリアちゃん」
レオはマリアの頭から飛び降りると、ソフィの膝の上に飛び乗って寛ぎ始める。ソフィがクスッと笑ってレオの頭を撫でると、レオは気持ちよさそうにゴロゴロと鳴いている。
しかしピクッと体を震わせると、入り口の方をジッと見つめる。ソフィは首を傾げながら尋ねた。
「どうしたの、レオくん?」
「ワフッ!」
返事をするようにレオが吠えると、天幕の入り口から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ソフィ様、いらっしゃいますか?」
「えっ、この声は!?」
その声にソフィは勢いよく立ち上がると、膝の上にいたレオはピョンと跳ねて着地した。天幕の入り口の幕が開けられると、そこにフィアナ、クリリ、クレスの三人が立っていた。
「ソフィ様、只今戻りました!」
「おかえりなさい、二人とも! それにクレスさんも来てくれたんだね」
「あぁ、こっちのほうが面白そうだったんでねぇ」
クレスはニヤッと笑うとソフィと握手を交わす。フィアナとクリリはマリアやレオとの再会を喜びあっている。
こうして再びソフィの元にフィアナたちが戻ってきたのだった。




