第119話「陣内の日常」
聖騎士の隊長が目を覚ますと、そこは知らない場所だった。身体には力が入らず起き上がることも出来なかったが、首だけ横に振って辺りを見回す。
その部屋は大きな部屋で全体的に質素な作りだった。周りにはベッドがたくさんあり、彼の部下たちも同じように眠っている様子だった。彼は働かない頭で少し考えたあと掠れた声で呟く。
「ここは……?」
「あら、起きたの? 身体の調子はどうかしら? パパが治癒術を掛けたから、死ぬようなことはないと思うけど」
可愛らしい声と共に誰かが近付いてくる音が聞こえてきた。そして彼が何とかそちらを向くと、視界に小さなシスターが姿が現れた。
「……君は? ここはどこだ?」
「わたしはシスターレナ、ここはアリストの聖堂だよ。貴方たちは山で倒れていたのを、トンプさんが連れてきたの。一緒に来た人たちもみんな無事だよ」
「アリスト……?」
隊長はまだはっきりしない頭で考えようとしたが、まだ考えられる状況ではなかった。力を抜いて枕に身体を沈めると、入口の方からはっきりとした口調で女性の声が聞こえてきた。
「失礼するっ!」
ツカツカと歩く音から騎士や兵士だと感じた隊長は、何とか武器を取ろうとするがやはり起き上がることは出来なかった。レナは呆れた様子でそれを窘める。
「あぁ、無茶しちゃ駄目だって」
そんなやりとりをしている間に、声の主が隊長のところまで来てしまう。彼女は敬礼をすると彼に対して名乗った。
「私はアリスト騎士団所属レイナ・エル・シャクリルです」
「……聖騎士団小隊長カバルという」
緊張した面持ちでカバルと名乗った隊長に、レイナは優しく微笑み掛ける。彼が緊張しているのは無理もなかった。レイナは帝国騎士であり、帝国騎士と聖騎士団は現在戦争中なのだ。
「御心配ありませんよ。我々が領主ギント侯爵は、現在起きている内戦を静観することに決められました。このアリストの街にいる限り、貴方たちの安全は我がアリスト騎士団が保証致します」
「ギント侯爵が……」
「別の場所になりますが流れてきた帝国の兵も収容されてますので、決して騒動を起こさないようにお願いします」
レイナが鋭い視線でカバルを見つめると、カバルは息を吐いて口角を少し上げる。
「そんな気力があるように見えるか?」
「いいえ、念のために皆さんの武具は騎士団で預からせていただいています。まずは体調を整えられるといいでしょう」
「……何から何まですまないな」
カバルが感謝を述べながら頭を下げると、レイナは首を小さく横に振った。
「いいえ、大司教猊下には街を救っていただいた恩がありますので……それでは私はそろそろ行きます。何か用があれば、このシスターレナに言ってください」
「あぁ」
レイナは再び敬礼すると、その部屋を後にするのだった。
◇◇◆◇◇
その頃、モルドゴル大平原での戦いを終えたクレス、フィアナ、クリリは、ソフィがいるルス平原に向かって馬を走らせていた。
「まったく忙しないねぇ。私は冒険者であって、戦争屋じゃないんだよ?」
クレスが呆れた様子で言うと、フィアナは必死な顔で答える。
「ちゃんと報酬はお支払いします」
「ハッ! 冗談に決まってるだろう? 神子のことは知らんでもないしね。彼女の危機だって言うなら手伝ってやるさ。それに正直モルドゴル大平原では暴れ足りなかったしね」
クレスがおどけた態度で言うと、クリリはカラカラと笑う。
「あははは、クレス姉は相変わらずだなぁ。モイヤーも呆れていたのだ」
「ふん、面倒ごとは親父殿やリムロに任せておけばいいのさ」
モルドゴル大平原で勝利したモルドの民は、周辺の情勢に合わせて部族連合を維持することに決まった。そして盟主には一番強いクレスが指名されたのだが、彼女はそれを拒否して父と兄に押し付けて神子救出の名目で、フィアナやクリリと共に逃げて来たのだ。
ちなみにクリリは今回の功績で、モルガル族からの追放処分は撤回されていた。真の勇士であれば大抵のことは許されるのは、実力が全てのモルドの民らしい決定だった。
「クリリは終ったらどうするんだ?」
「もちろん冒険者になるぞ!」
「そうかい……私もハーランの街から出ないといけないだろうから、一緒に新天地に行くのもいいかもしれないねぇ」
「おー楽しみだなっ!」
そんな姉妹のやりとりを見てフィアナはクスッと笑う。そして、街道の先を見つめながら二人に告げる。
「全てはこの戦いが終ってからです。急ぎましょうっ!」
「あぁ、わかっているさ」
「おー!」
こうしてフィアナたちも、ソフィと合流するために馬を走らせるのだった。
◇◇◆◇◇
ソフィたちが、ルス平原で聖騎士団と合流してから数日が経過していた。彼女の治癒術のおかげで一命を取り留めた者も多く、彼女の奇跡とも言える治癒術を目の当たりにして、落ちていた士気も今や爆発寸前まで上がっていた。
さらに東西に布陣していた部隊が最低限だけ残し中央の本陣に戻ってきており、数だけ言えば三万程度まで膨れ上がっていた。
しかし民兵も多く、数が増えても謎の閃光はもちろんのこと、巨人兵すら相手には出来るような戦力ではなく、実質の戦力として数えれるのは聖騎士団一万と、フォレスト公爵軍の騎士五千程度である。
まだ薄暗い朝方、ソフィは目を覚ますと身支度を整えてから、レオに顔の上に乗られて唸っているマリアの体を揺らして起こす。
「マリアちゃん、起きて」
「うにゃ……おふっ!?」
マリアが目を覚ますと目の前は真っ白な毛で覆われており、彼女が驚きながら跳ね起きると、レオも飛び降りて欠伸をしながら後ろ足で首を掻いている。
「レオくん、顔の上で寝ないでって言ってるでしょ!」
「くわぁぁぁ」
レオはマリアの抗議も聞き流すように欠伸をしている。そんな二人を見守りながら、優しげに微笑むソフィが二人に挨拶をする。
「おはよう、マリアちゃん、レオ君」
「おはようございます、聖女さま」
「わふっ!」
いつも通りの穏やかな雰囲気だったが、一歩天幕から出ると外には四人の聖騎士が護衛についており、ズラーと並ぶ天幕にソフィの表情が陰る。
「おはようございます。大司教猊下!」
「おはようございます。皆さん、しっかり休んでくださいね?」
ソフィが寝ずの番をしている護衛騎士を気遣うと、騎士たちは感極まった様子で首を横に振る。
「いいえ、この程度の疲労など苦でもありません。猊下こそ、お身体にお気をつけくださいっ!」
姿勢を正して敬礼をする騎士に微笑むと、ソフィたちは本営になっている大きな天幕に向かうことにした。この野営地に来てから朝と昼、そして夜にも一度必ず訪れるようにしているのだ。
天幕に入ると、すでにアルバートとカサンドラが簡易机の上の地図を確認していた。
「叔母様、アル様、おはようございます」
「おはよう、ソフィ。よく眠れたかしら?」
「はい、何を見てたんですか?」
ソフィが近付いて地図を見下ろすと、地図の南端に敵を示すコマが置いてあった。ソフィは眉をピクッと動かしながら訪ねる。
「動きがあったの?」
「あぁ先程報告があった。ルス平原とウルド平原の中間辺りを北進しているようだ。このままでは五日も掛からず姿を現すだろう」
アルバートはいつもの少し戯けた様子はなく、一軍の将としての顔になっていた。彼の話ではこちらの斥候と遭遇したのは相手の先発隊で一万程度、鎧を着た巨人兵を二体連れているという。
「あの閃光を放つ敵が出て来る前に出来れば叩きたい。特にあの巨人兵は倒しておくべきだ。あの膂力も驚異だが、巨大な塊が暴れるだけで兵は萎縮してしまうからね」
「あんなものまで飼い慣らしているなんて、本当にあのノイスは碌なこと考えないわ」
カサンドラは歯軋りをしながら吐き捨てるように呟く。アルバートは野営地に置いてあるコマをレーキで押して、とある場所に移動させた。
「戦うなら、ここだろうね」
「ここは?」
「ケイトルコ絶壁さ」
ソフィが首を傾げながら尋ねると、アルバートはニヤリと笑って答えるのだった。




