第118話「到着」
ソフィとマリアはルス平原に辿り着いていた。そこではウルド平原から撤退してきた聖騎士団が陣地を築いており、ようやくカサンドラに会えるとソフィは安堵の息を付いた。
ソフィたちがゆっくりと陣地に近付くと、見張りに立っていた騎士たちが驚いて声を上げる。
「大司教猊下!」
「聖女様だっ!?」
その声に近くの天幕から、ぞろぞろと聖騎士たちが出てくる。誰も彼も疲れた顔をしており怪我をしている者も多かった。しかし、ソフィの姿を見ると手を振りあげて歓喜の声を張り上げる。
「聖女様だ! 聖女様がついに来てくださったぞ!」
「うぉぉぉぉ!」
ソフィの預かり知らぬことだったとは言え、彼らの戦いの目的は信仰心と彼女の権利を守ることである。その対象がついに姿を現したのだ。熱狂する聖騎士たちの中、作戦本部のある天幕に案内しようと見張りの騎士が道を開けさせる。
「さぁ大司教猊下。アルカディア団長がお待ちです」
「えぇ、ありがとうございます」
見張りの騎士に連れられて陣の中に歩いていくと、彼女がいる場所から歓声が広がっていく。マリアは自分のことのように自慢げに歩き、レオは周辺を囲まれていることに苛立ち、彼女の背嚢の上で唸り声を上げている。しかしソフィは他のことを気にしていた。
「怪我人が多いのね」
「えぇ、お恥ずかしいことですがウルド平原での敗戦以降、徐々に押し返されていまして……しかし、猊下が来てくれたのです。これからですよっ!」
嬉しそうに語る騎士だったが、怪我人が多いこと自体が異常事態なのを示していた。聖騎士は能力的には優劣があるものの治癒術が使える者が殆どである。聖騎士で構成される聖騎士団において、負傷者が放置されることはありえないことなのだ。
しばらく歩くと一際大きな天幕が見えてきた。そして、その前には騒ぎを聞き付けてカサンドラとアルバートが、ソフィを出迎えるためにすでに立っていた。彼女はソフィの姿を見ると駆け寄って抱き締める。
「ソフィ、久しぶりね。よく来てくれたわっ!」
「うわっ!? 叔母様もお久しぶりです」
いきなり抱きつかれたソフィは驚きながらも挨拶する。そして解放されると、今度はアルバートと握手を交わした。
「我が友、よく来てくれた歓迎するよ」
「アル様、本当に貴方も参戦していたのですね」
「あぁ、私にも思うところがあってね。まぁとりあえず中に入ろう。ここで話す内容でもないしね」
アルバートに誘われて、ソフィたちは作戦本部である天幕の中に入って行くのだった。
◇◇◆◇◇
天幕の中は大きな作戦机が置いてあり、その上にはこの辺りの地形が描かれた大きな地図が置かれていた。その周辺には事務を担当している神官たちが、ソフィを見て祈りを捧げるように傅いた。
カサンドラが右手を上げて人払いを命じると、神官たちは頭を下げて天幕から出て行く。彼女はソフィたちに席を勧めると自分も作戦机の席に着いた。
「さて、色々聞きたいことがあるのでしょ?」
そう切り出したカサンドラにソフィは大きく頷いた。彼女からすれば自分の知らないところで戦争が始まっており、いつの間にか問題の中心に担ぎ出されていたのだ、困惑するのは無理もない話だった。
カサンドラはノイスの提唱した『聖王』の制定についての説明から入り、現在の戦況などを続けていく。ソフィもそれを頷きながら静かに聴いていたが、中でもウルド平原での出来事は興味深く耳を傾けていた。
「ウルド平原でノイスたちが率いる軍と対峙した私たちは、数は少なかったけど優勢だったわ。でも突如現れた光の柱と、そこから放たれた閃光によって敵味方問わず多くの被害が出たの。私たちがいた本陣も危うく焼き払われるところだったけど、公爵の氷騎剣のおかげで助かったわ」
カサンドラは顔を顰めながら語り、アルバートはカチャっと自身の剣を鳴らす。あの瞬間もう少しで閃光が届くところで、彼は佩剣である『氷騎剣』の力を開放し巨大な氷柱を作り出し、閃光を捻じ曲げて被害を最小限にしたのだ。
「あの攻撃のせいで敵味方問わずに大混乱。このルス平原まで撤退してくるまでに半数近くが脱落したわ」
「撤退中に鎧を着た巨人兵なども現れて、かなりの被害が出てしまった。今は東西の押さえとして展開していた私の部隊と、民兵を再集結させているところだ」
カサンドラに続きアルバートが答えた。一通り話を聞いたソフィは哀しい表情を浮かべて確認するように尋ねる。
「お二人とも、やっぱりまだ戦うつもりなんですね?」
「当然だ、ここまで来て後には退けない」
「今まで虐げられてきた我が領の民のためにも、私もやめるつもりはない」
二人とも決意に満ちた表情で頷く。両名とも責任ある立場で、しっかり考えて行動している。
「私は大司教として何もしてなかった……」
先代の大司教である祖父に推挙されるまま大司教になったソフィは、これまでのことを振り返り呟く。それに対してカサンドラが首を横に振る。
「いいえ、貴女は居るだけでいいのよ。貴女の存在が皆の希望になる。特に今のタイミングでは来てくれたのことは、女神シルのお導きと感謝するしかないわね」
「どういうことですか?」
ソフィは首を傾げながら尋ねると、カサンドラは額に眉を寄せながら答える。
「あのウルド平原の光の柱を見た者の中に、あの光に『神を見た』と噂が囁かれるようになったの。それにより軍全体に動揺が広がっているのよ」
元々信仰心の強い聖騎士団である。あの光と力に神の存在を感じるのも無理はなかった。
そのため自身の信仰心が揺らぎ始めていたところに、聖女であるソフィが現れたことで再び士気が大幅に回復したのである。カサンドラでなくとも一軍を預かる身としては、これほどありがたいこともなかったのだ。
ソフィは釈然としないものを感じていたが、彼らには自分が必要なのだと言うことは理解していた。
「そう言えば閃光と言ってましたが、聖光による閃光でしたか?」
「えぇ、そうね……『女神に祝福されし扉』に似た感じだったわ」
カサンドラの言葉にソフィは、古城で出会った光輝く少女のことを思い出していた。彼女も神性の塊で同じような閃光を放っている。
「その光の柱は、ひょっとしたらエリザちゃんかも知れません」
「エリザ? いったい誰なの?」
カサンドラが首を傾げて尋ねると、ソフィは古城であった出来事を話していく。
「なるほど、カタルフがそんなことを……イカレた奴だと思っていたけど、そこまで狂っていたなんて……」
「ふむ、そうなると神という意見もあながち間違いではないな。まぁ、人造の神だがね」
神の創造という聖堂派の野望に、カサンドラも信じられない様子で首を横に振る。その力を目の当たりにしたアルバートは納得するように頷いている。
「状況はわかりました。……では、失礼します」
ソフィが席を立つと、カサンドラは少し慌てた様子で尋ねる。
「どこに行くの、ソフィ?」
「みなさんの治療です。たくさん怪我をした方がいるんでしょ?」
ソフィは振り返ってそう答えると、そのまま天幕の外に出て行ってしまった。カサンドラは安堵のため息をついたが、置いてかれてしまったマリアとレオは慌てて彼女を追いかけるのだった。
◇◇◆◇◇
西部の山道 ──
ウルド平原からの撤退戦で、本隊からはぐれてしまった聖騎士団の小隊は山道を徘徊していた。
「た……隊長、もう無理です。これ以上、歩けませんよ」
「馬鹿野郎、頑張れっ! もう少し歩けばきっと町や村があるはずだ!」
彼らは何日も迷っており、隊長の言葉には何の説得力もなかったが、それでも部下を励ますことしかできなかった。ウルド平原から命からがら逃げてきたところを巨人兵などに追撃され、本隊から離脱を余儀なくされた彼らは、碌な装備もなく山道を徘徊していたため体力的にも精神的にも限界だった。
ついに部下の一人が倒れると隊長は隊を停止させ、一口だけ残っていた水を部下に口に流し込む。
「おい、しっかりしろ!」
意識を失った部下の返事はない、次第に他の部下たちも体力の限界を感じて倒れていく。皆を励まし続けた隊長もやがて力尽きて倒れ込んだ。
「女神シルよ……我らもそちらに向かいます……」
もはや動き気力もなく瞳を閉じて暗闇の中で祈っていると、馬の蹄と何かを引き摺る音が聞こえてくる。そして、それが止まると男の声が聞こえてきた。
「おいおい、あんたら大丈夫か? あー……こりゃ、ダメだな。おい、みんな手伝ってくれ」
男の声に人の気配が増えると、今度は女の声が聞こえてくる。
「へぇ珍しいアンタが男を助けるなんて?」
「槍でも降るんじゃないか?」
「もう二人とも酷いですよ!」
女性たちの言葉に男はぶっきらぼうに答える。
「うるせぇよ。こいつら聖騎士だろ? 侯爵さんの依頼内容の一部だ。トンプさん、悪いけどアリストの町に運んでくれるか?」
「あぁ、構わないよ。でも、いいのかい? あんたらは逆方向だろう?」
「俺たちは馬車に乗せたら先に進むぜ、この有様じゃ急いだほうが良さそうだ。よっとっ!」
その男の言葉と同時に鎧を着たまま担ぎ上げられた隊長は、最後の力を振り絞って感謝の言葉を綴る。
「ありがとう……」




