第117話「第一次ウルド会戦」
時間は少し遡りモルドゴル大平原での動乱が始まったころ、南部の最北端ウルド平原ではカサンドラ率いる聖騎士団と、帝都に近付かせまいとする貴族が率いる帝国軍との戦いが始まっていた。
帝国軍の数はおよそ十万で貴族が保有する兵が主体となり、残りは金に物を言わせて雇った傭兵たちである。当初の予定ではこの場所を守る帝国軍に合わせて、ハーラン侯爵軍とギント侯爵軍が東西から押し寄せることで包囲網が完成する予定だった。
しかしハーラン侯爵はモルドゴル大平原で散り、ギント侯爵は動かなかったため聖騎士団と正面からぶつかる形になっていた。
帝国軍の後方にある高台に設置された天幕では、押され気味の自軍に対して苛立った様子で喚き散らす者がいた。恰幅が良く禿げ上がった頭が印象的な男性、アルカディア大聖堂の聖堂長ノイスである。
「何をやっておるか!? 貴様らの信仰心はその程度かっ!」
「はぁ……まぁ信仰心では勝てませんからなぁ」
怒鳴られているのは宰相ルーデルの配下で、この軍を任されている指揮官シコウ将軍だった。なぜ上位神官であるノイスがこのような前線に来ているかと言えば、聖騎士団の襲来に対して彼の取った行動に起因する。
彼は迫り来る聖騎士団に対抗するために、ルスラン皇帝に帝都を守る皇軍を出撃させるべきだと進言したのだ。しかし、皇帝からは「聖堂長と宰相で何とかせよ」と断られてしまう。
それを受けた宰相のルーデルは、ノイスに向かって「此度の戦いは、貴様が元凶なのだから自力で対処せよ」と命じた。所謂トカゲの尻尾切りである。ルーデルは帝都や自身の権力に被害が及ぶ前に元凶であるノイスを差し出すことで、今回の内戦を終息させようとしたのだ。
一応体面を繕うために派遣されたのがシコウ将軍だったが、指揮官としての資質は二流で北の若獅子アルバートには遠く及ばず、ルーデルからすればこの戦で失っても困らない人材だった。
この状況に苛立ちを募らせたノイスは、ギリギリと歯軋りをしながら
「こうなれば、あの方の力を示すしかないかっ!」
と吐き捨てるように言うと、そのまま本部になっていた天幕を飛び出て、自身の天幕に向かうのだった。
◇◇◆◇◇
対するカサンドラとアルバートは、逆側の高台で戦の推移を見つめていた。
「醜い軍ね。あれじゃ寄せ集めじゃない」
「あぁ数だけ揃えたと言った感じだね」
戦力比は三倍以上あるにも関わらず、相手の軍は統制の取れた動きが出来ておらず、聖騎士団と当たった端から潰走しているような状況である。元々主力が戦の経験がない貴族の配下や、金に雇われた傭兵なのだから、カサンドラが寄せ集めと比喩するのも仕方がなかった。
「あの掲げている旗はどう思う?」
アルバートが指差すと、カサンドラは対岸の高台に掲げられている旗を見る。赤地に金の刺繍で女神の横顔が描かれている大旗『女神シルの御旗』と呼ばれるシルフィート教の旗である。聖騎士団も同様の旗を使っているが、こちらは青地に白い刺繍が施されている。
「赤地に金の刺繍は大司教のみが使うことを許される旗よ。あの子があちら側にいるとは思えないから、おそらくノイスがいるわね。あんな恥知らずのことができるのは、あいつしかいないわ。あの小心者のノイスが前線に出て来ているのは謎だけど、たぶん帝都で何かあったんでしょうね」
アルバートは何度か頷くと、改めて確認するように尋ねる。
「目的のノイスを倒したらどうする?」
「もちろんこのまま帝都まで行くわ。皇帝陛下があの子の追放処分を取り下げるまで、この戦いは終らないもの」
大司教であるソフィの復権と帝国内に蔓延する膿を絞り出すのが、彼女たちが起こした聖戦の大義名分だった。フォレスト公爵であるアルバートが、彼女に協力しているのもそれが理由である。
「それなら、この戦場は早めに突破したいものだね」
アルバートがそう呟いた瞬間、戦場の方でどよめきが起きていた。カサンドラは怪訝そうな顔でそちらに視線を送る。
「な……なんなの?」
カサンドラは戸惑いながら呟く。女神シルの御旗が掲げられている場所に、突如巨大な光の柱が打ち上がっていたのだ。
「『女神に祝福されし扉』に似ているけど、あれほど巨大な物はソフィにしか……」
カサンドラは信じられない物を見た感じで首を横に振っている。そして、その光の柱が消えたかと思えば、突如そこから巨大な閃光が放たれた。その閃光は戦場を横断するように走り、敵味方問わず数多な悲鳴が聞こえてくる。
「なっ!?」
この攻撃には、さすがのアルバートも驚きの声を上げた。幾多の戦場で活躍した彼でも、このような攻撃は初めて受けたのだ。
「これはマズイ! とにかく撤退よ、撤退させなさいっ!」
「はっ!」
敵味方問わず降り注ぐ閃光に、これ以上の被害を恐れたカサンドラが近くにいた聖騎士に命じると、彼は敬礼をして撤退を報せる鐘を叩きに向かった。
「危ないっ!」
アルバートの言葉にカサンドラが振り返ると、その眼前には眩いばかりの閃光が迫ってきていた。
◇◇◆◇◇
その頃、イスコロの町ではキースが目を覚ましていた。まだベッドから起きることは出来ず、一度千切れた左腕は殆ど動かない彼を、イサラは甲斐甲斐しく世話をしている。
キースはベッドの上でニヤリと笑いながら、イサラを気遣うように言う。
「あんたのような美人に世話されるのは悪い気分じゃないんだが、あの子たちのところに行ってやりなよ。俺は大丈夫さ」
「碌に歩けもしないのに何を言っているの。猊下たちならきっと大丈夫」
呆れた口調で言うイサラだったが、明らかにソフィたちを心配した様子であり、その本心を隠しきれていなかった。キースも呆れた様子で首を横に振ると、彼女に聞こえないような呟く。
「……頑固なのは昔から変わらねぇな」
「何か言った?」
「いや、何でもねぇよ。歩けねぇって? まぁ見てろ」
キースはそう言うと、ゆっくりとベッドから這い出てからベッドの端を掴んで立ちあがる。イサラは目を見開いて驚いたが、キースは立ち上がっただけでプルプルと震え額からは脂汗が溢れている。
「ほら、まだ無理よ」
「触るんじゃねぇ!」
イサラが止めようとするとキースは眉を吊り上げて怒鳴りつけた。イサラはその場で立ち止まる。そしてキースは一歩、また一歩とゆっくり歩き出した。
「あ……歩けるだろ? 俺のことはいいから行けよ。いくら強くてもあの子たちは子供だ、アンタの助けが必要なはずだ」
「……わかったわ」
キースの覚悟を見せられて、イサラの覚悟も決まったのか力強く頷く。それを聞いたキースはフラフラと倒れながらベッドの上に座る。それを心配そうに見つめるイサラに、キースは優しげに微笑み掛ける。
「そんなに心配するなって、あと数日もありゃ動けるようになるさ。それより……」
キースはベッドの近くに、立てかけてあった魔剣『魂喰らい』を手に取ると、それをイサラに差し出した。
「こいつを持っていきな。たぶん何かの役に立つだろうさ」
「えっ、でもこれは貴方の商売道具でしょ?」
イサラが遠慮して首を横に振ると、キースは真っ直ぐにイサラを見つめながらさらに突きつけた。
「いいんだよ、俺は目的を果たしたんだ。アンタらのお陰でな。それにこの腕だ、この稼業も廃業だろうさ」
キースが自身の左手に視線を落としながら答えると、イサラは静かに頷いて剣を受け取った。
「必ず返しにくるわ」
「あぁ、期待しないで待ってるよ」
イサラは纏めてあった荷物を引き出すとそれを肩に掛ける。行くのを否定していたわりに、しっかり準備はしてあったイサラにキースはクスッと笑う。
「宿の人には言っておくから、大変な時は助けを呼ぶのよ?」
「あぁ、大丈夫さ。早く行けって」
イサラは頷いて踵を返して出口に向かった。しかし一度だけ振り返るとキースに尋ねる。
「キース、本当に記憶が戻ってないの?」
「ん? またその話か、すまないが何も覚えてないな」
キースが顎を擦りながら首を傾げると、イサラは静かに頷く。そして「そう……」と一言口にして、そのままドアから出ていった。
イサラは宿屋の女将にキースの世話を頼むと、そのまま宿屋の外に出ていく。そしてキースがいる二階の部屋を見上げながらクスッと微笑んだ。
「嘘をつく時に顎を触る癖は、相変わらず直ってないみたいね」
そう呟いたイサラは、ソフィたちと合流するために西に向かって歩き出すのだった。




