第112話「別れ道」
各地では様々な思惑が錯綜していたが、ソフィたちはイスコロの町から出発しようとしていた。三組に別れソフィとマリア、そしてレオはカサンドラに会いに西に向かい、フィアナとクリリはフォレスト公爵領を目指すために、中継地であるハーランの街がある北東に向かった。
寝たきりのキースの世話をするためにイサラは町に残ることになっており、出発しようとしているソフィたちを見送りに町の入口まで来ていた。フィアナたちは前日に出発している。
「猊下、道中は十分に気を付けてください。何しろ戦場の近くに向かうのですから」
「わかってますよ、先生」
心配そうな表情を浮かべる彼女にソフィは笑いながら答える。そんな二人にマリアは胸を張って自信満々に答える。
「大丈夫だよ、イサラ司祭! わたしやレオくんもいるんだしっ!」
「がぅ!」
マリアが背負っている背嚢の上でレオが吠えるが、イサラは呆れた様子で首を横に振る。
「だから心配なんですよ。シスターマリア、猊下に迷惑をお掛けしないように!」
「え~わかってるよ~」
「がぅがぅ」
イサラの心配を他所にマリアの態度はいい加減なものだったが、レオは「一緒にするな」と言わんばかりに吠えている。イサラのこめかみに青筋が立ったことに気が付いたソフィは、二人の間に割って入って落ち着かせる。
「落ち着いてください。大丈夫ですよ、先生」
ソフィに窘められて、イサラは一度深呼吸をして心を落ち着かせる。
「キースが起きたら、私もすぐに向かいますから」
「はい、待ってます。……それじゃ、そろそろ行きますね」
ソフィは肩掛けカバンを肩に掛け直すと、イサラに背を向けて歩き始めた。その後を、背嚢にレオを乗せたマリアが付いていく。イサラはそんな二人と一匹を少し寂しそうに見つめていた。
◇◇◆◇◇
それから数時間後、マリアは上機嫌に鼻歌を歌いなら歩いていた。地図を見ていたソフィは首を傾げながらマリアに尋ねる。
「マリアちゃん、上機嫌だね?」
「それはそうですよ、聖女さまっ! 何と言ってもあの煩いイサラ司祭がいないんですよ? とても自由を感じてます~」
その場でクルクルと回って全身で喜びを表現しているマリアにソフィは苦笑いを浮かべていたが、突然グルグルと回されたレオは機嫌が悪そうに歯軋りをすると、マリアの頭を経由して地面に降りた。
「ふぎゃ……レオくん痛いよ~」
マリアの抗議にレオは鼻を鳴らすと、ソフィの足元に近付いて自慢の鬣をソフィに擦り寄せていく。
「どうしたの、レオ君?」
「にゃふ~」
甘えたような声を出すレオに、ソフィは微笑みながら尋ねる。
「お腹すいたのかな? この先に小川があるみたいだから、そこで休憩してお昼にしようか?」
「がぅがぅ!」
しばらくして地図に記されていた小川を見つけたソフィたちは、そこで昼食休憩を取ることにした。ソフィが石で簡単な囲いを作っている間に、マリアが近くに生えている木から薪になりそうな小枝を集めてくる。レオもマリアについて枝を咥えてきていた。
焚き火を囲むように手頃な岩を置いて布を被せて即席の椅子に変えると、そこに座って火を起こし始める。旅も随分長くなっていたので、イサラがいなくてもこの程度の準備はお手の物である。
ソフィが火を付けると、マリアが小川からポットに水を汲んできた。
「聖女さま、水を汲んきましたっ!」
「ありがとう」
マリアからポットを受け取ったソフィは、それを火に掛けて沸かし始める。その日の昼はイサラがサンドイッチを用意してくれていたので、肩掛けカバンから取り出してマリアに渡していく。レオにはカバンからレオ用の燻製肉を取り出して与える。
「わーい」
「がぅがぅ」
嬉しそうに受け取るマリアたちだったが、その後のソフィの言葉に一瞬で凍りついた。
「用意してくれたのはこれだけだから、夜からは交代で作ろうね」
「えっ!?」
その言葉に固まったマリアは、手にしたサンドイッチを落としてしまった。レオはその隙を逃さず、そのサンドイッチを咥えて駆け出す。
「あぁぁぁ! レオくんっ!? それ、わたしのお昼だよっ!」
「ぐるるる」
あっという間に逃げていったレオを追いかけようとしたマリアだったが、あまりの速さにとても追いつけそうもないと思い、がっくりと肩を落として座る。そんなマリアにソフィは自分のサンドイッチを差し出した。
「はい、マリアちゃん。これを食べていいよ」
「でも、それじゃ聖女さまが……」
さすがに遠慮するマリアにソフィは無理やりサンドイッチを渡すと、肩掛けカバンから干し肉を取り出した。正直保存を優先した物で、料理しないとしょっぱいだけの堅い肉なのだがソフィは特に気にしてないようだった。
「私はこれで大丈夫だから」
そしてお湯の沸いたポットを持ち上げると、ティーポットに注いで少し蒸したあとカップにお茶を淹れていく。お茶が入ったカップを傾けてお茶を飲むと、ソフィは微笑みながら答える。
「でも、ちょっと喉が渇くのが欠点だね」
「聖女さま~」
マリアはソフィの好意に感激した様子でサンドイッチを食べ始めた。その後しばらく休憩して出発しようとすると、こっそりとレオが茂みから出てきた。
「レオ君、マリアちゃんの食べ物盗っちゃ駄目だよっ!」
「なぁ~」
ソフィに叱られたレオは顔を落として、トボトボとマリアに近付いて鼻で突く。そんなレオにマリアは頭を撫でながら優しく微笑む。
「大丈夫、レオくん! わたしは怒ってないよっ……痛った~!?」
マリアが寛容さを見せた瞬間、彼女の手がガブリと咬まれていた。しかし甘噛だったようで、彼女の手に傷などは出来ていなかった。
「も~……レオくんは本当に可愛くないな~」
「ふんっ!」
レオは鼻を鳴らすとマリアの背嚢を駆け上がって上に登る。その様子にソフィは呆れながら、イサラはいつもこんな気持だったのかと思い少しだけ笑った。
「それじゃ出発しようか?」
「はーい!」
「がぅ!」
こうしてソフィたちは、再び北西に向かって進み始めたのだった。
◇◇◆◇◇
それから数日後、フィアナとクリリが馬に乗ってハーランの街を目指していた。クリリはファザーンに乗っていたが、フィアナはイスコロの町で新しく買った馬に乗っている。
フィアナは併走するクリリに声を掛ける。
「クリリ、ソフィ様たちは大丈夫かな?」
「おー神子なら、どんな奴でも一発で倒しちゃうぞ」
クリリは能天気に笑いながら答える。フィアナもソフィの強さは信じていたが、事があまりにも大きくなりすぎていて不安を感じていたのだ。
二人が丘の上まで登ると眼下にハーランの街が見えてきた。相変わらず広がる水平線の青と、赤い絨毯のような屋根が美しい街である。
「やっとハーランね」
「そうだな~」
「クリリ、ちゃんとやることは覚えている?」
「おーもちろんだ、クリス姉と話すんだぞ」
あまり緊張感がない返事だったが、やるべきことはわかっていることに安心したフィアナは小さく頷くと、馬の腹を優しく蹴って進みはじめる。
「それじゃ急ぎましょう。事態は刻一刻と悪い方に進んでいる気がするわ」
「おー!」
クリリは返事をしながらファザーンの首を叩くように触れて合図を送る。二人はそのままハーランの街に駆け下りていく。
しかし街に入る前に問題が発生した。正門の前で並んでいる民衆を見て、フィアナが「このままではマズイ」とようやく気が付いたのだ。外套で隠しているがフィアナの服や鞘には聖騎士である紋章が施されている。
ハーラン侯爵は聖騎士団を率いるカサンドラと、それを助けるフォレスト公爵とは現在敵対関係である。そのため聖騎士であるフィアナは、正体がバレると捕まってしまう可能性が高かった。しかしクリリもモルドの民丸出しの格好をしているため、シルフィート教の加護なしでは止められてしまうかもしれない。
「おい、あんたら……」
どうやって街に入ろうかと困っていると、いきなり男性が声を掛けてきたので二人は慌てて振り向いたのだった。




