第11話「雷の如く」
目の前のアンデッド・トロルは騎士団の攻撃と、イサラの浄化の光のダメージで足が膝から溶け落ちて崩壊しており、全長は四セルジュ(メートル)程になっている。しかし、それでも見上げるほどの巨大さだった。
「猊下、治癒拳撃は……」
「わかってます。聖女でも、死者は治癒できないから……」
ソフィは少し伏し目がちにそう答える。彼女は心のどこかでトロルも救いたいと考えていたのだ。
治癒拳撃 ── 治癒術が込められたソフィの一撃、身体強化よって上がり過ぎた殺傷力を緩和するスキル。致命傷を与えても瞬時に傷を回復せてしまう。ただし、実感として『死のイメージ』と治癒時の疲労ダメージが残る。しかしアンデッド相手では、治癒術を施しても効果は発揮しないので、今回のケースでは不要なスキルだった。
イサラは、冒険者時代の経験から助言を続ける。
「核を狙ってください! おそらく心臓部です! 」
「わかりました、先生!」
返事をした瞬間、地面を蹴ったソフィはフッとその場から消え、アンデッド・トロルの胸の辺りに現れる。
「やぁぁぁ!」
気合の掛け声と共に繰り出される輝く拳の一閃。しかし動物的反射なのか、トロルは胸部を守るように左腕を振り回した。
バンッ!
ソフィの拳を受けた左腕は、まるで水風船でも割れるような音と共に弾け飛ぶ! 反動で上空に吹き飛ばされたソフィは、バランスを崩しながら落下してくる。しかし痛みを感じないトロルの動きは止まらず、掬い上げるようにアッパーを繰り出してきた。
その拳は轟音と共に、ソフィがいた場所を通りすぎ天高く突き抜ける。
その攻撃が巻き起こした風で、目の前で起きていることが理解できず、唖然としていたレイナはようやく意識を取り戻した。
「ア……アルカディア猊下!?」
「猊下なら、大丈夫ですっ!」
イサラが自信を持って叫ぶと、振り上げたトロルの右手を指差す。その右手からは細い鎖が伸びており、その拳より遥か高くにソフィがいた。どうやら落下しながらモードチェンジして、トロルの手に巻き付けることで体勢を立て直したようだ。
ソフィは拳をトロルに向けると叫んだ。
「モード:拳!」
宝玉が輝くと急速に鎖を巻き取り始め、まるでスリングショットの弾のように、ソフィをトロルに向かって撃ちだした。
ドゴォォォォォォォォン!
光輝くソフィはまるで雷のようにトロルの右手を破壊し、そのまま頭部から胴部、そしてそれを覆っていた鎧すら貫き地面に着地した。激しい音と共に粉塵が巻き起こる。
両腕に頭部すら失い、すでに原型を留めてないアンデッド・トロルは、今の一撃で核を失ったのか、体が維持できずボロボロと崩壊していく。
ソフィはその場から飛び退くと、その上からトロルが着ていた鎧が落ちてくる。
「お見事です、猊下」
戻ってきたソフィをイサラは微笑みながら賞賛する。レイナは目の前で起こった出来事が、理解できないといった様子で首を横に振るだけだった。
◇◇◆◇◇
アンデッド・トロルを討伐してから三日が経過していた。街では騎士団がトロルを倒したとして、大盛り上がりを見せていた。
あの日トロルを倒したソフィはイサラやマリアと共に、現場に倒れていた騎士や兵士たちを治療して回った。騎士団の隊長は馬に潰されて気絶しており、治癒術を施すとその場から飛び起きた。そして辺りをキョロキョロと見回し、崩壊したトロルを見つけ勝どきを上げた。
「我々の勝利だっ!」
まるで自分の手柄のように振舞う隊長に、騎士団の中で唯一事実を知っているレイナは何かを言おうとしたが、ソフィは彼女を止めて首を横に振った。
その後、街に戻ったソフィたちは騎士団から協力の報酬として、三人で銀貨五枚を貰うことになり、感謝を述べて騎士団の詰所をあとにしたのだ。
そして三日間、教会の宿舎で疲れを取ったあと、旅支度を整えるために街の市場に繰り出している。ソフィに同行しているのはマリアとレナの二人で、イサラは教会の関係者から各地の情報などを集めるために残っている。
「聖女さま~まずは何を買いましょうか~?」
「ソフィさま~あっちに良い店があるんです~」
「二人ともあんまり引っ張らないで~」
マリアとレナに両脇を固められたソフィは、困ったような表情を浮かべていた。レナは優しくしてくれたソフィにたいへん懐いており、マリアも監視者がいないうちにソフィに、いっぱい甘えようとしているからである。
「とりあえず、携帯食と西方の地図が必要かな? 他には何か良いものがあれば……」
「携帯食ならチーズがいいです、チーズ!」
「地図屋ならあっちでみましたよ、聖女さまっ!」
レナとマリアはこんな調子で、先程からソフィを取り合っては喧嘩を始めるのだ。
「聖女さまを離しなさいよ、ちびっ子っ!」
「そっちだってソフィさまを引っ張らないでよ、赤毛っ!」
ソフィが左右に引っ張られながらゆらゆらと揺れていると、目の前から見知った顔が五名ほどの兵を引き連れて近付いてきていた。
「アルカディア猊下」
そう声をかけてきたのは、トロル戦でソフィたちの護衛をしていたレイナだった。少し暗い顔をしているのは、自身が所属する騎士団の振る舞いが気に入らず、ソフィに対して申し訳ない気持ちがあったからだった。
ほぼ一人の力で討伐を成し遂げたソフィを差し置いて、騎士団は手柄は自分たちのように喧伝している。しかしソフィはその振る舞いを気にしておらず、逆に憤慨しているレイナに「みんなが幸せそうなら問題ない」と嗜めるほどだった。その為レイナもそれ以上は何も言えず、悶々と憂鬱な気持ちを溜め込んでいるのである。
「シャクリルさん、何かあったのですか? お急ぎのようですが」
「いいえ、大したことでは……城門に野盗のような者が現れたとかで」
「えっ!? この街に野盗!?」
街に野盗が現れたという報せに、レナが一番驚いていた。アリストの街は騎士団が常駐するような大きな街である。しかし、国境からだいぶ離れているため戦争中でも被害を受けておらず、魔獣や魔物が現われたことはあっても、人間の襲撃などを受けたことはないのだ。
「野盗のような者ですか?」
ソフィが首を傾げながら尋ねるとレイナは小さく頷いた。彼女の話では、いかにも傭兵くずれと言った様子の男たちが十名ほどの城門に現われ、衛兵に対して「野盗をしていた、罪を償いたい」と告白したのだという。
今までに野盗が罪の告白をしてきたことなどなく、対応に困ってしまった衛兵は騎士団に協力を要請し、それを受けたレイナが対応に向かう途中だということだった。
「罪を償いに来た方々は、どうなるのでしょう?」
「う~ん、そうですね。野盗なんて連中は、討伐時に激しい抵抗をするので殲滅が基本ですからね。普通なら極刑、運が良くても鉱山で強制労働です。あっ、でも北部の復興に人が足りないとかで、その不足分を補うために送っていると聞きますね」
ルスラン帝国の北部は、最近まで隣国のスヘド王国と激しい戦争をしていた。帝国の広大な領土からすれば些細なものだが、領土内にも被害が出ており、その復興に中央から人を送っているのだ。
しかし、北部は極寒の厳しい環境であり、通常の募集では人があまり集まらない。その為収容されている犯罪者に対して、刑期短縮を仄めかして働かせているのだった。
「では申し訳ありませんが、先を急ぎますので」
レイナが敬礼をすると、後ろに控えていた兵士たちも敬礼をする。ソフィは微笑むと指を組んで祈りを捧げる。
「女神シル様のご加護があらんことを……」
聖女の祝福を受けたレイナと兵士たちは、とても穏やかな表情で城門に向かって歩き出した。それを見送りながらソフィが、隣に立っているレナとマリアに言う。
「それじゃ、私たちも買出しを終わらせちゃいましょうっ!」
「はーい、じゃ地図屋はあっちですよ~」
「あっちに美味しいチーズ屋さんがあるんです~」
こうして再びいがみ合いを始めた二人に、ソフィは苦笑いを浮かべて二人の頭を撫でながら提案することにした。
「まずはご飯を食べましょうか?」




