第107話「生きる目的」
ソフィたちが階段を下っていくのを見送った後、イサラとキースの二人はそれぞれの武器をヴォルオンに向けて構えた。イサラは背中を預ける懐かしい気分を感じながらも、視線はヴォルオンに向けたままキースに尋ねる。
「それで作戦は? あんな自信満々だったんだから、何かあるんでしょ?」
「……そんなもん、あるわけないだろ」
キースはシレッとした様子で首を横に振る。その言葉にイサラは口を開けて唖然とする。
「何も考えずに、あんなこと言ってたのっ!? 信じられないっ!」
「お前こそ、何か作戦ないのかよ!?」
「あー……思い出してきましたよ。そう言えば、貴方はそういう人でした! いい加減でお調子者でっ!」
「なにをっ!?」
二人がいがみ合っていると、超治癒拳撃で負った痛みから回復したヴォルオンが跳びかかってきた。イサラとキースは反射的に左右に飛び退くと武器をヴォルオンに突きつける。
「邪魔しないでっ! キース、ちゃんと合わせなさい! 雷の矢!」
イサラの杖から放たれた三本の雷の矢が、次々とヴォルオンに襲いかかるが当たる直前で黒い影に防がれてしまう。
「こっちに合わせろっ! 魂喰らいなら、この魔獣でも倒せるっ!」
キースは切り返して間合いを詰めると、振り被った剣を振り下ろした。しかしヴォルオンは俊敏な身のこなしで斬撃を躱して間合いを取ると、怒りに満ちた表情でキースとイサラに対して威嚇するように唸り声をあげている。
「グルルルルルルルル」
再び合流したイサラとキースは、それぞれ警戒しながらヴォルオンに向かって構える。
「あの魔獣……どうやらあの黒い壁を連続で出せないみたい。私に少し時間を頂戴、考えがあるの」
「……わかった、急げよっ!」
キースはそれ以上何も聞かずに剣を構えると、ヴォルオンに向かって駆け出した。飛んでくる槍型の尻尾を躱しながら、間合いを詰めるとヴォルオンの顔を斬り上げる。しかし、それも黒い影のようなもので防がれてしまった。
「くっ!」
鋭い爪がキースを襲うが、地面を転がるように脇を抜けて横腹を斬るように薙ぎ払う。切っ先が微かに掠め、ヴォルオンは後に飛び跳ねて距離を取った。
その間に少し離れていたイサラが杖を地面につくと、足元に巨大な魔法陣が描かれる。
「女神シルに付き従いし四柱たる守護者よ。我が願いを聞き遂げ、その御姿を現したまえ」
その詠唱に応じて、キースとヴォルオンが戦っている上空に四つの光が現れた。その光は人形で背に翼を生やしており、それぞれが杖、剣、盾、弓を携えている。実際に神話で出てくる『四柱たる守護者』を召喚したものではないが、その概念を具現化したものだった。
「汝らが傅く、その威光でこの地を照らしたまえ……」
呪文の詠唱が完成したイサラがキースの様子を窺う。キースはまだヴォルオンに肉薄して戦っている。しかしイサラは杖をもう一度杖をつくと、そのまま呪文を発動させた。
「四守護者の聖光!」
その瞬間ヴォルオンを囲んでいた四守護者が一際輝くと、極大の聖光がヴォルオンの真上から降り注いだ。キースはその刹那に何かを感じ取ったのか、後ろに飛び退いて距離を取った。
「グガアァァァァァァァ!」
聖光に押しつぶされてヴォルオンは悲鳴を上げたが、すぐに黒い影を上部に展開して聖光そのものを遮断していく。
「おい、ふざけんなっ! 俺ごと焼き払うつもりかっ!」
「貴方なら避けるでしょ! それより今がチャンスよっ!」
「わかってるよっ!」
聖光は遮断したものの、あまりの高出力の攻撃にヴォルオンは地面に釘付けになっている。キースは身を翻すと一気に駆け寄り、ヴォルオンとの間合いを詰める。
「シャァ!」
向かってくるキースにヴォルオンの爪が襲い掛かるが、舞うように躱すとその腕を斬りつけた。そして切っ先をヴォルオンに向けると、かつて自分が付けた眉間の傷に剣を突き立てるのだった。
ヴォルオンの眉間を割り、魔剣『魂喰らい』が突き刺さると、ヴォルオンは暴れて腕を振り回した。その腕に殴られたキースは、後方にいたイサラのところまで吹き飛ばされてしまう。その結果、術者が魔法陣から弾け飛ばされてしまい、ヴォルオンを押さえ込んでいた四守護者の聖光は効果を失ってしまった。
「ぐぅ……」
キースの剣は眉間に刺さったままであり、咄嗟に両手を使ってヴォルオンの爪をガードしたため篭手と一緒に腕ごとボロボロになっていた。彼の下敷きになっていたイサラは彼を退かすと治癒術を掛けていく。
「女神シル様の大いなる慈悲を……女神シルの息吹」
「すまない……助かったぜ」
傷が治っていくとキースが微笑みながらお礼を言う。イサラは恥ずかしそうに目を逸してヴォルオンを見ると、ゆっくりと立ち上がってくるところだった。
「魔剣が発動してない?」
「あぁ発動する前に弾け飛ばされちまったからな」
「どうするの……私も今の治癒術で法力は空よ?」
森からの連戦な上に、奥の手である四守護者の聖光の使用で相当消耗しているのか、イサラの顔色はかなり悪くなっていた。キースは腰のポーチから回復薬をいくつか取り出すと、半分はイサラの手元に置いて残りの半分を飲み干す。
「任せろっ! 後は魔剣に触れて発動させるだけだ。俺だけで何とかなるさ」
腰のベルトから短剣を引き抜くと、立ち上がってヴォルオンに向かっていく。
「うぉぉぉぉぉ!」
突っ込んでくるキースに、ヴォルオンは身を低くすると一気に飛びかかってきた。鋭い爪で押さえつけて噛みつこうとしている。キースはスピードを落とすことなく、さらに加速して前転すると、ヴォルオンの真下に入り込んで短剣を突き上げる。
カウンター気味に入ったせいか、短剣でも何とかヴォルオンの胸を貫くことができた。ヴォルオンは叫びながら後ろ脚だけで立ち上がると、踏み潰すようにキースを組み敷いた。
「がぁ!」
そして噛みつこうとしたヴォルオンの口の中に、キースは自分の左腕に突き出して自ら咬み付かせる。ヴォルオンの鋭い牙によって、骨が軋む音と共に鮮血を撒き散らす。
「俺の腕は美味いかよ、この猫野郎がぁ!」
キースは痛みに耐えながらそう叫ぶと、ヴォルオンの眉間に刺さった魂喰らいの柄を握って叫ぶ。
「喰らい尽くせ! 魂喰らい!」
刀身から溢れた黒い靄が、眉間の傷口からヴォルオンの中に侵入していく。ヴォルオンが狂ったように暴れて首を横に振るが、キースは魂喰らいにしっかりと握り振り払われないようにしている。しかし咬まれたまま振り回された左腕は、すでに引き千切られる瞬前である。
「絶対に離さねぇぞ!」
「グガァァァァァ!」
ヴォルオンは飛び跳ねると、そのまま女神像横の壁に向かって突撃する。石で出来た壁が砕き散り間に挟まれたキースは、内臓を押しつぶされ血を噴き出しながらも魂喰らいを離さなかった。そして手応えを感じた瞬間、叫びながら眉間から剣を引き抜いた。
「うわぁぁぁぁ!」
蛇のような黒い靄がヴォルオンの眉間から魔石を引き抜くと、魔獣はビクッと震えてそれ以上動かなくなった。
「ついにやったぜ……ザット、ライ……イサラ」
キースはかつての仲間たちの名前を呟きながら、その魔石を眺めて微笑む。
「キースッ!?」
イサラが駆け寄ってキースの状況を確認していく。噛み砕かれた左腕はすでに用を成しておらず、口からの出血量から見て内臓もかなりやられているのがわかる。
イサラは先程渡された回復薬をすべてキースに与えると、傷に対して治癒術を発動させようとする。回復薬のおかげで血は止まったが、彼女の法力はすでに尽きており治癒術はほとんど効果が発動していなかった。
「しっかりして、キースッ!」
「俺は大丈夫だ。そんな顔するな……せっかくの美人が台無しだぞ」
キースは天井を見つめながら、そう呟くとイサラを押し返した。
「離れろよ。それ以上……治癒術を掛けると死ぬぞ。アンタじゃダメだ。俺はここで休んでるから……他の奴を連れてきてくれ」
キースの言葉にイサラは躊躇したがすでに血は止まっており、すぐに死ぬことはなさそうである。
「わかったわ。待っていて、必ず猊下を連れて戻ってくるから」
「あぁ……頼んだぜ」
イサラは立ち上がると、ソフィたちを追いかけてすぐ側の階段を降りていく。キースの耳にイサラの足音が消えたころ、ビキビキと何かに亀裂が入るような音が聞こえてきていた。
キースは横に転がっているヴォルオンの亡骸を見つめる。
「仇も討った……この腕じゃ、もう冒険者は無理だな。どこか長閑な山奥で農場でも開くか?」
自分が農場で働く姿を想像して鼻で笑う。
「ふっ……俺が農場? 似合わねぇな……でもアイツと一緒ならそれも……」
血を失い過ぎていたのか、キースは目を閉じて項垂れる。その時であるヴォルオンの衝突で出来た壁の亀裂が一気に広がると、天井が崩落して瓦礫がキースの頭上へと降り注いたのだった。




