第106話「置き土産」
ヴォルオンと呼ばれた魔獣は、地面から頭までの高さが三セルジュほどの大きさで額には剣で斬られたような傷がある。ソフィたちとカタルフの間に躍り出ると彼女たちを威嚇するように睨み付ける。
「ガァァァァァァ!」
ヴォルオンが雄叫びを上げるとその振動だけで長椅子が吹き飛び、建物全体が軋むように激しく揺れている。
「女神シルさま、悪しき者から我々をお守りください……守護者の光盾」
マリアが展開した守護者の光盾が、飛んできた長椅子を粉砕していく。その威力にソフィは目を細めながら呟く。
「吠えただけで、この威力なんて……」
「お前らはどいてろっ!」
キースはそう叫ぶと、魔剣魂喰らいを構えたまま身体強化を発動させてヴォルオンに向かって突撃していく。それに対してヴォルオンは、飛び退きながら翼を広げると宙に舞い上がった。
「くっ!」
その時発生した風圧でキースの足が止まると、いくつもある槍のように尖った尻尾が、まるで意思があるようにキース目掛けて飛んでくる。
「守護聖衣!」
その声と共にフィアナとイサラがキースの前に出て、飛んでくる槍のような尻尾を弾き返した。イサラは呆れたような口調でキースを窘める。
「熟練の冒険者なら、馬鹿みたいに突っ込まないでっ!」
「あぁ……すまないっ」
フィアナは守護聖衣で生成した盾を構えながら、隣のイサラを見て驚いた。
「司祭も守護聖衣が使えたんですね?」
「えぇ、使ったのは久しぶりだけど」
イサラが手にしているのは杖だったが穂先が刃状になっており、まるで槍と杖を合わせたような武器だった。それをグルグルと回してヴォルオンに向かって突き出す。その後から躍り出たクリリが、ヴォルオンを撃ち落とそうと矢を放つが、纏っている強風に阻まれて矢は在らぬ方へ飛んでいってしまう。
「グガァァァァァ」
レオが大きく口を開けて吠えると巨大な雷球が現れ、そこからヴォルオンに向かって雷撃が放たれた。直撃したかに見えた雷撃だったが、直前でヴォルオンを包みこんだ黒い影のようなものに阻まれてしまっていた。
黒い影を解除すると、ヴォルオンは再び地面に着地して雄叫びを上げる。
「ガァァァァァァ!」
再び発生した衝撃波に、攻撃に参加していたイサラたちは吹き飛ばされてしまった。それと代わるように超過強化を発動させながら前に出たソフィは、飛んできた槍のような尻尾も舞うように躱して間合いを詰めると、右拳を眉間に向かって放った。
「ヤァァァ!」
「ガァ!」
ヴォルオンが吠えると、顔の前に先程レオの雷撃を防いだ黒い影が現れて彼女の拳を受け止めた。衝撃を吸収されるような奇妙な感触を拳に感じると、ソフィは驚きながら後に跳び退いた。
「くっ……」
いままで貫けないことはあってもダメージが通らなかったことはなかった拳が、完全に防がれたことにソフィの眉間に皺を寄せながら驚いている。そのソフィを笑うカタルフの声がヴォルオンの後から聞こえてきた。
「かぁっはははは! 女神の篭手、神器『ガントレット:レリック』の攻撃であってもヴォルオンを倒すことはできんぞ。こいつは聖者を殺すために造った魔獣じゃからな。しかし……見つかってしまった以上、ここの研究所はもう使えんな。ヴォルオン、そいつらを殺したら戻ってくるのじゃ」
「ガァァァァ!」
ヴォルオンが返事をするように雄叫びを上げると、カタルフは満足そうに頷いて背を向ける。そして先程上がってきた階段に向かって歩き出した。
「待ちなさいっ!」
イサラの叫び声にカタルフは一瞬止まるが、馬鹿にしたように鼻で笑うとそのまま階段を降りていってしまった。追い掛けようとするイサラとキースだったが、その前にヴォルオンが躍り出る。
「どきなさいっ! 聖光槍!」
イサラは杖を向けて聖光槍を放ったが、その攻撃もやはり黒い影によって防がれてしまう。その隙に飛び掛かったキースだったが、飛んでくる槍のような尻尾に阻まれてイサラと共に後に跳び退いた。
「くっ……今、カタルフを逃がしたら」
イサラが悔しそうに歯軋りをして呟く。彼女からすればカタルフは自分の右脚に深い傷を残し、キースの記憶を奪った張本人であり、今まで聖女巡礼団を襲った数々の魔獣の類を影で操っていた黒幕かも知れないのだ。
しかし、実際の問題として目の前のヴォルオンを何とかしなくては、カタルフを追いかけるのは難しそうだった。そんな様子にキースは鼻で笑ってイサラの前に出ると、剣をヴォルオンに構える。
「ここは俺が何とかする。お前らはあの爺を追え!」
「何を馬鹿なことを! 貴方だけで何とかなるわけないでしょうっ!」
イサラが呆れたように怒鳴りつけると、キースは同様に怒鳴り付けて反論する。
「じゃどうするんだよ、あいつ逃げちまうぞ!?」
イサラは一瞬怯んだが少し考えると、やがて決心したようにソフィたちの方を向いた。
「猊下……申し訳ありませんが、カタルフを追って貰えませんか? この魔獣は私たちが何とかします」
「でも、二人だけじゃ……」
ソフィが心配そうに言うと、イサラは首を横に振って答えた。
「私とキースなら大丈夫です。あのカタルフのことですから、まだどんな魔獣を隠しているかわかりません。戦力は多い方がいいでしょう」
イサラの真剣な表情に、ソフィはそれ以上何も言わず頷く。そして前線に出てヴォルオンに動きを抑えていたフィアナたちを呼び戻した。
「フィアナちゃん、クリリちゃん、戻ってきて! マリアちゃん、シールドをお願い!」
「はいっ!」
「わかったぞ」
「はーい」
フィアナたちが戻ると、マリアが前に出て守護者の光盾を発動して、追いかけてきたヴォルオンを弾き返した。
「ここは先生とキースさんに任せて、私たちはカタルフ司教を追いかけます」
「えっ!? 大丈夫、なんですか?」
フィアナが驚いて尋ねると、キースはニヤッと笑いながら頷く。
「あいつには恨みがあるんでな、お前らはさっさと行け。ここは大人に任せな」
「必ずカタルフを捕まえてください。彼にはまだ聞かなければならないことがあります」
キースに続いてイサラにも頼まれて、フィアナも納得したのか頷くとソフィを見つめる。
「私が突破口を作るから、みんなあの階段に走ってね」
「わかりました!」
「おー」
方針が決定したところで、ヴォルオンの攻撃を防いでいたマリアから救援の悲鳴が上がる。
「聖女さまっ! もう無理~!」
「マリアちゃん、シールドを解いたらフィアナちゃんたちと一緒に階段に向かってね」
「りょーかい~」
マリアは返事をしながら守護者の光盾を解除した。その瞬間、ソフィは超過強化を発動させて前に出る。突っ込んでくるヴォルオンを迎え撃つ形で繰り出した拳は、再び現れた黒い影に防がれてしまう。
「お願い、レリ君っ!」
ソフィがそう叫ぶと、その願いに応じたガントレットの鎖が黒い影を迂回して、ヴォルオンの翼を貫いた。悲鳴のような雄叫びを上げ、ヴォルオンはその鋭い爪でソフィを薙ぎ払う。
「グガァァ!」
ソフィは跳躍してそれを躱すと拳を握って、モードチェンジしながら鎖に向かって拳を叩き込む。
「拳が届かなくたってっ! モード:癒! 超治癒拳撃ッ!」
眩いばかりの光に包まれたソフィの拳から、直視に耐えない輝きが鎖を伝ってヴォルオンの翼に伝わる。その瞬間ヴォルオンの翼は凄い勢いで崩壊していき、身体の内部から破壊されている感覚にヴォルオンが悲鳴にも似た雄叫びを上げる。
「グギャアァァァァァ!」
しかし直接叩きこんだわけじゃないからか、かつてギントで見たような身体を全て破壊するような威力はなく、過剰治癒による崩壊現象は翼だけで止まってしまった。ソフィは着地をすると後を振り向くことなく、マリアたちが待つ階段に向かって走っていく。
その背中は、残ることにしたイサラたちに「あとは任せました」と言っているようだった。そんな背中を見ながらキースがニヤッと笑みを浮かべた。
「置き土産にしては、随分な物を置いていってくれるじゃねぇか」
「当たり前です。私たちの猊下ですよ」
イサラは自慢げに微笑むのだった。




