第101話「傷の記憶」
灯台島の騒動から数日後、ソフィたちはハーランの街を離れ、東部地区の南側にある小さな街道を馬車で進んでいた。片田舎であるためカサンドラが聖戦を始めた話は伝わっていなかったので、この辺りはまだ長閑な雰囲気が流れていた。
聖女巡礼団がこの場所に来たのは、ハーランの街である依頼を受けたからだった。
事の始まりは灯台島の騒動があった翌日、ソフィたちは応急処置をした大海原の処女号号に乗ってハーランの街に戻ってきていた。その間にイサラからカタルフ元司教が関わっていることや、大釜など運び込まれた物から何かを企んでいる可能性を説明されたが、それ以上の情報は得られなかったためこの件は一先ず保留された。
ハーランの冒険者ギルドに戻ると、一行はクレスの部屋でテーブルを囲んでいた。議題はクリリの冒険者認定と今後についてである。
「……ダメだね」
重い口調で答えたのはクレスだった。それに対してクリリは机を叩いて立ちあがる。
「なんでだぁ、クレス姉ぇ!?」
「クリリは幽霊船の件で、何も活躍してなかっただろう? やっぱりクリリには冒険者はまだ早い」
あの騒動でのクリリの活躍は勝手に冒険に出かけて、たまたま敵の拠点を見つけ敵を引き連れて逃げてきたことぐらいである。ある意味その行動力が事件を早期解決に導いたのだが、クレスの目にはクリリはまだまだ子供に見えたようだった。
「ぐぬぬぬ……」
憧れている姉にキッパリと言われて歯軋りをするクリリだったが、クレスはそれ以上取りあうつもりはなかった。
「まぁ、せっかく集落を出たんだ。しばらくは獣の神子たちと共に色々と見て回るんだね。神官さんたち、悪いがこの子のことを頼むよ」
「私たちは、クリリちゃんが納得するなら構いませんが」
ソフィは少し困ったような表情でクリリを見るが、彼女はふて腐れたように頬を膨らませている。クレスはクリリの頭をガシガシと撫でながら窘める。
「そんな顔するな、クリリ。四年ぐらいあっという間さ」
「うぅ~」
その後もクリリは抵抗を見せたが、姉に説得される形で渋々諦めたのだった。そんな中、ソフィはふと気になっていたことを尋ねてみることにした。
「ところでクレスさん? モルドの民の方が、私のことを獣の神子と呼ぶのですが、何故か知っていますか? クリリちゃんに聞いてもよくかわらなくて」
「なんだい? 知らなかったのかい、獣の神子ってのはモルドに伝わる伝説さ」
『獣の神子』とは今から数百年前に実在した人物で、当時モルドゴル騎馬王国だった大平原に異国が攻めてきた時、大きなレオンホーンを連れた一人の女性が現れ、多くの動物たちやモルドの戦士たちと共に異国の軍を退けた。戦の後は狩神イクタリスの化身と呼ばれていた男性と結婚してモルドの民の礎になったという。
伝説ではソフィのように身体を輝かせて戦ったという話が伝わっており、そのことからモルドの民は彼女のことを獣の神子と呼ぶようになったのだった。
「なるほど、そんな言い伝えがあるんだね」
「灯台島でアンタの戦い方を見たが、アレを見れば獣の神子って呼びたくなるってのも頷けるさ」
ようやく獣の神子の謂れを聞くことができたソフィは納得したように頷いた。
話し合いが終り、一行は食事を取ろうと二階の部屋から一階の酒場に降りていく。落ち込んだ様子のクリリにクレスはニカッと笑うと彼女の頭を撫でる。
「そんなにしょげ返るなって、今日は美味いもんを食わしてやるから」
「美味いもんっ!?」
美味しい食事を食べさせてやる言われて、クリリの目は輝かせている。クレスはそんな彼女を見て、クレスは相変わらず単純だなと感じていた。そこに一人の男が声を掛けてきた。
「よぅ、アンタが東の勇者クレス・モルガナだろ?」
「なんだい、アンタは?」
クレスが訝しげに尋ね返すと、彼女の後ろからバチバチと何かが弾けるような音が聞こえてきた。クレスが振り向くと、レオが大きな口を開けて雷撃の発射体勢になっていた。
「レオ君、だめっ!」
「ぐるるるる……」
ソフィに怒られると、レオはその場に伏せて唸り声をあげている。
「そのレオンホーン……それにアンタたちも居たのか? 久しぶりだな」
「貴方は……」
「キースっ!?」
イサラが驚いて声を張り上げた。クレスに話しかけてきた男は、魔獣狩りをしているキースだったのだ。
◇◇◆◇◇
キースと出会ったソフィたちは、そのまま冒険者ギルドに併設されている酒場で食事を取ることになった。人数が多いのでソフィとイサラ、クレスとクリリ、そしてキースの五人と、その他のメンバーで別れることになる。放っておくとレオがいつキースに襲いかかるかわからないため、マリアとフィアナが肉を与えて気を引いている。
キースは運ばれてきたエールを呷ったあとジョッキを置くと、クレスを見ながら用件を伝え始めた。
「この嬢ちゃんたちがいたのは驚きだが、俺が用があるのはアンタだ。俺は魔獣ハンターのキースという」
「その魔獣ハンターさんが、いったい何の用なんだい? アンタ、上級冒険者だろう?」
キースの認識証をチラリと見たクレスが確認するように尋ねると、キースは自分の認識証を指で弾いて頷いた。
「ここから南にある古城で魔獣が出て、近隣の町にも被害が出ているらしい。それの討伐に仲間が欲しいんだ。とびっきり強い奴がな」
キースの言葉に、クレスは目を細めながら彼を見つめる。彼の立ち居振る舞いから彼が中々の実力者なのがわかったのか首を傾げる。
「アンタ、かなり強いだろう? それほどの魔獣なのかい?」
「あぁ、俺がずっと捜してた奴でかなりヤバイ相手だ」
キースは前髪で隠していた傷を見せるとそう答えた。それに対してイサラが立ち上がって叫ぶ。
「ま……まさか、あの時の魔獣!? あの時、貴方と一緒に落ちていった……あのっ!?」
狼狽した様子で右脚の傷を押さえながら尋ねると、キースはきょとんとした顔で首を傾げる。
「あの時? すまないが……俺には奴が襲いかかってきて、一緒に崖から落ちる前の記憶が無くてね。お前さんは誰だ?」
キースのその言葉に、イサラは信じられないといった様子で口を押さえながら震えると、眉を吊り上げてキースの顔面に左拳を叩きこんだ。咄嗟のことにキースはおろかソフィもクレスも反応できず、キースは鼻血を噴き出しながら盛大に吹き飛んだ。
「これでも私のことを忘れたと言うのっ!?」
「ちょっと! ギルド内で喧嘩はやめてくださいっ!」
イサラがキースを見下ろしながら叫ぶと、ギルドの職員が喧嘩の仲裁に飛んできた。イサラはワナワナと震えながらギルドの外に走り出してしまった。ソフィは驚いてマリアの方を向いて頼む。
「マリアちゃん、先生をお願いっ!」
「はい、レオ君行くよっ!」
「がぅ!」
マリアはレオを抱き上げたまま立ちあがると、イサラを追いかけてギルドの外に出て行った。フィアナも慌ててその後を追いかける。その間にクレスがギルド職員の対応をしていた。
「いてて……何なんだ、あいつは?」
「大丈夫ですか? 見せてください」
キースが鼻を押さえながら立ちあがると、ソフィは心配そうに近付いて治癒術を掛けていく。あっという間に回復した治癒術にキースは驚いて自分の鼻を確認した。
「へぇ凄い……アンタ、治癒術も一流なんだな?」
彼がソフィを見たのは二度であり、一度目の山賊ギルース団との立ち回りの印象が強く、彼女が治癒術が得意だとは知らなかったようだ。
「あのキースさん、先生……イサラという名前に聞き覚えはありませんか?」
「イサラ? さっきの女はイサラっていうのか? う~ん……どっかで聞いた気がするんだが悪いな」
「いえ……そうですか」
キースの答えにソフィは残念そうな顔を浮かべる。そこにギルド職員と話を付けたクレスが戻ってくると呆れた様子で首を横に振る。
「まったくシルフィート教の教義には、とりあえず殴れとでもあるかい?」
「あははは……そんなことは……」
ソフィは苦笑いを浮かべて誤魔化していたが、クレスはキースを見て改めて答える。
「キース、悪いがアンタの依頼は受けれない。海賊騒動が落ち着くまでは、ここを動くなって言われてるからねぇ。代わりと言っちゃなんだが、そこの神子とクリリを連れてったらどうだい? 実力なら保障するぞ」
「こいつら? 確かにギルースと戦っていた時に見た実力に、この治癒術があれば……」
クレスの提案にキースは唸りながら考え込むが、急に振られたソフィは困惑したような表情を浮かべていた。
「私たちがですか?」
「あぁ、ひょっとしたら一緒にいれば、こいつの記憶も戻るかもしれないぞ?」
ソフィもキースと同様に考え始めるが、キースは改めて頷くとソフィたちの方を見る。
「確かにアンタなら十分戦力になりそうだ。どうだろうか?」
「そうですね……近隣にも被害が出ているらしいですし、私たちも協力させていただきます」
こうして聖女巡礼団は、キースと魔獣退治に向かうことになったのだった。




