第10話「違和感」
作戦会議中に飛び込んできたトロル発見の報せを受けた隊長は、すぐに天幕から出ると待機中の兵士たちに向かって叫ぶ。
「哨戒がトロルを発見した、南方だ! 騎士団は先行するぞ!」
「はっ!」
そして、遅れて天幕から出てきたソフィたちに向かって
「貴女たちは、後から来られるがよい」
と告げると、返事も聞かずレイナを除く騎士たちと共に馬に飛び乗り、トロル発見の報せがあった南方に向かって走り出す。それを見送りつつも、ソフィは残された者たちに向かって言う。
「と……とにかく、私たちも急ぎましょう」
「はいっ!」
◇◇◆◇◇
騎士団に遅れて南に向かったソフィたちだったが、それほど時を置かずトロルを発見することができた。五セルジュ(メートル)ほどの巨体にマリアは驚いて声を上げる。
「聖女さま、大きいですっ! というか大きすぎですよっ!」
事前の情報通り胴体部分は、鈍い色をした金属の鎧を着こんでおり肌の色は汚れた水色だった。足元から伸びた縄がトロルに絡みつき動きを鈍らせている。だが人間とトロルでは膂力が違いすぎるため、腕を振り回すごとに数人吹き飛ぶ有様だった。
兵たちがトロルの動きを封じている間に、馬上の騎士たちは槍を敵の膝に突き入れていく。予想通り大したダメージではないが、関節部分に刺さった槍がトロルの鈍い動きを、さらに鈍いものにしていた。地味だが有効な手段である。
その様子にソフィは、首を傾げながらイサラに尋ねる。
「先生、何か変な感じがするのですが?」
「猊下もお気付きでしたか……あのトロル、何か違和感がありますね」
そう答えたイサラだったが、彼女自身も何に対して違和感を感じているのか、明確にはわかっていなかった。
ソフィたちが現地に到着すると、すでに騎士一人と兵士五人が倒れており、トロルは傷ついているものの腕を振り回して暴れまわっていた。ソフィとイサラはすぐに駆け出して、倒れている者たちに治癒術をかけていく。
そして、イサラがマリアに向かって命じる。
「シスターマリア、貴女は猊下を守りなさいっ!」
「りょ~かいですっ!」
そう答えたマリアは背負った巨大な背嚢を降ろして、そこに括りつけられた大きな盾を二枚取り外すと、両手に装備してソフィたちとトロルの間に立つ。そして盾を打ち鳴らすとトロルに向かって叫ぶ。
「聖女さまには、近付かせないからっ!」
これに一番驚いていたのは、彼女たちの護衛の任についていた騎士レイナだった。そんなレイナに向かって、イサラが指示を出していく。
「護衛はシスターマリアだけで十分です。貴女は動けなくなった仲間をこちらに運んでください」
「しかし!?」
イサラはトロルの周りで唸っている者たちを、指差して叱るように怒鳴る。
「貴女は、猊下を危険に晒すおつもりですか!?」
「くっ……わかりました!」
イサラの叱責にレイナは頷くと、馬から降りてトロルの腕を掻い潜りながら仲間を救出していく。
その後、負傷した者を回復させては戦線に復帰させるという消耗戦で、何とかトロルの動きを止めていたが騎士団だったがすぐに問題が発生した。ソフィの治癒術はどのような傷でも瞬時に回復できるが、イサラではそこまでの効果が発揮出来ないのだ。
これはイサラが治癒術が苦手というわけではなく、彼女も一般的な司祭より遥かに有能である。ただソフィの治癒術の才能が突出しているだけなのだ。
その結果トロルを押さえている人数は徐々に減っていき、いよいよ捕縛しておくのが難しくなっていた。兵士たちを治癒しながらトロルを見ていたソフィがある事に気が付いた。
「先生、見てください! 傷が回復してない!」
「確かに……まさか!?」
ソフィが指摘したとおりトロルの腕や足に槍が突き刺さっているが、血も流れておらず回復している様子はなかった。通常のトロルであれば、あの程度の傷は瞬時に塞がるはずである。
「うわぁぁぁ」
「ぎゃぁぁ」
ついに捕縛を維持することが出来なくなり、戦列が崩壊してしまった。戒めを解かれトロルは、周辺の兵士や騎士を薙ぎ倒してソフィたちに突進を開始する。トロルに回復役を先に叩くような知能はないが、単純に人数が多い場所に向かって突っ込んできたようだった。
そしてソフィたちの目の前まで来ると、その剛腕からパンチを繰り出してきた。
「女神シルさま、悪しき者から我々をお守りください……守護者の光盾」
マリアが両手の盾を突き出しながら守護者の光盾を発動させると、彼女の前に巨大な光の壁が現われトロルのパンチを遮断する。急にパンチを止められたトロルだったが、構わず何度もパンチを繰り出してくる。
その全てを、マリアの守護者の光盾は止められていたが、ずっとパンチに受け続けている彼女は、ソフィたちの方に振り向くと涙目で訴えかける。
「聖女さま~怖いですっ! 怖すぎですよぅ!」
「シスターマリア、もう少し我慢なさいっ!」
泣き言を言っているマリアを叱咤したイサラは、立ち上がると祈りを捧げるように指を組んで目を瞑る。
「不浄なる者を、神の御許に……浄化の光」
イサラの祈りに応えるように、トロルを巻き込んで天高く打ちあがった光は、浄化の光の輝きだった。不死者に効果がある法術だが、それを受けたトロルが急に苦しみ出す。
「やっぱり、ただのトロルじゃない。アンデッドのようですね」
アンデッド・トロルは、死霊術によってトロルが不死化したもので、生命力がすでにないためトロルの特徴である再生力がすでに失われているが、その強力な膂力は失われていない。さらに痛みを感じないことから、浄化の光で皮膚が沸騰したように爛れても、その動きを止めることはなかった。
「このまま浄化なさいっ! ……なっ!?」
いきなり浄化の光の輝きが、爆発するように霧散してしまう。イサラが驚いていると、アンデッド・トロルが着こんでいる鎧に、薄っすらと文様のようなものが浮かび上がっていた。
「ま、まさか対聖光装備!? アンデッドに着せるなんて悪趣味なっ!」
「も……もう無理です~!」
イサラの浄化の光を弾いたあと、繰り出されたパンチは守護者の光盾を砕き割り、盾を構えたマリアを空高く吹き飛ばした。
「うきゃぁ~」
「レリ君っ!」
マリアに向けてソフィが叫びながら右手を掲げると、ガントレットから鎖が伸びて空中のマリアを絡めとった。そしてグンッと引っ張り寄せると、ソフィはマリアを抱きかかえるようにキャッチする。
「マリアちゃん、大丈夫?」
「だいじょぶですぅ、聖女さま~」
マリアの無事を確認したソフィは彼女をそっと降ろすと、アンデッド・トロルの方を向く。その前にはイサラとレイナが彼女を守ろうと立っている。
「猊下、トロルが着ているのは対聖光装備です」
アンデッド化させたトロルに、弱点になりうる聖光対策まで施してる。目の前の敵は、その製作者の悪意に満ちていると言えた。しかし、ソフィは毅然とした態度で一歩前に出て告げる。
「先生とシャクリルさんは、倒れている皆さんをお願いします」
「……わかりました、猊下。お気をつけて」
イサラは素直に頷いたが、正義感が強いレイナは驚いた様子で声を荒らげる。
「何を言っているんですか!? 猊下たちは、お逃げくださいっ! ここは私が食い止めますっ!」
騎士としての彼女の判断は正しかった。前衛である騎士団は死者すら出てないものの、トロルの剛腕に弾き飛ばされて壊滅状態、ダメージを負っているとはいえトロルは健在で、ゆっくりと向かってきている。彼女は騎士としてソフィたちを守り、全滅を避けなければならなかった。
ただし、それが普通の聖女だった場合だが……
ソフィはさらに一歩前に出て、左腕を伸ばして右手をクロスさせて十字を作る。
「不死なる者よ、神の御許に還るときです……『聖女執行』!」
ソフィの言葉に呼応するように、ガントレットの宝玉が黄金に輝きだす。その輝きの中でソフィが右拳を腰溜めにした構えを取ると、彼女自身を眩い輝きに変えていく。
「モード:拳!」
それまでユラユラと揺れていた鎖が、ガントレットに吸い込まれるように消えると、宝玉に聖印が浮かび上がった。




