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彼の正体 (其の三)

話を終えトレーシーはおもむろに立ち上がると、なぜか私へ向かって深く頭を下げた。

私は状況を理解できず唖然と彼を見つめる。


「リリー様と出会えて本当に良かった。こうして前を向けるようになったのも、あなたのおかげです。本当にありがとうございました」


その言葉に私はハット我に返ると、彼の姿に戸惑いながらも慌てて立ち上がり頭を下げる。


「いやいや、私は何も……むしろ失礼なことばかりで……本当にすみませんでした。あの、頭を上げてください。私こそトレーシー、さっ、様と出会えて本当によかったです」


たどたどしいながらもなんとか言葉を紡ぐと、トレーシーはゆっくりと頭を上げた。


改めてトレーシーと過ごした日々を思い返すと、私は彼に碌なことをしていない。

ずぶ濡れになったとはいえ、嫌がる彼の服を無理やり脱がせたり。

街まで買い物につき合わせ、料理の手伝いまでさせてしまった。

飲みすぎた私の介抱をさせた上に、露骨に避ける失礼な態度。

極めつけに、操られていたとはいえ……王子を襲ってしまった。

感謝される要素が全く見当たらない。

これまでの失態を思い出すほどに、申し訳ない気持ちでいっぱいになっていく。


「様はいりません。今まで通りトレーシーとお呼びください。そのほうが嬉しいですわ。それよりもこれでようやくちゃんと気持ちを伝えられます」


トレーシーはニッコリ笑みを浮かべ私の腕を掴むと、そのまま引き寄せギュッと抱きしめる。


「へぇ!?トッ、トレーシー様!?」


「さまはいらないと言ったばかりでしょう?ふふふ」


突然のことに体を硬直させると、耳元で彼の吐息を感じた。


「リリー、次は正式な形で迎えに来るから待っていてくれ。もちろん男の姿でね」


透き通った美声に、一気に体の熱が高まると頬が熱くなる。


「えっ、あのっ、そのッッ」


ドクドクドクとうるさい程に心臓が波打ち、上手く言葉が出てこない。

突き飛ばすこともできず固まっていると、ノア王子がトレーシーの真後ろに迫っていた。


「こんな場で何を言い出すのかと思えば……。ごたごたは片付いたんだ。君はさっさと国へ帰れ、もう戻ってくるな」


ノア王子は呆れた様子で彼の首根っこを掴み引っ剥がすと、トレーシーは不服そうにプクっと頬を膨らませる。

拗ねたその表情は女性の私から見て可愛らしい。

思わずトレーシーに見惚れていると、波打つ心臓が幾分ましになる。

私は落ち着かせるように胸を掴むと、エメラルドの瞳を真っすぐに見つめた。


「トレーシー様、その……数々のご無礼、申し訳ございませんでした。早く謝らなければと思っていたんですが、なかなかその機会に恵まれなくて……。ガブリエルの件もそうですけれど……その……避けてしまって本当にごめんなさい。どう接していいのかわからなくて……答えも出さず、失礼な態度で傷つけてしまいました。あの、私……ッッ」


告白の返事をしなければと、言葉を続けようとすると、トレーシーが私の言葉を遮った。


「もうせっかちさんですわ。返事はまだいりませんの。改めて迎えに来ると言ったでしょう。先日のことは……弾みで言ってしまったものですもの。だから仕切り直しをさせてください。それとリリー様からの熱い口づけ、はっきり覚えておりますからね」


トレーシーは唇を指先でなぞると、艶やかな笑みでこちらを見る。


「ちが……ッッあれはッッ……うぅぅ……」


ガブリエルの一件が頭を過ると、全身の血が一気に沸騰した。

恥ずかしさのあまり腕で顔を隠し、その場から逃げ出そうとすると、真後ろにピーター。

いたっと彼の胸に思いっきり額をぶつけると、紅の瞳と視線が絡む。


「熱い口づけ……?どういうことだ、リリー」


「ピッ、ピーター、いや、あれは、その……ガブリエルに……ッッ」


詰め寄るピーターから逃げるように後ずさると、頬が引きつっていった。

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