平穏な日常 (其の四)
食事を終えピーターが横になったのを確認すると、私はベッドわきから立ち上がる。
すると彼の手が私の腕を掴んだ。
その手は熱く、まだ熱が高そうだ。
「どうしたの?」
ウトウトする彼の顔を覗き込むと、ブラウンの髪を持ち上げ、額へ濡れたタオルをのせた。
紅の瞳に私の姿が映し出されると、握る手に力が入る。
「……寝付くまで傍に居てくれないか?」
迷った子犬のような表情をみせる彼。
こんな弱った姿を初めて見た。
胸の奥がキュンッとすると、私は無意識に頷いていた。
「悪い……ありがとう」
私は座りなおすと、彼の手を両手で優しく包み込む。
その手は剣ダコが出来ゴツゴツしていて、ノア王子よりも大きい。
先ほどのノア王子の姿がまた頭を掠めると、思わず意識した。
ダメダメ、また何を考えてるんだろう。
ノア王子も言っていた、彼は大丈夫だって。
それは私と彼が異性という関係ではない、そういう意味。
彼はここへ来てからの最初の友人。
誰よりも剣を交えてきた。
男だ女だなんて関係ない、信頼できる友。
私は軽く首を横へ振ると、改めて彼を見る。
日ごろ見る事の無い弱った彼の姿は何だか可愛い。
可愛いなんて言ったらきっと怒るんだろうけれど。
私は彼の手を握りなおすと、ベッド脇へ腰かけ額のタオルを交換したのだった。
★おまけ(ピーター視点)★
チュンチュンッ。
うん……うぅぅん。
窓から差し込む光で目覚めると、おもむろに体を起こす。
寒気は治まり、だるさも消えた。
あー、やっと治ったか。
うーんと背筋を伸ばすと、ベッド脇に違和感を感じた。
顔を向けると、そこには腕を枕にして眠るリリーの姿。
なんでリリーがここに……?
目を見開き固まると、昨夜の事が蘇る。
そうだ……見舞いにきて……帰ろうとするリリーを引き留めたのは俺。
スヤスヤと小気味よい寝息が聞こえる。
俺はそっと顔を近づけると、リリーを覗き込んだ。
無防備に眠りこける姿。
頬に張り付いている髪を剥がすと、彼女は小さく身じろいだ。
「ピーター……もう一回勝負……むにゃ、むにゃ……」
ははっ、夢の中でも戦ってんのかよ。
彼女の寝言に笑みがこぼれると、蒼い髪へそっと触れる。
一房持ち上げると、赤い唇が現れ、思わず目を奪われた。
そのまま無意識に近づいていくと、彼女の甘い吐息を感じる。
本当に剣術バカだよな……。
女だてらに王子の騎士になりたくてここまでやる令嬢なんて、リリー以外いないだろう。
毎日剣のことばかり考えて、他の令嬢は婚約者だの恋人だの騒いでるってのにな。
恋人か……。
リリー俺の事を友人だと思って信用してくれている。
だからこうやって俺の気も知らずに、悠々と無防備に眠れるんだろう。
それは嬉しい反面、何とも言えぬ気持ちが込み上げた。
もし俺がここで彼女にキスをしたらどうなるんだ……?
吸い込まれるように唇へ近づいていくと、突然扉が開いた。
俺は慌てて飛び退くと、ベッドから滑り落ち後ろへ倒れ込む。
バタバタガタンッッ。
「いってぇ……ッッ」
「ピーター、大変、主様が部屋にいない!うん……どうして主様がここにいるんだ?」
大きな物音に彼女の目が開くと、大きく背伸びをしながら起き上がる。
「ふぅはぁ~、あれ、エドウィンどうしたの?ピーター起きてたんだ。おはよう、風邪は大丈夫?ってどうしたの?」
無様にベッドから転げ落ちた俺を見下ろすと、彼女は首を傾げた。
「へぇっ、あっ、あぁ、ちょっとな。風邪はもう平気だ。あっ、ありがとうな」
「主様、こんなところで何をしてるの?」
「エドウィンおはよう、ピーターの看病をしていたら眠っちゃって」
「むー、主様、俺の看病もして」
エドウィンはリリーの体を抱きしめると、ポンッと狼の姿に変わる。
「エドウィンは風邪をひいてないでしょう?ふぅはぁ~眠い……」
彼女はエドウィンの体を抱き上げると、胸に抱いてコクコクと船をこぎ始める。
ギュッと抱きしめるその様に苛立つと、俺はすぐにエドウィンを取り上げた。
「おい、起きろ。さっさと自分の部屋に戻って支度してこいよ、遅刻するぞ。お前もさっさと人間に戻れ」
彼女はビクッと体を跳ねさせると、慌てた様子で目を開ける。
エドウィンは不服そうに鳴くと、彼女に触れ人型へ姿を戻した。
立ち上がって出て行くのかと思ったが、リリーは俺へ手を伸ばすと額に触れる。
「熱ももうないね。元気になってよかった」
不意打ちだろう……。
ニコっと嬉しそうに笑う彼女の姿、触れる額に熱が集まったのだった。
★おまけ(ノア視点)
太陽が真上に昇った正午、ノックの音が部屋に響く。
「ノア王子、少し宜しいですか?」
リリーの声に驚くと、僕はすぐに彼女を招き入れた。
呼び寄せてもいないのに、彼女が職務室へやってくるのは初めて。
何かあったのかと彼女を見ると、深刻そうな様子ではなく、楽しそうな笑みを浮かべている。
「珍しいね、君がここへ来るなんて?どうしたの?」
「約束通り、手料理を持ってきたんです。ちょうどお昼にと思って持ってきました」
彼女はニコニコと手に持っていた箱を空けると、そこには世界一甘いと有名なクッキー。
うっ、まさかこのクッキーを作ってるなんて……。
甘いものは苦手、それにこれはその中でも一番嫌いなものだ。
甘い匂いが鼻孔を擽ると、思わず一歩後ずさる。
「あー、ありがとう。でもどうしてこのクッキーを?」
「トレイシーにノア王子の好物を伺ったんです。甘い物は嫌いだと思っていたんですけど、これだけは好きなんですよね?」
あいつ……。
「いや、あぁ、嬉しいよ。ありがとう」
「良かったです、早速食べて下さい」
彼女は嬉しそうに笑うと、クッキーを一枚差し出した。
見た目からして甘そうだ。
いやこれは……でも食べないわけには……。
リリーの顔を見ると、キラキラと目を輝かせている。
僕は意を決してクッキーを食べると、砂糖が口いっぱいに広がった。
「どうですか?」
「あー、とっても美味しい。ありがとう」
僕は無理矢理クッキーを飲み込み微笑むと、彼女は嬉しそうに笑った。
せっかくの彼女の初料理が台無し。
トレイシー、今度会ったらただじゃおかないからね。
リリーと別れると、僕はトレイシーをすぐに探し始めたのだった。




