芽吹いた気持ち (其の二)
日常に戻っていく中、一つだけ変わったことがある。
あの日以来、訓練場に王子がよくやってくるようになった。
今までは数年に一度、突然やってくる程度だったが今では毎日。
私の姿をじっと観察して、何を言うわけでもなく時間が過ぎると去って行く。
目が合うと頬を赤く染めて、すぐに目を逸らされてしまう。
一体何がしたいのだろうか?
「なぁ……お前、王子に何かしたの?」
「えぇ、いや、何もしてないはずなんだけれど……」
ピーターと顔を見合わせながら王子へ視線を向けると、じっとこちらを見つめている。
本当一体なんなんだろうか……。
「何かあるなら話してこいよ、このままじゃ毎日気が散ってしゃぁないだろう」
「あーうん、そうだね。明日休憩時間にでも話しかけてみる」
翌日、訓練が終わり休憩時間になった。
私は王子が現れる場所へ向かうと、丁度やってきた王子とばったり出会う。
「ノア王子丁度良かった、何か私に御用ですか?」
尋ねてみると、ノアは驚いた様子で目を見開き固まった。
じっとその様子を見つめていると、次第に頬が赤くなり、やはり目をそらされる。
「いや……その、調子はどうなのかなと思って……。体は本当に何ともないの……?」
モゴモゴとはっきりしない彼の様子に首を傾げる。
「えぇ、心配してくれていたんですね。本当にもう元気ですよ、お心遣い痛み入ります」
「ならいいんだ。練習頑張って。あっ、怪我しないように気を付けるんだよ。何かあったら僕に言ってね。それじゃ……明日も来るから」
そそくさと去っていくノア王子。
明らかにあの事件から私に対する態度が変わった。
だけど嫌いという訳ではないようだし、どうしたんだろう?
嫌いな相手に過保護すぎるほどに病室へやってこないよね。
こうやって心配だってしてくれているようだけど、うーん。
去って行く彼の背を眺めながら、私は腕を組み首を横に傾けたのだった。
王子が毎日やってくる理由は結局わからなかったが、休憩になると話しかけてくるようになった。
内容は当たり障りのない天気の話や、他愛無い雑談。
こうして小説に登場したヒーローと会話が出来るなんて、改めて考えるとすごいことだと思う。
本の中では決められた会話を読むだけ。
彼の性格や過去の事実、趣味趣向、物語を楽しむために必要な情報が用意されているだけだったから。
こうやって小説の中以外の彼を知れるのは正直楽しかった。
そんな何気ない話の合間に、ノア王子はよく私に質問を投げかけてくる。
例えば……
「リリーの好きな食べ物は?」
「好きな食べ物ですか、あー、そうですね、兎のステーキが好きです」
そう答えると、ノア王子はなぜかいつも手帳を取り出して書き記ししていくのだ。
「好きな花は?」
「花ですか……そうですね、家に咲いていたカーネーションが好きです。ひらひらした花が好きで」
時々こうした質問攻めに戸惑うこともある。
何を記録しているのか、ノートをのぞき込もうとすると、すぐに隠されるのだけれども。
「好きな色は?」
「青ですね、ノア王子の瞳のような透き通った青色が好きです」
小説を読んでいた頃も、彼の瞳の色が好きだった。
サファイアとも違う、海の色とも違う、本ではもっと冷たくて冷え冷えしていたけれど……今のノア王子の瞳の青が一番好き。
綺麗だと彼の瞳を見つめると、ノア王子は頬を赤く染め視線をそらせた。
「ッッ、そういうのほんと反則……」
「えっ、どうしたんですか?」
「何でもない、好きな本は?」
本か……。
この世界で読んだ本は、貴族のマナー書だったり勉強に関するものばかりで、令嬢だったころ、物語を読んだ記憶はない。
騎士を目指し始めてからは、教科書以外の本を読む機会もなかった。
でも私が一番好きな本は、今も昔も変わっていない。
「私はこうみえて、恋愛小説が好きなんです」
題名は伏せ、王子と侍女の恋愛、この先の彼の未来を語ってみる。
これから歩むはずの彼の歩く先に少しでも役に立てると嬉しい。
普通に考えたら、王子と侍女の恋愛なんてうまくいくはずがないから。
「それでですね、王子が最後に告白するシーンがすごくいいんですよ」
「ふーん、どんなふうに告白するの?」
「それはですね……」
その言葉を必死にメモするノア王子。
何を書いているのかわからないけれど、彼が侍女と出会ってそうしてくれればとても嬉しい。
そんなことを考えながら、私はニッコリとほほ笑んだのだった。
★おまけ(ノア視点)
彼女の怪我は僕のせい。
令嬢にとって大事な髪を切らせたのも僕だ。
だから毎日様子を見に行こうと決めた。
時間があれば、彼女の病室へ。
起き上がれない彼女に水を与えて、他愛のない話をする。
次第にその時間を幸せだと感じる自分がいた。
彼女が笑うと胸がポッと熱くなって……。
彼女をもっと知りたいと思った。
過ごす時間が楽しくて、病院生活を長引かせたのは僕だ。
だけどさすがにこれ以上引き延ばせなくて、彼女は宿舎へ戻ってしまった。
毎日彼女に会っていたから、会えないとなると寂しくて。
だから時間が空いたら訓練場へ彼女を見に行った。
元気になった彼女の姿に安心する。
だけど物足りない。
話しかけようとしたけれど、どうしてか一歩が踏み出せなかった。
そんなある日、彼女が話しかけてくれた。
嬉しかった、笑った笑みを見るとまた胸が熱くなる。
まっすぐに目を見れなくて、胸がドキドキする。
こんな感情初めてで、戸惑って、だけど彼女が他の男と話しているのを見ると苛立って。
僕を見てほしくて、男子生徒と話している彼女を捕まえた。
他の男たちと同じようにはなりたくなくて。
彼女を理解したくて。
僕を見て笑ってくれる彼女を独り占めしたくて。
そこで初めて気が付いた。
僕は彼女を好きなのだと———————————




