最後の審判 (其の二)
暫くすると、エントランス側から人影が浮かび上がる。
全く人の気配はしなかった。
足音なんて聞こえる距離ではない。
人間とは違う優れた人狼の能力。
このためにノア王子はエドウィンをここへ用意したのだろうか?
さすがノア王子と感心していると、足音がピタリッと止まった。
「やぁ、エドウィン、ご苦労様。バケツをひっくり返したような雨だね」
聞き覚えのある声に振り返ると、柱からそっと顔を出す。
ぼやっと光る蝋燭の灯りを頼りに目を凝らすと、サイモン教官の姿。
エドウィンと何かコソコソと話し始めるが、声が小さすぎて聞き取れない。
リリーではなくなった今、彼にももう会うことはないと思っていた。
私を騎士としてここまで育ててくれた恩師。
つかみどころのない笑みの裏に隠れた情熱。
悩んでいる私に、いつも道を示してくれた。
考える大切さを学ばせてくれた。
私と一緒に仕事がしたいと言ってくれた時は嬉しかった。
あの時はこんな形になるとは思っていなかったけれど……。
感慨深い気持ちで彼を見つめていると、金色の瞳がチラッとこちらを向いた。
それにつられるようにサイモン教官がこちらへ顔を向ける。
ブラウンの瞳と視線が絡むと、私はすぐに身を隠した。
まずい、目が合った、バレちゃった……。
どうしよう、失敗は出来ないのに……。
冷や汗を流れ頭を抱えていると、靴音がゆっくりと近づいてくる。
私は体を丸めると、絶望に目を閉じた。
「あはは、怯えすぎじゃないかい?やぁ、君がユカだね」
名を呼ばれ恐る恐る顔を上げると、ブラウンの瞳に私の姿が映る。
どうして私の名前を?それにその好意的な瞳は……。
「へぇ!?なっ、なんで……?」
訳が分からず口を半開きのまま見上げていると、サイモン教官は肩を揺らして笑い始めた。
「あはは、そのあけっぴろげなところ、君が私の知るリリーで間違いないね」
差し伸べられた手を恐々掴むと、グッと引き上げられる。
「サイモン教官……?」
彼は立ち上がった私の姿をまじまじ見つめると、顎に手を当てた。
「話はノア王子から聞いているよ。ふーん、随分小さくなったね。まぁ、脚を使う君の剣術なら問題はないか……。あぁ、それよりもよく頑張ったね。苦しかっただろう?」
サイモン教官の手が頭をなでる。
その手の温もりに泣きそうになった。
「こらこら、泣いている暇はないよ。私は君たちを迎えに来たんだ」
私はギュッと唇を噛み涙を堪えると、顔を上げる。
「こんなバカげた話を、信じてくれるんですか?」
ブラウンの瞳を見つめると、彼は目を細めいつもの調子で笑みを浮かべた。
「正直なところ半信半疑だったさ。だけど君をみて確信したよ。リリーは人がガラリと変わったからね。ノア王子との婚約した途端、鼻につく女になり下がった。私の目が曇ったのか心配したよ。君はそういう子ではないと思っていたからね。働きたいと言った言葉を訂正するべきだと考えていたところだった」
とんでもない言葉に耳を疑うと、私は目を丸く見開く。
「えっ!?リリーがノア王子と婚約したんですか?」
「あー、知らなかったのかい。これは口を滑らせてしまったかな……」
しまったと誤魔化す様に笑う彼の姿に詰め寄った。
「どういうことですか?サイモン教官!詳しく教えてください」
「さぁさぁ、話は終わりだ。時間はあまりない、先を急ごう」
サイモン教官はニコッと笑みを深めると、話は終わりだと言わんばかりにパチパチと手を叩いた。
「えぇぇ!?サイモン教官、待ってください!」
私の言葉を無視するように、彼はニッコリ笑みを浮かべエドウィンへ顔を向ける。
「エドウィン、ユカを運んでくれるかな」
「わかった」
エドウィンはひょいッと私を抱きかかえると、サイモン教官の背を追い回廊を逸れ歩き始めた。




