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夢現 (其の三)

突然のことに思考が停止する。

手から伝わる人肌に、息をすることも忘れた固まった。

それと同時に先ほどまで聞こえなかった周りの音が頭に響く。

隙間風の音に、エドウィンが柱の壁を蹴って暴れる音。

ピーターとノア王子の息遣い。

それはまるで現実のような……。


嘘……まさか……でも……もしかして……?


「ノア王子、危険です」


ピーターがその手を払いのけようとするが、ノア王子は制するように首を横へ振った。

彼は私の腕を引き寄せると、私の瞳を真っすぐ見つめる。


「君の好きな花は?」


「えっ……?」


「考えずに即答するんだ」


戸惑う私の様子に、彼はせっつくように握る手を強める。

私の好きな花……。


「……カーネーションです。花びらがひらひらしていて可愛いから……」


「好きな色は?」


「えーと……青ですね。ノア王子の瞳のような青が好きです」


「好きな食べ物は?」


「兎のステーキですかね。甘いものは苦手で……」


間髪入れづに次々から次へと質問が飛んでくる。

何が何だかと混乱しながらも、私は言われた通り思いついた答えを素直に返した。

ノア王子は答えを聞くたびに表情が柔らかくなると、私の痩せこけた頬をなぞる様に手を添える。


「君の好きな本は?」


好きな本。

そんなの決まっている。

あなたとトレイシーとの物語。


「王子と侍女との恋物語です……最後の告白するシーンがすごく素敵なんですよね。全てが終わって……眩い月が照らすあの場所で、王子が指輪を見せるんです。それで……あぁ、見たかったなぁ……」


大好きだったあの場面が鮮明に蘇る。

王子がトレイシーへ告白するシーン。

小説通りなら、教祖が捕まった後に王子がトレイシーへ思いを伝えるはずだった。

トレイシーではないから、告白のシーンはなかったのかもしれないけれど……それでも最後までちゃんと見届けたかった。


彼の傍で小説の物語を見守りたかった。

そのために頑張ってきたはずなのに……。


今までの想いがこみ上げると、ポロポロとまた涙が零れ落ちる。

ノア王子は親指で涙を救い上げると、私の瞳を覗き込んだ。


「最後の質問、君は誰?」


予想だにしていなかった質問に、出た涙が引っ込んだ。


そんな……やっぱりこれは夢なんだ。

触れた手から熱を感じた気がしたけれど只の思い過ごし。

私の願望が生んだ夢。

本物ならこんな質問はしないはず。

だって私は教祖で、リリーはリリーとして存在しているのだから……。


一瞬でも現実かもしれないと思ってしまった。

みんなが来てくれたのかと、希望を持ってしまった。

希望が絶望へ変わり胸が締め付けられると、私は全てを吐き出すように叫んだ。


「私は教祖じゃないッッ、うぅぅ……ッッ、リリーだった。リリーだけどリリーじゃなくて……ッッ、だけどみんなと過ごしていたのは間違いなく私だった!!!リリーが私の大切だった居場所を奪った!!!私がリリーだったのに……」


訳のわからない嘆き。

私がリリーではない、別の人生を歩んでいたと知らなければ伝わらない言葉。

だれも信じない話。

だけと夢ならいいよね……がむしゃらに叫んで、醜く足掻いても。

私はここにいるんだって、リリーとしてみんなと過ごしたのは私だよ。

今のリリーじゃないんだって。


「どうして私が……ッッ、私は何もしていない。救おうとしたのに!リリーが教祖なの……」


涙で滲む視界の中、私は頬に触れた彼の手を震える手で強く握る。

信じて、信じて……私はここにいるよ……。

誰も信じてくれなかった事実。

ピーターのような瞳を向けられているかもしれないと思うと、顔が上げられない。

夢なら……お願い……。

彼の息遣いが耳に届くと、私は祈るように首を垂れた。


「わかった、ありがとう、僕は君を信じるよ」


私は恐る恐る顔を上げると、青い瞳が優しく揺れていた。

それはリリーに向けられていた瞳と同じ。

嬉しさに視界が滲んでいく。

教祖ではない、そう言ってくれた彼の言葉に救われた。


私はおんおんと泣き崩れると、彼の手が私の頭を優しく撫でた。

大きく温かい優しい手。

石畳の上に涙が落ちると、黒いシミが広がっていく。

拭っても拭っても止まらなかった。

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