初仕事 (其の三)
ノア王子は私の傍へ駆け寄ると、狼狽しながら私と母を交互に見つめていた。
「これは……どういうことですか、母上」
ノアは私を軽く抱き上げ顎を持ち上げると、幾分呼吸が楽になった。
ヒューヒューと微かに通る空気を肺へ送ると、王子の袖をギュッと掴む。
「あぁ、あぁぁぁ、もう最悪ね!なんなのこの小娘は、全てが台無しじゃない」
先ほどの笑みはどこへ行ったのか、ノアの母親はひどく冷たい表情へ変わると、おもむろに立ち上がる。
何が起こったのかと狼狽している騎士へ顔を向けると、口を開いた。
「今すぐにここから出て行きなさい。誰もこの部屋へ入室させないように」
騎士は動揺しながらも、わかりましたと呟くと、深く礼をし部屋を出て行った。
ドアが閉まり、彼女がこちらへゆっくりと近づいてくる。
彼女の靴が目の前に現れると、ノア王子の腕を掴み強引に引っ張り上げた。
支えがなくなり、私は床へと頭を打ち付ける。
「ッッ……あぁ…ッッ」
「なんで……ッッどうしてですか!なぜ、なぜなのですか、母上!!!」
今にも泣き出しそうな表情で、縋るように母親を見上げる王子。
しかし彼女の瞳には冷え冷えとする闇が浮かんでいた。
その瞳は小説で出てきたノア王子とよく似ている。
「なぜですって?あなたばかりが彼に必要とされるからよ。私はお城から追い出され、こんな場所に追いやられてしまった。あの方はあなたを生んだあの日から、一度も会いに来ない。会いに来るのはいつもあなたばかりで……あの方の話をされるたびに苦しかった。いつも幸せそうで、大事にされているあなたの顔を見るのに耐えられなくなったの。だからあの方の大事なあなたを奪おうと考えたのよ。そうすればあの方も苦しむでしょう?」
母は王子を引きずりながら本棚へ向かうと、ガタンッと大きな音が響く。
すると本棚が大きく開き、隠し部屋が現れた。
「薬で動けなくするはずだったんだけど……仕方がないわよね?」
ジャランと金属音が響くと、隠し部屋から鎖と手錠を拾い上げた。
母は手錠のカギを開けると、王子の腕にかぶせる。
王子はショックのあまり、その場に座り込み動けない。
抵抗することなく手錠がはめれていく姿は、締め付けられるほどに胸が痛んだ。
「すぐに迎えが来るから大丈夫よ。安心して、殺したりしないわ。あなたを高く買ってくれる方がおられるの。得たお金で私は国を出て暮らす。人生をやりなおすのよ」
こんな幼気な子供を、自分の息子を……信じられない。
王子を売り飛ばす発言に、怒りが限界に達していた。
なんてひどい、なんて馬鹿げているの。
身勝手な理由で、子供が傷つくなんてそんなの間違っている!
私は痛みを払いのけ、一心不乱で顔を上げ体を起こすと声を張り上げた。
「まッ、待ちなさい!はぁ……はぁ、はぁ、はぁ、そんなくだらない理由で子供利用して……はぁ、恥ずかしくッッ、はぁ、ないの?こんなことする暇があるなら……ッッ、本人にはっきり言えばいいじゃない!あなたは王を愛していたんでしょう、だから会いたいと願っていたんでしょう。今目の前にいるのは、愛した人との子供でしょう!ノア王子はあなたに会うのを楽しみにしていた。そんな子供を巻き込むなんて、信じられないわ!その手を今すぐ放しなさい!!!」
無我夢中で彼女に向って突進すると、勢いそのままに覆いかぶさる。
しかし火事場の馬鹿力、すぐに体が動かなくなると、ぐったりと床へ倒れた。
彼女はグッタリとする私の姿に失笑すると、私のダークブルーの髪を引っ張り、無理矢理に顔を上げさせた。
「ふんっ、あなたみたいな子供に何がわかるのよ。あなたは人を愛したことなどないでしょう?愛はね憎しみにも変わるのよ。馬鹿正直に待っていた私がひどく愚かで……。あの方は私に会いに来る気なんてなかった……愛されていなかったの。なのに今更会いに行くなんて惨めで残酷でしょう?」
怨みのこもったグリーンの瞳に、私の姿が映し出される。
聞いているのと言わんばかりに、髪を強く引っ張られると、痛みで顔が歪んだ。
「いたぁッ、はぁ、あぁ、はぁ、そんなだから会いに来なかったんじゃないの?ずっとだんまりしていたんでしょう。言葉では伝えず察して欲しいと、そう願い続けていたんじゃない?そんなのわかるはずないじゃない。勝手に思い込んで勝手に鬱になって、そんな身勝手な女を愛し続けられるなんて思っているの?」
私は腰に差していた短刀を抜くと、引っ張られていた髪をバッサリ切った。
反動で後ろに倒れた隙に、彼女から逃れると、茫然とするノア王子の頬を両手で包みこんだ。
ペシペシと軽く頬を叩くと、サファイアの瞳が微かに揺れた。
「しっかりしてください、ノア王子。ここは私が何とかしますので、ここから逃げて人を呼んできてください」
「させないわこの小娘が、殺してやる!」
彼女は立ち上がると、どこからか取り出したナイフを握りしめ襲ってきた。
私はノア王子の体を突き飛ばすと、腰の短剣を取り出し受け止めた。
カキンッと金属音が響く中、ノア王子は扉を開け走り出す。
ドアの向こう側に消えていく彼の姿を確認したのを最後に、私は意識を失ったのだった。
★おまけ(ノア視点)★
正直僕は、騎士になりたいと言った彼女のことをずっと忘れていた。
僕にとって重要なのは、僕自身。
他人に興味なんてない、約束なんて意味はない。
令嬢なんて煩わしいし、相手にすると疲れる。
だから覚えるなんて概念すらなかったんだ。
思い出したのはつい先日。
騎士学園に女が入学したとの知らせを聞き、興味本位で見に行ったんだ。
木刀を一心不乱に振りぬく彼女を見て、やっと思い出した。
面白半分で近づき、試してみたら、そこそこ出来てビックリしたんだよね。
だけどそのこともすぐに忘れた。
どうせここまで来ることないだろうし、どうでもいい。
だけどあの日、僕の護衛に彼女がやってきて驚いた。
本当にここまで来るなんて想像もしてなかったから。
そんな彼女が僕の命を救ってくれた。
動けなくなった僕を必死で助けようとしてくれた。
そして何も言えない僕の代わりに母を怒鳴ってくれた。
君のことを覚えてもいなかった僕を……。
倒れた彼女が城に運ばれ、静けさが訪れた部屋の中。
彼女の髪が床に散らばっていた。
僕はそれを拾い上げ、そっと握りしめる。
「公爵家のリリー嬢か……」
そう一人ごちると、胸の奥からこみあげる何かを感じた。




