90話
「梅野さんの言う事、すごく分かります……。俺、市村さんと話してたら、いつの間にか笑顔になれたんです。いつの間にか癒やされていたんです。怪我をした時の焦りも不安も……レースで負けた悔しさもいつの間にか消えていて……。市村さんが手紙に『負ける事からも得られる経験もある』って書いててくれて、反省しながらも進むのが大切って教えてもらったんです……」
春香を好きだと思った理由の一つが『いつの間にか癒やされていた』と言うところだった。
フラレた今は、それを思い出すと少し切なくなるが……。
『負ける事からも得られる経験もある 』
雄太が一生大切にしようと思ったくらいの言葉も、一生懸命に書いてくれたのが伝わる手紙も、きっと一生の宝物になると雄太は思っていた。
「春香ちゃんの手紙に、そんな事が書いてたのか……。あの子自身が、前に進めなくなる程の重荷を背負ってるのに……な 」
「不思議ですよねぇ……。市村さん、競馬の事なんて殆ど分かってないはずなのに……」
鈴掛の言葉に梅野が答える。
「鈴掛さんや梅野さんは、市村さんと競馬の話ってしなかったんすか? 」
ようやく涙が止まった純也が訊いた。
「ん? そう言やぁ、競馬の話って殆どしなかったな。朝が早いとか、休みが月曜日とかぐらいだな 」
鈴掛が記憶を探りながら答えた。
「俺もだよぉ〜。騎乗姿勢は体幹が大事とかくらいかなぁ……?」
梅野も同じような感じだと答えた。
「そうなんすね。VIPルームの常連だったら色んな話とかするだろうし、競馬の話もしてたかと思ったっす 」
「まぁ、ゴールドの俺達はそれなりに話すけど、競馬の話は春香ちゃんには分かんねぇだろうって思ったからな」
純也の問いに答えた鈴掛の言い方に、雄太は疑問が湧いた。
「VIPルームで市村さんに施術を受ける事が出来る人は、全員ゴールドのカードじゃないんですか?」
「ああ。あのゴールドラインのカードは、春香ちゃんが了承しないと発行されないんだ。VIPにもランクがあって、ゴールドが 一番上。春香ちゃんからの信頼を得た人間にしか発行されないんだ」
(俺、市村さんから信頼してもらえてたんだ……)
鈴掛は、苦虫を噛み潰したような表情をして、小さく溜め息を吐いた。
「まぁ、春香ちゃんの過去の話は こんな処なんだが……。もう一つ、悪い話が追加されて……な」
「まだ、何かあるんすか……?」
純也は眉をひそめながら訊ねる。
「春香ちゃんの実の親が逮捕されたって、ここに来る時のタクシーのラジオで流れてたんだよ……」
「え? 何か、スッゲェー金額の詐欺って言ってた奴っすか? あれ、市村さんの親の話だったんすか……?」
鈴掛は、頷いて溜め息を吐くと、雄太をチラリと見た。
その様子は、更なるショックな事の積み重ねを聞いて雄太はショックだろうと言っているようだった。
「俺、直樹先生から聞きましたから……」
雄太の言葉に、鈴掛は目を見開いた。
(知ってたのか……)
「テレビのニュースでやってたって……。それを市村さんに伝えに神社に来たって」
雄太はそう言って俯いた。
「そっか……。だから、直樹先生と会ったんだ」
雄太の言葉で、ようやく純也はなぜ直樹と会ったのかが分かった。
「雄太にしたら、すごいショックな話だっただろうし、受け入れるには時間がかかると思うけど、これからどうするか考えてるのかぁ……?」
梅野は、俯いて桜の小枝をジッと見詰めている雄太に訊ねた。
「俺……。俺、まだ迷ってて……」
雄太は目を閉じて小さな声で答えた。




