755話
七月に入り、春香は子供達の世話をしながら理保のリハビリの病院への付き添いをしていた。
リハビリが済んだ理保が着替えたところに悠助と俊洋を連れた春香がやってきた。
「お義母さん、どうでした?」
「ええ。もう大丈夫みたいよ。来週には普通の生活しても良いって先生に言ってもらえたわ」
「そうなんですね。良かったです」
良かったといいながらも、春香は少し淋しそうにしている。
「そんな顔しないの。雄太がいない時は、また泊まらせてもらうから」
「はい」
笑顔になった春香は、理保と子供達を連れ凱央の幼稚園へお迎えに行った。
「バァバ〜」
「凱央、一緒にお家に帰りましょうね」
「ハ〜イ」
家に着くと子供達は元気に庭で駆け回っていて、理保は俊洋の面倒をみていた。
「お義母さん、この胡瓜と茄子漬けてください」
「あら、美味しそうね」
春香が収穫した夏野菜を見て理保は目を細めた。
理保が大切にしている糠床は雄太が産まれる前に理保の実家から分けてもらったものだ。糠を足しながら毎日かき混ぜて、慎一郎が自慢する程に良い糠床になっている。
骨折をし雄太宅で暮らす事になった時、着替えなどよりも一番に糠床を持ってきて欲しいと慎一郎に頼んだぐらいだ。
「糠床は一日では良い具合にはならないの。毎日毎日大切にお世話してやらないとね」
「そうですね」
嫁と姑が膝を突き合わせて糠床談義をしているのを、帰宅した雄太は忍び笑いをしながら見ていた。
「あれ? 雄太くん、おかえりなさい」
「ただいま。今日、父さんは遅くなるって言ってた」
「うん。分かった」
子供達は帰宅した雄太に気づき、キャッキャとはしゃぎながら家に入ってきた。
雄太は二人まとめて抱き上げて優しい父の顔をしていた。
雄太は子供達を寝かせてから、春香と慎一郎達と一緒にテーブルを囲んだ。
「春香はもちろんだけど、父さんと母さんに聞いて欲しい事があるんだ」
「どうした? 改まって」
「あら、なぁに?」
「俺、八月の下旬からしばらくフランスに行く事になる」
雄太が言うと慎一郎達は目を大きく見開き、春香は口元を押さえて固まった。
「まだはっきり決まった訳じゃないけど、何レースか走らせてもらえるって話しをもらったんだ。それで、その時期にはまた父さんと母さんに春香と子供達の事を頼みたいと思ってるんだ」
「そうか。願ってもない申し出をもらったんだな。お前がいない間、春香さんと子供達の事は精一杯面倒をみさせてもらう」
雄太の肩に手を乗せて、慎一郎は力強く言った。自分が現役の頃には憧れるだけで叶わなかった夢のような海外騎乗をする息子が誇らしく思えた。
「安心していってらっしゃい。雄太の夢であり、春香さんの夢の海外での勝利の為なら、私達はいくらでも協力するわ」
「ありがとう、母さん」
雄太はホッとした。両親が隣に住んでいてくれて良かったと思う。春香と両親が仲良くて良かったと思った。
「日程とか決まったら、また報告するから」
慎一郎と理保は深く頷いた。
慎一郎達が客間で休みに行った後、雄太と春香はリハビリのソファーに座って話していた。
「雄太くん、本当に夢を叶えていってて嬉しいな」
「春香と子供達がいてくれるからだぞ?」
「えへへ」
春香はそっと雄太の胸に頭を預けた。雄太は春香の肩を抱く。
「俺さ、精一杯やっても駄目な時は駄目だって経験もあるだろ? 重賞勝てなくて、散々叩かれたりしてさ」
「うん。あの頃は……辛かったよね」
好き放題書かれて、雄太が色々悩んでいたのも知っている。雄太が春香と子供達を巻き込まないようにと気を遣ってくれてたのも、雄太への愛情がマシマシになった。
春香は雄太の左手をギュッと握った。
「だけど、私は雄太くんを信じてたよ。だって、雄太くんの事大好きだから。雄太くんなら大丈夫って」
「ありがとう、春香」
雄太の夢が二人の夢になった。そして、雄太はその夢を叶える為に必死で努力している。春香は精一杯サポートしている。
雄太がフランス行き夢を叶える事を春香は誰よりも願っていた。




