741話
五人家族になった雄太宅は、毎日ワイワイと賑やかだ。
凱央の部屋が完成したが、やはり一人で寝る事はまだ一度もない。
「パパ、ボクノオヘヤニキテ」
「良いぞ。悠助も一緒に行くか?」
「ン。イク」
三人で一緒に凱央の部屋で寝たり、雄太の部屋で寝たりしていた。
朝の早い雄太は、毎日そぉーっと起きなければならなかったが、悠助は凱央がいれば泣く事がなかったので、春香は安心して俊洋の世話に集中が出来た。
「ママ、トチヒロオキタ」
「ありがとう、凱央」
今朝も朝食の準備をしている間、凱央と悠助は俊洋を見ていてくれた。春香が手を洗ったりしている間は二人で俊洋をあやしてくれていたりする。
まだ視力が乏しい俊洋も、二人の兄の声が分かっているようで、泣きはじめても少しすると泣きやんでいた。
「ウバァ……」
「トチヒロ、イイコイイコ」
「ナチャナイ、ナチャナイ」
昼間は理保も来てくれているので、雄太は安心して競馬場へ出かけられると思っていた。
金曜日、凱央達と俊洋を抱いた春香が玄関まで見送りにきてくれる。
「じゃあ、行ってくるな」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「パパ、ガンバレ〜」
「バンバエ、パーパー」
「アバァ……」
最愛の妻と子供達の声援が雄太の力になる。そう思いながら雄太は出かけて行った。
中京競馬場の調整ルームに着いた雄太に、先に着いていた純也は缶コーヒーを片手に近寄ってきた。
「雄太ぁ〜」
「お、ソル」
雄太は純也の目の前に、水色の大きな紙袋を差し出した。
「春香からの約束の品だ」
「やりぃ〜」
純也はヒシッと紙袋を抱き締めた。
荷物運びを手伝ってくれた礼をしたいと言う春香に、純也がクッキーをお願いしたのだ。しかも、調整ルームに持ってきてくれと言うのだから、雄太は若干呆れた。
「わざわざ調整ルームにクッキー持ち込みとか……」
「春さんのクッキーはカロリー控えめだし良いんだって。それに寮に置いておくと先輩達に食われるんだよ」
「いや、だから部屋の鍵をしろっての」
笑いながら並んで歩いていると、先輩達の視線が純也の抱えた紙袋に集中する。
「お? 塩崎、良い匂いさせてんな?」
「それ、もしかして春香さんのか?」
「駄目っすよ? これは荷物運びの礼に作ってもらったモンなんすからっ‼」
そう言って純也はダッシュで逃げた。純也が本気で走ったら誰も追いつけないのは分かっている。
「……マジで走んなって……」
雄太は乾いた笑いを浮かべながら、自分に与えられた部屋へと向かった。
何とか先輩達から見つからないようにと雄太の部屋に入り、純也はしっかりと鍵をかけた。
(寮の部屋もそうやって鍵かけりゃ良いのに)
忍び笑いをしていると、純也の抱えている紙袋を閉じているリボンが緩んでいるのに気がついた。
「もしかして、逃亡しながら食ってたのか?」
「ガチで走ったら腹が減ったからな」
「燃費の悪い体だな、マジで」
純也はスタスタと部屋の真ん中までくると、ポケットから缶コーヒーを取り出して雄太に差し出した。
「サンキュ」
「おう」
壁にもたれて座った純也は、紙袋の口のリボンをキュッと締め直した。
「そう言ゃあ、凱央は四月から幼稚園なんだよなぁ〜」
「ああ。何かあっという間だよ」
春香は時間がある時に、入園準備をするのだと張り切っている。凱央も、里美に教えてもらった自分の名前を書く練習をしたり、悠助に絵本の読み聞かせをしていた。
「父さんが新しい靴を買ってきてさ、靴擦れしないようにって、庭で歩かせてんだぜ」
「おっちゃん、可愛い孫の足を傷つけさせねぇ〜ってか?」
「そうそう。幼稚園は俺ん家から歩いて行けるだろ? なら足に馴染ませておかないと〜とか言ってんだよ」
その姿を想像して純也はゲラゲラと笑う。
「しかも、お義父さんからも靴をもらってさ。凱央、毎日新品の靴を履いて庭を駆け回ってんだよな」
「雄太ん家の庭は芝だけど、幼稚園の園庭はダートだし、毎日走り回ったらボロボロなりそうだな」
「確かに」
凱央の新生活に心躍らせる雄太だ。




