第3章 初勝利と暗い過去 66話
3月5日(木曜日)
15時を少し過ぎた頃。
雄太は、自室で次の週末のレースについて考えていた。
(この場合……やっぱり外に出した方が良いよな……。問題は天気なんだよな。週間予報だと、天気悪そうなんだよなぁ……。どれだけ馬場に影響が出るか心配だな……。未勝利戦だけど 、前走の馬場でどう言う走りをしてたか調べるか……。不良馬場での走りを調べてみないと判断が難しいかも知れないからな……)
その時、階下から母の理保が
「雄太ぁ~。鈴掛くんよぉ~」
と声をかけて来た。
(え? 鈴掛さん?)
「は~い」
雄太が返事をして立ち上がろうと腰を上げた時、ガチャリとドアが開いた。
(うぉっ‼ 早っ‼)
雄太が声を掛けるより早く、鈴掛は部屋の中をキョロキョロと見回した。
「純也は……居ないな?」
「す……鈴掛さん……。驚かせないでください……」
雄太は、立ち上がりかけた中腰の姿勢のまま固まりながら言った。
「あ~。ワリィワリィ。急いでてな」
鈴掛はスタスタと部屋に入り、ふとテーブルの上に目をやった。
開かれたノートには、出走予定の馬の名前や癖。そして、展開を考えていたらしい書き込みがあった。
(次のレースの展開を考えてたのか)
鈴掛は、騎手として成長した雄太を嬉しく思った。
雄太はペタンと床に腰を下ろした。
「ソルなら、今、体絞るって言って トレセン周りを走ってますよ。最低でも五周は走るって言ってましたから、しばらくは来ないと思いますけど」
と 鈴掛に言うと
「トレセン周り五周……って……。あいつは、一体何キロ走るつもりなんだ……。体質的に、ゴリゴリのゴリラにはならないだろうけど……」
鈴掛は呆れたように言った後、ホッと息を吐いて腰を下ろした。
(もしかして……市村さんの話……?)
純也が居るかどうかを確認するとしたら、競馬に関わる話ではないと雄太は思った。
「あの……今日はマッサージに行くって言ってました……よね?」
雄太が訊ねると、鈴掛は頷いた。
「あぁ。今日、東雲に行ったら私服の春香ちゃんが受付で待っててな。俺のマッサージが終わったら話があるって言って来たんだよ。んで、マッサージが終わってから、近くの喫茶店で話してたんだ」
(市村さんが、鈴掛さんに話……?)
そこに、理保がコーヒーを持って部屋に入って来た。
「鈴掛くん。いつも、雄太がお世話になってるわね。ありがとう」
理保はそう言って、テーブルにコーヒーカップを置いた。
「ありがとうございます。大した事は出来てないですよ」
鈴掛はそう言って頭を下げた。
慎一郎が現役騎手だった頃から鈴掛を可愛がっていたと言うのは、先輩騎手や調教師達から聞いていた。
その頃、鈴掛とは顔を知っている程度で、話す事もなかった。
今のように親しくする事になるとは、その当時の鈴掛も雄太も思ってはいなかった。
そして、その鈴掛は慎一郎の後継者だろうと噂されている。
実際、慎一郎が鈴掛に目を掛けているのが分かるし、鈴掛も慎一郎を頼りにしているのは分かっている。
何より、鈴掛は慎一郎厩舎の主戦騎手なのだ。
「ゆっくりしていって欲しいけど無理よね。また、休みの日にでもいらっしゃいな」
理保はそう言うと部屋を出て行った。
鈴掛は耳をすまし、理保の足音が遠ざかるのを確認すると、雄太に 向き直った。
「さすがに聞かれたくはない……よな?」
(やっぱり、市村さんの話だ)
確信した雄太は、何度もコクコクと頷く。
その様子は何とも可愛く見えた。
(こいつは……。春香ちゃんが初恋の相手でもないだろうに)
と鈴掛は、内心爆笑していた。




