130話
ゆっくりと唇を離し、春香の顔を見ると耳まで真っ赤になっていた。
(可愛い……)
雄太は、もう一度春香を抱き締めた。
(やっと……やっと想いが通じたんだ……。やっと答えてくれたんだ……。俺の大切な……大切な女性……)
自分の腕にすっぽりと収まるぐらいに小さいのに、なくてはならない存在になっていた春香。自分が競馬学校に行くと言った時に『行くな』と言った元カノを思い出す。
(あいつは、俺の夢よりも自分の願いを優先しようとした……。春香は、自分が傷付いても俺の事を一番に考えてくれた……。これから先、俺の夢は春香に淋しい思いをさせる事があるかも知れない……。春香は『淋しい』とは言わないだろうな……。だったら、その淋しさを埋められるように、一緒にいられる時間を目一杯大切にしよう。でも、春香に素直になってもらいたいな……。言えるような俺にならないと……)
「あの……雄太くん……」
腕の中で幸せそうな顔をしていた春香が、小さな声を出した。
「私、大切な事を忘れていて……」
「え? 何?」
雄太が腕を解くと、春香はベンチに置いていた小さなリュックを手に取った。そして、その中から小さな紙袋を取り出し差し出した。
「これ、初めて重賞を勝ったお祝いなの」
「お祝い? プレゼント用意してくれてたんだ?」
春香は恥ずかしそうに頷き、雄太が手を出すとそっと手渡した。中を覗き込むとラッピングされた小さな箱が入っている。
(小さいのに結構な重さあるんだけど……)
「開けて良い?」
「うん。気に入ってもらえると良いんだけどな」
雄太は紙袋の中から小箱を取り出しラッピングを解いた。中から高級そうな箱が現れる。そっと開けると黒い文字盤の腕時計が入っていた。
「おぉ〜っ。スゲェ格好良い〜。ありがとう。俺、初重賞とれたら記念に何か買おうって思ってて、その候補の中に腕時計も入ってたんだよな」
そっと箱から取り出して眺めていると、裏蓋に刻印が入っているのに気が付いた。
【初重賞優勝記念 Yuta Takabane】
(ん? 刻印……? 昨日、勝ったの見てから買いに行って刻印って無理なんじゃ……。しかもG2じゃなくて、重賞……?)
「ちょっと訊いても良い?」
「うん。なぁに?」
春香は、不思議そうな顔をしながら答えた。
「これ、昨日買いに行ったんじゃないよね?」
春香は、ハッとした顔をして、そっぽを向いた。
(やっぱり)
雄太は、腕時計を箱に戻しベンチに置くと、春香のほっぺたを両手ではさみ自分の方へと向けた。ジッと見詰められ、春香は目を逸らそうとする。
「いつ買いに行ったの?」
「う……。えっとぉ……6月29日……」
観念した春香は小さな声で白状をした。
「6月29日? それって、もしかして28日のG3が二着だったから?」
「うん……。その……雄太くんが重賞勝ったら何か贈りたいなって……その……いつ勝っても良いようにって思って……」
「初騎乗の後に手紙に書いてくれた『次に繋がる順位』って奴?」
春香は、頬を挟まれたまま小さく頷いた。雄太は、こちらを向ける為と思いながらも、柔らかな春香の頬の感触を味わいながら
(この人は、本当に可愛い……)
と思っていた。
「ありがとう。受け取るの待たせちゃったけど、大事にするから」
「うん」
嬉しそうな笑顔を見せる春香を、また抱き締める。
(春香……。どれだけ、俺の事で心を乱していたんだろう……。親の事で付き合えないって思いながらも俺の事をいっぱい考えてくれて……。迷ったり、悩んだり……泣いたりもしてたんだろうな……。んっ⁉ ちょっと待てよ? 俺が京都大賞典で一着を獲れてなかったらアメリカに行ってたんだよなっ⁉)
春香は甘えるかのように雄太の胸に頬を当てて幸せそうに目を閉じていた。
(よ……良かったぁ……。俺、一着になってなかったら一生後悔してたぞ)




