100話
初めての重賞は一着にはなれなかったが 、その後も雄太は勝鞍を上げていた。だが、それに満足する事はなく、雄太は更なる上を目指して日々 トレーニングに励んでいた。
そんな中、春香に手紙を書くのが楽しみになっていた。返事をもらえる事はなかったが、出るレースの事や勝った事を伝えたいと思ったのだ。
トレーニングを兼ねられると考え スポーツサイクルを買い、東雲まで自転車で通うようなった。
✤✤✤
季節は春を迎え、あちこちで桜が咲きほこっていた。
(綺麗だなぁ…… 。桜のトンネルみたいだ。来年は、桜花賞走りたいなぁ……)
そんな事を思いながらチラチラと花弁が舞う中を走っていると、初めて春香に会った時は雪が降っていたのを思い出す。
(何か、あっという間だったな…… 。そうだ。せっかくだし、あの神社の桜を見て行こう)
勝ち報告の手紙を書く事が出来なかったから、今日はサイクリングだけのつもりで走っていた雄太は、川沿いの道から坂道を下り、東雲近くの神社へと自転車を走らせた。
鳥居前で一礼をして、自転車を手水舎側に置き上を見上げた。大きな桜の木が雄太の視界を薄ピンクに染めていた。
(綺麗だなぁ…… 。市村さん、元気かなぁ……)
「鷹羽……さん……?」
桜を見上げている雄太の名を呟く声がした。振り返ると、あの日のベンチに春香が座っていた。
「い……ち……村……さん……」
(市村さんだ……)
会いたいと恋い焦がれ、声を聞きたいと思い、何度も受話器を握っては置きを繰り返した想い人が、チラチラと舞い散る花弁の中に居た。
(あぁ…… 。会えた、市村さんに……)
雄太は駆け寄りたい気持ちをグッと押さえ、ヘルメットを脱ぎながら少しだけベンチに近寄った。
「お久し振りです。元気でしたか?」
「はい。鷹羽さんも元気そうで良かったです」
春香は、はにかんだように笑った。
(市村さん、笑ってくれた。良かった)
ふと、春香が小さな弁当箱を持っている事に気付いた。
「もしかして、お花見……ですか?」
雄太が訊くと春香はコクリと頷いた。
「毎年、ここでお花見してるんです」
春香がギュッと弁当箱を握り締めたのを見て
(まだ会うのは少し早かったのかな……)
と雄太は思った。
「邪魔しちゃ悪いから行きますね」
名残惜しい気がしながら雄太が立ち去ろうとした時
「あの……良かったら、一緒に桜を見ませんか……?」
と春香が言った。
春香の思いがけない言葉に、雄太は 驚き立ち止まった。
「もしかして何か急ぎの用でもありましたか? なら、無理にとは言いませんけど……」
「用って言うか、こっちのほうの桜並木を見たくて自転車で走って来たんですよ。トレセンからだと良いトレーニングになるかなって思って。じゃあ、少しお邪魔しますね」
まさか春香と会えるとも思ってなかった上
『一緒に桜を見よう』
と言われるとは思っていなかった雄太は、ドキドキしながらベンチに座ってヘルメットを置き、そして春香の持っている弁当箱を覗き込んだ。
小さなおにぎりと数種類のオカズが、色どり良く詰められていた。
「もしかして、このお弁当は市村さんの手作りですか?」
雄太が訊ねると春香は頬を赤らめながら頷いた。
「はい。私、料理をするのが好きなんです」
「そうなんですね。その唐揚げすごく美味しそうだ」
雄太がそう言った時、春香がパッと顔を上げた。
雄太が弁当箱を覗き込んでいた為、お互いの顔が近くにあって、間近で目と目が合ってしまいパッと顔を反らした。




