第三十二話「土の民」
翌朝――。
大淀は、代官所の風通しのいい部屋で仰向けになり、うーんうーんと唸りつつ、寝ていた。
昨日殴られたいろいろな傷が、熱を出している。氷をあたまに乗せて、冷やしていた。
そこへ、小者がきた。ふすまをちょっとだけ開けて、用件を言う。
「あのう、玄関にお客さんがお見えになってますが」
大淀は寝たまま、手を振って
「帰ってもらって。今日はおやすみにする……」
ストン、とふすまが音を立てて、全開になった。
大淀の額から、氷嚢が滑り落ちた。いま、この世でもっとも見たくない人が立っていた。
「大淀」
具合はどうだ、とも聞かない。
そのまま一分ぐらい、だまっていた。大淀は、
「利根屋さん。何の用ですか」
と訊きたかったが、言葉が詰まり、声が出なかった。
利根屋は、細い顎を振った。
「ちょっと来てくれ」
大淀はわずかに身体を起こし、眉を動かした。
「見てほしいもんがある」
楓と凛。
御留山へと通じる道の近くで、そのあたりの耕作人と同様、畑を耕したり、茶を飲んだりして、星崎へ出入りする車の台数、人数、物の移動を監視している。
耕作人同様――といったが、もっぱら畑を耕すのは凛がやらされており、茶を飲むのは楓がやっている。
「ねえーさん、そろそろ交代してよ、もおーっ」
「うるさい、口より手を動かせ」
百姓笠の下で、楓の目が清らかに光っている。その背後を、米軍のジープに護衛された黒のSUVが、さーっとタイヤの音を立てて走っていった。
「いまのは何人だ」
「はい……。ジープは下士官一、兵二、シボレーには士官一、兵一、それに私服が二人」
楓は木の棒を使って、土の上にそれぞれの数を足していった。今日通った数全体で、十二人になる。
「多いな。ほかにこういう日があったか」
「いいえ、多いです。普段は二人とかくらいで」
その頭上を、黒い軍用ヘリコプターが飛んでいった。これも山のほうへ向かう。
「リトルバード、兵六人です」
「なにかあるな」
楓、足元の藁むしろを取り上げた。中に、無線の送信機が包んである。
「半鐘を鳴らせ」
村から村へ、そしてまた村から村へ、半鐘の合図が響きわたった。農民たちが、次々に駆けだした。手に手に、備中ぐわ、熊手、すき、松明などを持っている。
「世直しだーっ!」
「おらあーっ、世直しじゃ、世直しじゃ!」
あとから、むしろ旗を掲げた軽トラがどんどんやってきて、農民たちを拾い上げていく。それらは津波になって、宿場にむけて一気に殺到した。
「きゃーっ」
「こらあかんわ、暴動や」
宿場の飯盛女などが逃げまどい、商人がばたばたと店の表戸を閉じる。群衆は米屋を取り囲んだ。押し問答になる。
「こりゃ米屋! 出てこんかいこら、わしらの米を出せ」
「な、なんの米だよっ、お、おまえらの米なんか、な、な、ないわいっ」
「なんだとーっ、わしらは世直しじゃけえのう、銭商売しとるおまえら、世直しの軍用米ぐらい気前よく出さんかいや」
「わけのわからんことを言うなーっ、お役人を呼ぶぞ」
「ボケカスこのーっ、わしらは尊王攘夷のために立ち上がったんじゃ。米を出せ! よし、やったれや!」
木槌を持った大男数人が表戸の前に集まり、ばんばんばんばん叩き始めた。
「おらーっ、このやろー」
「めしばっかり食いやがってーっ」
「やめろー、やめろー」
「すとーっぷ、すとーっぷ! いーじーいーじーおーらーい?」
騒ぎを聞きつけ、米軍の部隊がやってきた。騒乱は収まらない。里の農民たちに命じられたのは、暴徒になることだった。騒ぎを起こせ、と言われてやっていることである。ジープをひっくり返したり、ガソリンタンクに小便をしたり、たいへんなことになった。
近隣の米軍部隊は、続々と動いた。車列が、宿場へ向かって伸びていく。
「これでいい」
宿場は、山とは逆の方向なのである。
大淀がきたのは、ちょうどそのときだった。パトカーと、それと巨大なトラックを従えている。
「楓、なんの騒ぎですか」
「敵に動きがあった。今から仕掛けるところだ。そのトラックはなんだ?」
「やっぱりそうでしたか……。たぶん、この荷の到着を待ってるんだと思います」
利根屋が降りて、トレーラーの貨物室をあけた。
なかに、大きな箱状のものがある。多数のパイプとワイヤーで繋がれており、電子部品がある。楓も凛も、眉間を寄せている。
「爆弾だよ」
煙草に火をつけて、利根屋が平然とした調子でいった。
「すんげえ威力のな。テロ対策班にいたときに見た。正真正銘、マジの大量破壊兵器だよ。……あんたが楓さん?」
利根屋は、ものすごくいやそうな顔をしている楓に向き直り、すこしかすれた声でいった。寝不足のようだった。
「楓だ」
「あたしは利根屋、こいつの元同僚だ。この爆弾は、ある人間から頼まれてね、新潟から運んできたんだ。あの山の向こうへ届けりゃあ大層な金になるが、夜通し走ったんで疲れちまった。どっかで休憩できないか」
「なに?」
「あたしはいつも、鍵をうしろの車輪の、ここへ挟んでおく……。もし寝てる間に誰かが盗んで、積み荷を湖に捨てたりしても、あたしは爆睡してるから気づかないだろうなあ。盗難保険は入ってるから大丈夫だし」
「遠回しだな」
楓は苦笑した。意味が分かったらしい。
「ポリのくせが抜けなくてね。じゃ、あたしはあの小屋を借りて寝る。あんたたちはしっかりやりな」
利根屋は手をひらひら振りながら、畑のほうに降りていった。
「利根屋さん」
その背中に、大淀の声が届いた。
「……ありがとう」
利根屋は背伸びをして、大きな大きなあくびをした。振り返らずに、
「ねむすぎて、だれの声だか分からねえなあ。待てよ、むかしどっかで聞いたような声……。気のせいかっ、さて、ひと眠り、ひと眠り」
利根屋が小屋に入ったのを見てすかさず、楓は手近な農民に手で指示をした。農民も心得ていて、すばやく鍵を取り、エンジンをかける。舵を切り、猪苗代湖の方向へ。
「あの人の話、今度聞かせてくださいね」
凛はカラシニコフの弾倉をチェックし、銃に差し込んだ。笑っている。やなことを知られた、と大淀は思った。
「あそこで大量破壊兵器を起爆させ、どうなるかを実験してみるつもりだったんだな。くそどもめ、私の土地を……」
楓も、準備をしている。ロケットランチャーを背負い、弾頭の詰まったバッグを左右に斜め掛けしていた。手加減無用。
大淀は、エンジンをかけた。
パトカーの周囲に、カラシニコフやその他の銃を持った農民と、彼らを満載した軽トラ、重機関銃を荷台に据えたテクニカル・トラックなどが、続々と集まっていた。
楓は、パトカーの屋根にのった。
立つ。風が出てきていた。
ばたばたばたっと、結い上げた楓の髪の毛が風に立ち、旗のように翻った。
「おまえたち、やることは分かってるな」
一同、うなずく。むだな声を立てない者たちである。三十人ほどの精鋭を集めた。楓の旗本といっていい。
「これより、星崎の御留山に向かう。進入の禁を破り、山を侵したものがいる。我らの土を守れ。手向かうものは、容赦するな。出発っ」
エンジン音が、一斉に高鳴った。車列が隊を組んで前に出た。
大淀は一回だけ、パトカーのサイレンを鳴らした。小屋のなかに、利根屋がいる。おそらく、その音を聞いたであろう。
車の群れが走っていく。
怒濤、山を登る――。
歴史的備考
橘ノ庄戦争に関する詳細な記録と、諜報活動、特殊工作の実態は、百五十年後を目処に公開の予定である。
この地域の米軍の撤収は、年内にはすべて完了した。
米国は南北戦争に突入。海外へ割く兵力の余裕はなくなった。
島津久光が中心となって企画した江戸オリンピックは、生麦事件と、それに伴う薩英戦争により、完全に頓挫した。
文久三年以降、日本全土に攘夷主義の嵐が吹き荒れ、幕末は新たな局面を迎えることになる。
大淀つかさは――橘ノ庄保安官の職を、慶応三年、大政奉還による幕府消滅まで勤めあげた。
(橘家の人人・ドゥームズデイ/おわり)




