第三十話「御意見無用」
会津若松の抵抗戦力を無力化した米軍は、約四千の兵力を只簑郡に向けた。
まず、ヘリボーンによる侵攻で、橋と道路を確保。その後、より大型の輸送ヘリを使い、車両、火砲を運び込んだ。
只簑郡全域は、最初の二日間で、すべて占領された。
「抵抗はするな」
侵攻の日の朝、楓は、里の主立った者たちと、戦の先駆けにと詰めかけた血気の農兵三百人を寺へ集め、訓示した。大淀、凛ももちろんいる。
戦ってはならぬ、という。
集まった彼らは、てっきりこれから陣触れが行われ、決戦すると思っていたから、おどろいた。
「戦の一字は、断じてこれを禁ずる」
楓自身、今朝は身に寸鉄も帯びていない。ただ、白扇ひとつを帯に差している。
「銃、刀槍のたぐいは、地中深くに埋めよ。新たに下知するまでは、武器は隠せ」
「ご領主に申し上げる!」
鉢巻をしめ、具足までつけた農兵が進み出て、反対論を述べた。一戦もせず降伏せよというのか。それはできかねる。
「天正のむかし、我らの先祖は、会津から攻め寄せる伊達軍十万を相手に戦い、ついに退けた故事がある。いま、戦わずに武器を埋めよとはどういうことか。ご領主は腰抜けか。一体やる気があるのかないのか」
ストン、と白扇のこじりが、彼の眉間に命中した。ただそれだけのことで、槍をもち、具足を着込んだ者がばたっと音を立てて倒れた。気絶している。
「ばかめ、人をみて物を申せ。ほかに、五六蔵の言に賛成の者は? 戦うべきと思う者、手を挙げよ」
かなりの人数が手を挙げた。大淀は、一揆さわぎのときのことを思いだし、戦々恐々とした思いを抱いた。
「こんなにか、随分多いな。よい、では理由を聞かせる」
楓は現在の状況を、るると説き聞かせた。
「伊達殿の兵が当地へ攻め寄せたむかし、それは鉄砲の戦であった。より多くの鉄砲を持っている側が勝つ、そういう時代であったといえるが、現在はそうでない。多数の機械を持つ側が強い」
農民がただ銃や槍を持っていても、近代装備を持った軍隊には抗する術もない。
「また、彼らはもともと、おまえたちと戦いをしにくるわけではない。一見、そう見えるだけである。やつらは、テロリストを探しているが、それはどこにも存在しない。だが、おまえたちが武装したり、抵抗をすれば、その瞬間、おまえたちがテロリストになる。ただ農具だけを持ち、耕作に励め。そうすれば、軍隊は敵ではない」
ただの農民ばかりの里だとわかれば、そのうちに軍隊は引き上げる。
「真の敵は、軍隊を動かしている連中だ。それは、星をねらっている」
そういうだけで、彼らの多くが理解した。
農民たちは楓の統率下に服し、指示の通りに武器を埋め、巧妙に隠した。その隠し方は、実に見事であった。戦国の記憶を残す農村は、こういうところが恐ろしい。
占領、一週間が経った。八月三十日。
占領者・被占領者の両者にとって幸いなことに、占領地につきものといえる様々な不祥事は、あまり起こらなかった。
畑にくそをしたとか、着物を盗まれたとか、そういうのはある。
特に着物は、米兵がおみやげにほしがったので、何度か発生した。その都度、大淀が出ていって、憲兵と交渉し、穏便に解決した。なにかと交換するとか、金銭を支払うといった風に済ませることが多かった。農民は、米軍の持ってきた缶詰や、衣服に興味を示した。
そんなわけだから、大淀、このごろは代官所にいることが多い。
代官・牧野はいない。
「どこにいったんですか、お代官は」
はじめのころ大淀は、与力の老人・根来に訊ねたが
「悲惨じゃ」
と言ったり、
「ちっ!」
舌打ちすることもあり、結局分からない。
ともあれ大淀は、米軍とのあいだの交渉やら、事務やらに忙殺されている。
さて、三十日。
昼ごろのことだった。大淀は、代官所近くのダイナーで、ドーナツとコーヒーの昼食をとっていた。これは同心学校時代、
――法執行者たる者の模範的食事
として教えられたのである。ロードサイドのダイナーは、米軍占領の結果、かなり繁盛するようになっていた。
それはいいのだが……。
「てめえー、このやろう、ばかやろうーっ」
「へい! とーじょー、ふぁっくおふ」
「このやろーアメ公ーっ!」
「ふぁっきんじゃーっぷ」
もともとの客層であったトラック野郎と、米兵との間で、いざこざが絶えないので、たいへんだった。
なにしろ、どちらもひどく喧嘩っ早い。
毎日、なんらかの喧嘩騒ぎが起こり、乱闘が日常茶飯事である。
十一時四十三分。
今日もこのぐらいに起こるかと思い、大淀は店内で食事をしていた。
むろん、好物のドーナツが食べたいというのもある。
トラック野郎たちと米兵たちが三々五々集まりだし、はたして、喧嘩が起きた。
「なんじゃワレーッ、メン切りおってこらーっ!」
「ごーあうぇい! ごーとぅへる」
「勝負せいやこらーっ、やい、アメ公てめー!」
「だ――い、あすほーる、だ――い」
大淀は十手を抜いて飛び出し、米兵とのあいだに割り込んでいく。
国際的な問題になるとめんどうなので、大淀はトラック野郎の側を殴らざるを得ない。
「あんたたち、やめなさいっ、いい加減にしなさいよ」
「うるせーくそポリーっ、ワレなんじゃい、アメリカのケツかきおって」
「ええいうるさいっ、お役人を舐めるなよ。全員出ていけ。おまえら出禁じゃ、失せろっ」
大淀は十手を振り回し、トラック野郎たちにいった。
「勝手に出禁にしてもらっちゃこまります」
コックの帽子をかぶった店の主人は、のんびりハンバーグを焼いている。こういうところで商売していると、神経が麻痺してくるのかもしれない。
「大切なお客さんですから」
「し、しかし、暴力はですねえ……」
大淀がオーナーに言いかけたとき、トラック野郎の一人が椅子を持ち上げて大淀に叩きつけた。
「隙ありゃーっ!」
大淀はまともにそれを食らった。死ぬほど痛い。
「いまだーっ、ポリをやっつけろ」
「このくされポリーっ、しねーっ」
「うっ……、ぐえーっ!」
大淀は倒れたところを立たされ、みぞおちにパンチを食らった。
彼らはねずみ取りなどで普段恨みが溜まっているため、相手がポリとなると血も涙もない連中である。
「あっ、やめて、たすけて」
「よおし、ポリ公を生け捕ったぞ! わしらは新潟までコメを運ぶ途中じゃけんのう、ひとつランニングと行こうじゃないの」
「健康的じゃのう!」
暴徒化したトラック野郎は、大淀の手首にかけた手錠をトラックの後ろにつなぎ、エンジンをかけた。引きずっていくつもりらしい。
「あーっ、だれかたすけてーっ! 人殺し!」
「じゃあポリさん、行こうじゃないの!」
運転席のトラック野郎がそういったとき、突然、そのドアが横合いから開かれた。ドライバーが殴られ、引きずりおろされた。大淀がみると、背の高い女が一人、そこに立っている。背中に大きく
――御意見無用
と書いたレザーのジャケットを着ている。
「ばかなことはやめろ」
といった。
一言で、トラック野郎は静かになった。多くの者が、しいんとして、成り行きを見守っている。
大淀の手錠を外した。その人物を、大淀は知っていた。
「と、利根屋さん……」
おどろいたのも無理はない。
利根屋は、奉行所を追われたあと、こういう仕事に就いていたのか。
そして、再会した。
「あの、助けてくれてありが」
とう、と言いかけたタイミングで、大淀の頬に利根屋のパンチが入った。大淀はその場で二回半、回転し、ばたっと倒れた。気絶。
「姐さん、このポリ公、知り合いですかい」
トラック野郎の一人が、目を回した大淀と、煙草に火をつけている利根屋とを交互に見比べ、訊ねた。利根屋はいった。
「ポリ公っていうのはやめな。やつらも生きるためにやってるんだ」
「へい」
介抱してやれ、という利根屋の声を、大淀は昏睡した状態のなかで聞いた。




