第二十八話「ニガヨモギ」
「は、はあ?」
おどろいたのも、むりはない。死んでいるとはどういうことだ。大淀はパトカーを降り、トラックに向かった。
「なんですか、これ……」
目を疑う光景があった。
トラックの運転席に二つ、荷台に四つ、路上に二つの死体が散乱している。
防弾ベストを着用し、戦闘服に身を包んでいるのだが、その中身の身体はすべて白骨であった。骨が散らばっている。骸骨。
「どういうこと? 大淀さん。このホトケ、四日前にきたんでしょ。それでこんな風になるってことがある?」
大淀は答えるまでもないと思ったのか、それに返事はせず、彼ら兵士の持ち物を調べ、メモに取る作業を黙々とやった。
「凛、認識票です」
兵士が首から提げている金属の板である。
名前と生年月日、血液型、といったその個人の情報が彫られている。英語名であった。読んだ。
「ジョンソン・スチュアート、オハイオ州出身。階級章は星が三つだから……よくわからないけど、大尉、かな」
「それってえらいんですか?」
「さあ……。でも、この人が指揮官じゃないかな。地図鞄とコンパスを持ってる」
マップケースと呼ばれる、部隊の将校が身につけるものである。この鞄も、かなり風化が進行しており、表面がぼろぼろになっている。
幸い、中身は原型を留めていた。
「あっ、これは里の地図じゃないですか? 保安官の持ってたものよりカッコいいですね」
「カッコいいってあなた……」
大淀はあきれたが、言いたいことはわかる。
幕府の適当な絵地図とは異なり、きわめて精密なのである。各集落の名称、主要道路、等高線つきの地形図で、降下した地点と日時、侵攻経路が赤鉛筆で書き込まれていた。
書き込みによると、降下ポイントについたのは八月十八日、その後、星崎村方面へ進み、その夜のうちに着いている。
「どうも、四日前に降下した部隊の一部でまちがいないですね……。どうしてこういう風になるんだ?」
大淀が考えているあいだ、凛は荷台に乗り、例のプルパップ銃というのを見つけていた。
黒で塗られており、弾倉がうしろについている。照星が大きい。
「よおーし、ここにいたな。いくら隠れてもデカの目はごまかせねえ」
凛はおもちゃを見つけた子どもになって、弾倉を外し、なかの弾をチェックした。
砂まみれで、ひどく劣化している。凛はかまわず、カシュコン、と装着し直すと、安全装置らしいものを指ではね上げ、荷台のへりに足をかけて、谷に向かって銃を構えた。
「おれの坊やにあいさつしな!」
なにかのセリフらしいことを言って、だだだだだだ、と連射しはじめた。まったく、テレビというのはほんとうに子どもに悪影響である。もっとも、最初は景気がよかったものの、数発撃つと弾が詰まり、使えなくなってしまった。
「ありゃ、詰まっちゃった。やっぱプルパップってのはダメだな。使えないや」
「凛、ワレなにさらしとんじゃ! あほんだら」
大淀、激怒していた。当たり前である。
「痛いっ、叩かなくてもいいじゃないですか」
「なに考えてんですか。近くに敵がいるかもしれないんですよ?」
「白骨化した戦友を道ばたにほっといて? それはどうかな」
「とにかくっ、銃は禁止です。いいですね!」
「ちぇー、つまんない、むかつく、意味分かんない。ぶつぶつぶつ」
まったくもう、と大淀はなおも怒気を漂わせている。
荷台から降り、探索に戻ろうとした。
「あれっ、大淀さん、見てください」
「なんですか、うるさいな。あんまり怒らせると……」
「ちがいますよ、そうじゃなくて」
凛は、谷間のあたりを指さしていた。
「霧が晴れていく」
空は、雲が近づいてきており、地上には風が出ていた。
谷に立ちこめていた濃い霧が、少しずつ動いていく。
なにか、灰色の大きなものが、谷底の一帯にあった。
「ねえ、あれって……」
にわかには信じがたいものを見て、凛は言葉を詰まらせた。
あれって、街だよね、凛が言おうとしたのはそういう種類のものだったであろう。
たしかに街だった。
いくつもの建造物があり、ひとつひとつが大きな灰色の塊で出来ていた。人工物であることは疑いない。
――コンクリートだな。
と、大淀には分かった。
西洋にはそういう工法が考えられつつあるという。何十戸もの世帯を同時に収容したり、何百人もの労働者がともに働く大規模な施設を集中して建造、結果、街全体がひとつの巨大工場となる、未来の都市。
眼下にあるのは、その廃墟だった。
「チェルノブイリ……」
「えっ?」
凛は、大淀をみた。
軍用の迷彩が施された双眼鏡をかざして、大淀は谷底の死んだ街をみている。
「書いてある文字を読んだのです。あれは、ロシヤ文字ですね。すごい、どうやったらあんな大きな建物を作れるんだろう。テクノロギイが、それを可能にしたんだな。すばらしい、実に興味深い……驚異ですね」
大淀は、感動していた。身体が震えている。
――未来だ。
と思った。
人類の進歩のすばらしい具現が目の前にある。
なぜそれがそこにあるのか、大淀は考えなかった。
大淀は法執行者である前に、洋学の徒でもある。
近代合理主義の先駆のような考え、思想――人類は進歩していく、ということを、信じている。
進歩していくのだ。
人の社会はよくなっていく。
あらゆる陋習は打破され、進歩した人類は、それを乗り越えていく。
人は、古い秩序を壊し、未来の世界をつくる。新しい世の中を。
それは、かつてのあらゆる時代より、確実に良いものに、すばらしいものになる……。
灰色に沈んだ街は、彼女には黄金にみえていた。人類が進むべき場所は、あそこだ!
格言に曰く――。
深淵をのぞくものよ、忘るなかれ。汝が深淵を見るとき、深淵もまた汝を見るであろう。
「大淀さん!」
はっ、と大淀は目を覚ました。
凛は、大淀の持っていた双眼鏡を手でたたき落とし、二度、三度と踏みつけて、こなごなに割った。
「なにをするんです、凛。それは大事な証拠品……」
「ばかやろう」
凛は、姉譲りの怒声をもって、大淀にいった。
「わかんないんですか? 自分のあたまを撫でてみなさい」
大淀は、そうした。
短くしていた毛髪が、すさまじく伸びていた。爪も……。
「うわっ、うわっ、な、な、なんだこりゃあ!」
「凛ちゃんに感謝しろっ。ああなってもいいんですか」
凛は大淀の足元の、白骨化した兵士を指さした。真っ黒に開いた両の目が、意志のない目線を大淀に向けていた。
「多分、この人たち、あの街に行ったんだよ。だからこうなった……。なんであんなのがこの場所にあるのかは分からない、けど」
すぐ立ち去ったほうがいい――凛はいった。そう喋っている凛もまた、見ているうちに髪の毛が伸びてきている。
霧は晴れつつある。
「……わかった」
駆けだした凛を追って、大淀も走りだした。途中、思い出した。マップケースをわすれてきた。
「振り返らないでっ」
凛の声が届いた。
里に、説話がある。
禿山に星が燃えた晩、ただ一途に駆けた者のみが生き延びた。立ち止まったり、振り返った者は、みな亡者になった。
「走れ! 過去は過去だよ、保安官」
「くっ、惜しい。せっかくの証拠なのに」
周囲の草花が、茶色く枯れ、また芽を吹き、育ち、花をつけ、枯れる――を繰り返していた。
群雲の動きが、定点観測カメラの早回しのように速い。
大淀は駆けた。パトカーに取り付いた。
「バック、バック!」
「わかってますっ」
ガコ、とギアを入れ替える。バックギアの軽い音とともに、車は後退。
すこし道幅のあるところで止まり、ぐいぐいと転舵して、里への道を正面に。ガッガッ、とシフトを入れ替える。
前進。タイヤがすこし空転する。ぎゅるるるる、ぶおおおーん。




