第二十五話「星崎山」
二人は、いくつかの集落をまわった。
まったく、絵に描いたように穏やかな夏の朝だった。
日が高くなるにつれ、空の青はますます濃厚になり、山野の緑がよりいっそう鮮やかにみえる。風はなく、綿のような色と形のちぎれ雲がゆっくり流れている。
田には、水が張られている。
黄緑色の稲穂が規則正しく茂り、黄色いような白いような、まだついたばかりの小さな実が、穂先にちょっとついている。
そういう風景のところを、一時間も見回ったとき
「なんだろう?」
凛がいった。
凛の注意を引いたそれを、大淀もみている。パトカーの速度をゆるめた。
田のなかや周りに多くの農民が集まり、泥田のなかの何か大きなものへ綱をかけ、大勢で一生懸命、引っ張り上げようとしていた。
田の角をまがり、近付いていく。形がはっきりしてきた。両側に長く突き出した羽根があり、後部にもアルファベットのTを逆さまにした形の尾翼がついている。凛は見覚えがあった。
「あっ、あれはグライダーだ。こんなとこにも落ちたんだ」
「グライダー?」
大淀は、凛が突然そういう外来語を使ったので、ちょっと意味を取りかね、訊き返した。うん、凛はうなずく。
「何日か前にみたよ。わたしは畑に居たんだけど、空からこう、すーって落ちてきて。それから、がしゃーん! ばりばりばりばり」
「あの、すいません、後半がよく分からない。グライダーが降下したんですか?」
「降下したっていうか、墜落したみたいにみえた」
凛は思い出す顔をしながら、徐々に答えた。
「中の人、ほとんど死んでたし。着陸したあと、木にぶつかったんですよ」
大淀は眉を寄せ、唇を山形に歪めた。なんで、わたしに知らせないんだ。同じ屋敷に住んでいるのに。
「……ちょっと待った」
大淀は綱引き大会を開催中の田んぼに近付く前に、パトカーを停めた。
「凛、あなたいま、ほとんど、って言いましたか」
「うん。どうしたの、耳が遠くなったんですか」
大淀は手帳を開き、ボールペンの芯をカチリと出して書き込みを始めた。
「何人死んでいて、何人生きていましたか」
「えーっと、八人乗りみたいで……」
凛は人差し指と中指を顎先にあて、黒目を上向けて考えつつ
「死体は七個、一人は生きてた。大けがしてたけど」
「それで?」
「銃を撃ってきた」
答える凛の顔は、平然としている。
大淀は、なんだか分からなくなってきた。口が半開きになっている。
「銃……?」
「そうなんですよ、わたしは助けに行ったのに、ひどいですよねえ? 外に出てきたから、おーいって声をかけたら、いきなりこう、ばばばばばばって」
「ばばばばばば?」
「あ、銃の音です」
「それは分かるけど、そうじゃなくて! その人、機関銃を?」
「なんか、見たことないようなやつだったなー」
凛はカラシニコフを構えるときの手をしてみせながら、大淀に教えた。左手は銃本体の前部分を持ち、トリガーのところに右手指がくる。カラシニコフの弾倉は右手の前にくる。
「でも、あれは逆だった」
という。トリガーのうしろに弾倉があった。
「それってつまり、ブルパップ式のライフルですか?」
大淀は訊きながら、かなりおどろいている。
そういう形態の新式銃があるというのは、知識としては知っている。高価で、幕府軍は採用していない。列強諸国の特殊部隊が装備している。
「知らないけど、そういうんです? ぶるぱっぷ……。なんかあんまりピンとこないなー。それに非常識だと思いません? あいさつもしないで撃ってくるなんて」
「あなた……よく生きてましたね」
いま聞いた状況で銃を乱射されたとしたら、どうやっても生き残るという道はないだろう。
「まあ、そこはね。さっと身をかわしまして」
「さっと身をかわす?」
「とっさにつかんだ石を手拭いで包んで、エイヤーッとこう、投げて倒すんですね」
「はあ、そうですか……」
凛に聞いた自分がおろかだったと、大淀は認めた。ギアを入れ、パトカーをゆっくり前進させる。凛が窓から身を乗り出し、おーいおーいと田んぼに向かって声をかけた。農民たちが気がついた。
大淀、メモを取っている。
農民の話を総合すると、以下のようになった。
なぞのグライダーは、八月十八日夕方ごろ、橘ノ庄各地の広範囲に同時に降下した。
村人が見たものだけでも四機が確認されており、うち一機は木に衝突、乗員全部が死亡した。他の三機は発見時点で無人であり、目的地へ展開したと思われる。
上記のことは村人の大半がすでに知っていたが、郡保安官の自分には四日経ってもだれも知らせにこなかった。ぶっ殺す。
大淀自身の観察したところだと、このグライダーは空挺部隊の奇襲用装備で、レーダー波を反射しない特殊な材質が使われている。
エンジンを持たず、他の大型機によって曳航されたあと、目的地付近で切り離され、滑空により侵入する。そのため無音での侵攻が可能であり、薄暮時ないし夜間の降下秘匿性がきわめて高い。
一機あたりの乗員は八名。三機で二十四名。
性能の高い最新式ライフルで武装しており、村人に発見された場合、無差別発砲してくる(凛は一応、見た目的には、十五歳のただの田舎の女の子である……中身は古武術使いのゴリラだとしても)。
さて、ゴリラ――じゃない、凛。
「あたし、チャーシューメン大盛りーっ」
と頼んだものを喰っている。
場所はラーメン屋、とは名ばかりのような、農地のなかの掘っ立て小屋みたいな店の座敷である。各集落をまわるうち、昼になっていた。
大淀はそこでメモを取り、地図を広げている。
「戦争だ……」
しきりに呟いている。
どういうわけかは知らないが、なぜか、どこかの敵が侵攻作戦を始めている。
「あ、そうだ。十八日っていうと、火事があった日ですよね?」
食紅の色で縁取られた灰色のチャーシューを箸でつまみながら、凛は思い出したことを口にした。
「そうだそうだ、火事の日だ。火付けの犯人は、なぞの武装集団だったんだ。一体どこのだれなんだ、凛がやった、凛がやった、と見苦しくわめき散らしたりした人は。なぞの武装集団が犯人だ」
「見苦しくわめき散らしたりなんかしてません! わたしはただ、どうせまた、凛のせいではないですか、と言っただけです」
「おんなじでーす! ばーかばーか、ばーかばーか」
「ええいうるさい、考えてるんだから邪魔しないで。公務執行妨害で逮捕しますよ」
「権力の犬め、えらそうにしやがって。考えてるってなにをです?」
凛はラーメンのスープをぐーっと飲み干すと、大淀の開いている地図をのぞき込んだ。いくつかの集落に赤鉛筆で印がつけてあり、そのまわりに細かい文字が書き込まれている。
「グライダーの降下した地点はこれです。そのうちのここ、トラックの盗難現場に近い」
「あ、ほんとだ。歩きで数分ぐらいかな。じゃあ、ここで足を調達して、どっかに移動したとか?」
「ありえますね」
大淀は小さくうなずいた。全員知り合いのような里だから、同じ里の中で盗むようなばかは居ないだろう。
「なんてやつらだ、なぞの武装集団め。火付け、車どろぼう、田んぼを荒らす、わたしに銃を撃つ。これはもう死刑だな。打ち首刑だな」
「問題はどこに移動したかですが……」
大淀は地図のなかにある各集落の名前の横に、チェックをつけていった。八つの集落に印がついた。橘、田中、岡野、杉、高井戸、茶屋、小原、九戸。それらは今日、午前中に二人で見回ってきた集落群で、橘ノ庄に点在する村の全部だった。
いや、もうひとつあった。
「この星崎というのは? ずいぶん他と離れてますが」
「星崎?」
どれどれ、と凛は地図に目を近づけて、大淀の指すところをみた。
いやそうな顔をした。
「ああ、ここ……」
目を、上弦の弓の形にし、黒目を横に流した。見たくない、というような目の動き。右のもみあげを軽くかきあげる仕草をした。星崎は、山をひとつ越えた谷あいにある。
「ここは行けませんよ」
大淀を見て言ったとき、凛の表情からは、少女らしいユーモラスなかわいげが、拭い去ったように消えていた。




