第二十一話「目覚め」
大淀は愛用の十手を握り、防戦にもどった。不思議と勇気が出ていた。
「ポリ公、逃げるな。勝負せえ!」
バリケードを乗り越え、二階に上がりつつあった農民の肩口と向こうずねに、大淀は鋭く、十手を叩き込んだ。ばしっ、ばしっ。
「ぎゃああっ」
これにはたまらず、悲鳴があがった。先鋒一番槍をつけた勇敢な農民は、真っ逆さまに階段を転げ落ちた。
「くされ外道!」
大淀は十手を空に一振りさせ、階下の者たちに講談調の啖呵を切った。生国の訛りが出た。
「おどれら、納税者だと思って甘い顔してりゃつけあがりやがって。警察を舐めとるとショーチしやせんぞ、こらーっ」
声まで低く変わっているので、農民たちはびっくりした。大淀は長い鉄鎖のついた手錠を左手に垂らし、右手に十手を構え、腰を低くした。ぐっ、と階下を睨む。
「取り締まり本部の大淀じゃい。討ち取れちゅうて取れるもんならとってみい!」
「こんガキーっ!」
血気の農民数人が、先を争って階段を駆けあがり、大淀に飛びかかってきた。が、それらはたちまち、額に十手を食らい、鎖に足を巻きとられ、または合気道の投げを食らって、いずれも転落した。
「凛、起きなさいっ」
大淀は一揆勢の一人に十手を叩き込みながら、凛にむかって声をかけた。凛の返事は、ふがーっといういびき声だった。凛は依然、大の字になっている。
「賊が打ち込んできましたよ。楓も帰ってきましたし……」
「ばさっ」
凛、それを聞いて飛び起きた。ばさっ。
「姉さんが? ど、どこに」
気が動転した目で、あたりをきょろきょろと見回している。
「起きましたか。楓なら表に……くっ、ちょ、ちょっと凛、たすけてください!」
「しねーっ、しねーっ」
チェーンソーを持った農民が、得物をブウウウンと振動させ、大淀に切りかかっている。凛は窓辺に立ち、広場の様子をみた。トラック四台が炎上、残骸が散らばっており、半死半生の人間百人以上がごろごろ転がっている。その中央部に、楓もいた。竹槍をもった集団と向かい合っている。凛がそうやって楓をみていると、楓も凛をみた。
一瞬、目が合った。
――や、やばい。
凛は、あわてて隠れた。吐く息と吸う息が、かなり荒くなっている。凛は数日前、出かける楓を見送ったときのことを思い出した。姉は、こういった。
「留守中、里の差配はおまえに任せておく。民には親切にし、公正を旨とするように。わかったな」
凛は、こう答えた。
「あはは、わかってますよ姉さん、大丈夫ですって。騒ぎも起きないし、一揆なんかあるわけない。わたしだってもう大人ですし、留守番くらいちゃんとやれます。もしちゃんとできなかったら、木の下に埋めてもらってもいいですよ」
なんてことだ。凛はぶるぶる震えた。こともあろうに、姉さんがこんなときに帰ってくるなんて。たいへんだ、このまんまでは埋められる。どうしよう。
「やばい、やばすぎる……!」
凛は顔を覆って、ぶんぶん首を左右に振った。
そのころ、奮戦むなしく組み伏せられ、回転するチェーンソーを胸に突き刺された大淀は、階段のところで腕を伸ばしてもがきつつ、
「凛っ、た、たすけっ、あっ、ああっ! はっ、はあっ、や、やめっ、凛、たすけ……あっ、ぐえーっ!」
死んだ。最後まであらがっていた大淀の腕が力を失い、床の上に落ちた。ちゅい――ん、ぶしゅーっ! ばたっ。
「よおーし! 保安官は、くたばった!」
「今だ、凛さまを捕らえろーっ」
農民たちは気勢をあげ、ばたばたと二階に駆け上がってきた。凛がいる。
「凛さま、縄をかけさせて頂きますだ……あれっ、起きている」
「凛さま、お眠りになられたんじゃねえので」
「ん? ああ、さっき起きちゃった。ジェイソン、わたしを捕まえにきたのか」
「はい」
チェーンソーを持った農民・ジェイソンが、血がついた刃を回転させたまま答えた。
「そう」
凛はその場に端座した状態から、脇差の鯉口を切り、瞬間、パチンと鞘に納めた。
「ふーっ……」
凛が刀を抱くようにして息を吐くと、チェーンソーのベルトが両断され、登り竜のように飛んで天井に突き刺さった。農民たちは平伏した。
「参りました」
「んだな。戦略が破綻した」
「凛さまがお目覚めじゃあ、とっても縄は掛けらんねえでなあ」
「わかればいいです」
凛は立ち上がり、脇差を帯にもどした。
「みんな怪我はありませんか」
「えーとな、権六が階段から落ちてな、足をくじいただ」
「アロエの皮をむいて貼っときなさい。ほかには?」
「あのな、ほかにはな、保安官が死んだーっ」
「は? あの人、死んじゃったの。なんで」
「しらねえ!」
「めんどくさいなあ。生き返らしといて」
「わかった」
ということがあり、大淀が死んだのはなかったことになった。前近代、人はよく生き返った。明治になり、人は生き返らなくなった。
凛は、考えている。
――どうやったら、姉さんに殺されずに出られるか。
すべてを正直に話すという方法もある。その場合、
「あはは、姉さんすみません、一揆が起きちゃいました」
「ばかやろう、このやろう、くそやろう」
埋められる。
適当に嘘をついてごまかす、というのもある。
「あ、姉さんお帰りなさい。いまちょっとみんなで遊んでたんですよ。一揆はなかったです」
「そうなのか。私がすきなスポーツを知ってるか? 野球だよ」
楓がバットを持ち、凛は死ぬ。カキーン、ぼかっぼかっぼかっ。
やがて凛は、ふと思いついた。ポン、と手を打ち
「おっ、そうだ。タリバンだ」
といった。タリバンのせいにする。
大淀は、そのころ目を覚ました。
なにがあったかを思い出す前に、凛がきて
「保安官さん、タリバンだ、タリバンだ」
といったので、頭のほうを心配した。脳をやられたのではないか。
「なんのことですか」
「一揆が起きたなんて知られたら、まずいことになるんです。姉さんに怒られる」
「ああ、そうですか」
大淀は、チェーンソーが突き刺さった記憶のある部分を手で確かめながら起きあがった。凛は多少怒られたほうがいいと思っているから、応答も淡白にならざるを得ない。
凛は、説得した。目の色が黒い。
「ここにガソリンがあるんですよ」
手に持ったジェリ缶を揺さぶって、なかに入ってるものの音を聞かせた。
「もし協力を断られたら、とてもショックですよね。まちがってこぼしたり、かけたりしてしまうかもしれない」
「はい、わかりました、やります、やりたいです」
「よかった!」
凛は百パーセントの笑顔で笑い、ジェリ缶をそこに置き、ダンヒルのライターを懐にしまった。ガソリンを持ったサイコパスと地頭には勝てぬ、は道理の通じない相手と口論してもむだという意味の格言である。




