第十八話「篭城」
凛は、ねむりつづけている。
大淀は保安官事務所の窓から、外の様子を見ていた。たいまつの群れがばらばらと左右に動き始めていた。
「たいへんだ、散開してる……」
彼らがまもなく突入してくるのは明らかだった。絶対にやばい。このままじゃ命が終わる。
「冗談じゃないですよ」
大淀はショットガンと、凛の持っていたカラシニコフを背負い、ねむっている凛を抱き起こしてひとまず二階にあがった。人間、急場には常よりも強い力がでるというが、ほんとうだ。
二階の窓はガラスが取り外され、凛がつくった銃眼つきの畳の盾が立っている。
大淀は凛をそのあたりに寝かせると、一階に駆けもどり、式台にあった文机やら書棚やらを持ち上げ、何回かにわけて上に運んで、階段のところへ積み上げた。
そんなバリケードを急ごしらえで作っているとき、文机の棚が外れ、なかの書類がばさばさばさっと床の上に散らばった。
「ああ、もうっ」
大淀は苛立ったが、もう片づけはしなかった。散乱した書類のなかに、先刻調べていたあの帳簿があった。
――逃げたほうがいい。
前任の保安官・浅田次郎左右衛門の言葉が思い出された。
あれはどういう意味だったのだろう? いや、もちろん、いま事務所を取り囲んでいる、怒れる農民二百人のことを考えたら、やっぱりあのとき逃げればよかった、ってのはそうなのだけど。あれは、こんな凶悪な野蛮人ばかり住んでいる里には、来てはいけないという、単にそれだけの意味だったのか。
――でも、なにかもっと、違う意味だったとしたら?
大淀は、床に散らばっている書類が、やはり気になってきた。考え出すと止まらないのが大淀のこまった性質だった。なぜ彼は、一介の里保安官にすぎない身で、あんな大金の流れを調べていたのか。レッド・シー、ドゥームズデイ。週、千万ドル……。
「ええい、まったくっ」
大淀は、帳簿のなかのあのページをもう一度開き、破りとって、二つに折り、懐のなかにいれた。調べなければわからない。
「でも、そのまえに……」
生きてここから出られるのだろうか。大淀は銃眼のあいだから、そっと外の様子をうかがった。まったく、田舎なんて大嫌いだ。大淀、ぶつぶつぶつ……。
農民集団は、突入準備の最終段階に入っている。
そのまえに、最後の降伏勧告が行われた。
「おおい、保安官。凛さまがねむったことはわかってるだ。わしらも凛さまに怪我はさせたくねえだ」
軽トラの荷台にのった農民の一人が、大声でいった。軽トラのまわりでは農民たちが動きまわり、焼き討ち用のワラや薪をひそかに集め、積み上げつつある。
「わしらはいまから打ち込むけんども、そのめえに凛さまを解放しなされ。凛さまは子どもだ、なにかあったらかわいそうだ。わしらは友達だべ」
大淀は、二階の部屋でそれを聞いている。凛は正体もなく寝ている。もう朝まで起きそうにもない。
「だめです」
と大淀は答えた。なぜ、自分はいつも犯人のようになってしまうのだろう。ほんとは犯罪を取り締まる側なのに。
「凛を渡したら、火を放つつもりでしょう」
大淀は放火の準備を見たわけではないが、なんとなくそういう気がした。当たっていた。
「なしてわかったんだべ」
「保安官もばかじゃねえべ。やい、火攻めは中止だ。凛さまが焼け死ぬ」
農民軍は、剛力の者二人をえらんで、門を破るための木槌を渡した。
筋骨のよく発達した彼らが、すねをむき出した格好で表戸のところへ駆けて来ると、大淀もそれと察して
「まてっ、止まれ」
カラシニコフを構え、ばららららっと二階の窓から撃ちおろした。大淀は自動小銃の訓練は受けたことがない。大淀の射撃はど素人のそれだったが、地面にぷすぷすとライフル弾の雨が突き刺さったから、威嚇効果は充分あった。木槌を持った二人は逃げもどった。そのかわり、カラシニコフの残弾はゼロになった。
「ダイナマイトを持ってこい」
農民の声が聞こえた。
――冗談じゃない。大淀は青ざめた。
「こら、待ちなさい。ダイナマイトなんかどうするんです。凛が死んでもいいんですか」
大淀は下に向かって大声でいった。農民もまた大声で答えた。
「表戸をこわすのに使うんだ。凛さまは二階だべ、問題あるめえ」
「問題ないですって? ほんとにそう言い切れますか」
「なにっ」
「衝撃で天井が崩れたり、家屋が倒壊することもありますよ。そういう危険を承知ですか」
群衆に表戸を破られたら、おしまいだ。とにかく言いくるめるしかない。
必死で説得した。
「この事務所は、築何年ですか? たぶん、三十年から四十年というところでしょう。柱や棟木が老朽化していることも充分考えられる。屋根には重い瓦が葺いてあることですし、その重量を支えるために、ふつうの家より負担がかかっているでしょう。床下にはシロアリがいて、柱を食べているかもしれない。それでもあなたは、あえて危険をおかし、幸運を信じて、ダイナマイトを使うのですか?」
農民たちは、躊躇した。大淀の言っている内容を信じたというよりも、大淀がさまざまな言葉で駆り立てた不安感が彼らに伝播したというのが近いかもしれない。
「よしたほうがええだよ」
農民の一人が言い、みながそれに賛同した。
「ああ、ダイナマイトはやめとこう。しかしこれじゃなんとも手詰まりだな」
「強行突破すりゃあいい」
というものもいた。
「何人かは撃たれるかもわかんねえが、弾は切れるし、そのうちに突破できるだ」
「じゃあ、まずおめえ行け?」
「わ、わしは女房が身重だしよ。千吉、おめえ行けや」
「えっ、いやおらァだめだよ。最近腹の調子がわるいだ。手も足も、あたまもわるいだ。ここは与吾、おまえ行け。男になってこい」
「わ、わしは行ってもええがのう、病気のおっかあがかわいそうで……」
農民集団は考えあぐね、しばらくざわざわとし続けた。
大淀はそれを二階から見て、いったいどうなるのかと様子をみていた。一斉に突入されたらとても防げないが、そうした無理攻めを行うつもりは一揆側にもないらしい。だれも撃たれ損、死に損にはなりたくない。
だが、やがて彼らも名案を考えついたらしい。
「ん、なんだろ?」
ぶるるる、ぷしゅー、ぶるるる、ぷしゅー、というディーゼルエンジンの重い音が遠くから聞こえはじめた。それがだんだん近づいてくる。
だっだっだっだっだっ、という履帯の音がそれに加わった。戦車――と大淀はとっさに思った。
さすがに戦車ではない。
が、事務所の表戸をぶち破るには充分な威力をもった重機械ではあった。だだだだだっ、という音と煤煙を立てて正面から突っ込んできたブルドーザーは、一回の衝撃で表戸を真っ二つにぶっ壊した。
「ぎゃああっ」
大きな振動とともに、ばらばらばらっ、と天井から塵やホコリが落ちてきた。窓からみると、ドーザーは一度後退し、止まり、またエンジンを吹かして前進をはじめた。群衆が分け入れるよう、障害物を完全に取っ払ってしまおうという気らしい。
「ちくしょーっ、こなくそ、やめろー」
大淀は地元言葉を出して、ショットガンでブルドーザーをばんばんと射撃した。あとから考えてみると、これは完全にむだだった。屋根が鉄板で覆われているタイプで、ショットガンの散弾ではこれは貫通できなかった。
どどどどどど……。
二回目の衝撃が事務所を襲い、表戸が完全に粉砕された。と同時に、ショットガンにこめていた八発の弾が切れた。一揆勢の喚声が聞こえた。
「それ、突っ込めーっ」
「わーわー、わーわーっ」
「保安官を探せーっ」
――なんてことだ。
おしまいだ、大淀は思った。こりゃ完全に詰んだ。一揆のやつらに殺されるんだ。たぶん、広場のなかに引っ張り出され、棒で叩かれて殺される。ここがもしアメリカだったら、このへんでジョン・ウェインが助けにきてくれるのに。でもアメリカじゃないから、死ぬしかないんだ。ちくしょう。おしまいだ。
たしかに、そこにジョン・ウェインはこなかった。
だが、彼女がきた。




