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橘家の人人・ドゥームズデイ  作者: 佐々原廠
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第十五話「保安官事務所」


 太陽の光が山肌に遮られるためだが、山間部の日の暮れ方は早い。

 平野のようにだんだん暗くなっていくというよりも、急に日が落ちてしまうという感じ方がある。

 軽トラの時計は、十七時十四分となっていた。すでに日は暮れようとしており、あたりは薄暗くなりつつある。大淀はライトをつけ、軽トラは農道を進んだ。

「このまままっすぐ」

 凛のナビ。当然なことだが、この里のなかではきわめて正確だった。その通りに行くと、ちょっと開けた広場があり、大淀はそこへ軽トラを徐行で乗り入れさせた。

 広場の中心には井戸がある。

 その周囲に、茅葺き屋根の大小の建物がいくつか。一番大きいのはファーマーズマーケットらしく、青果品の絵を描いた看板があった。里の外からきた客などが、ここで新鮮な作物を買っていくのだろう。いろいろな作物を……。

「あっ、そこで停めて。あれです」

 凛が指さしたところで、大淀は軽トラを停めた。エンジンを切って降りると、なるほどそこにあった。橘ノ庄・保安官事務所という縦書きの看板が掛けてあり、その一軒だけ、屋根が瓦で葺いてある。

 以下、余談である。

 江戸時代というのは、日本の歴史中、ほかのどの時代よりも身分差別が行われた時代であった。差別は社会制度の一部で、差別によって国が成り立っていた。

 建物もそうで、農民以下の階層の住居には瓦屋根は使えない。江戸など都市部では、こうした違いは徐々になくなっていったが、会津では最後までそうした風習が残った。

 ――と、ちょうどこの部分を書いていたとき、読者から手紙が届きました。東北の民家に瓦が使われてないのは、雪対策もあるんですよ、という。

「おっと、そうだった」

 この話の舞台が夏なので、東北は雪が降るというのを忘れてました。わたしの話はこんなところが多いので、あんまり間に受けないでください。

 さて、筆者がそんなどうでもいい話をしているころ……。

 大淀は保安官事務所の入り口のところに立っている。

「んっ、しまったな。鍵がない」

 ばっくれた保安官・浅田は、とんずらの前にしっかり戸締まりをしていったらしい。押したり引いたりもしてみたが、大淀一人の力では、いくらやっても鉄錠のかかった戸は開きそうにもない。

 凛は、いない。

 軽トラを降りたあと、どっかに行ってしまっていた。自由というか勝手というか……。

 やがて、もどってきた。

「食べます? 保安官さん」

 棒にささった水色のアイスをかじりながら、凛はもう一個別のものを大淀に差し出した。

「はあ? そんなもの買いに行ってたんですか。今はそれどころじゃないでしょう。すぐにも一揆勢がここへ押し寄せてくるんですよ。わかってるんですか」

 と大淀は言いながら、手はアイスの袋を開き、中のものを取り出していた。付近は夕暮れ前の濃厚な湿気で、たいへんな蒸し暑さである。

「八文です」

 大淀がアイスを口へ入れかけたとき、凛が手のひらを出してきた。

「……ったく」

 大淀はため息をつくと、アイスを口にくわえながら、巾着を開き、四文銭ふたつをのせてやった。凛はハッピーなスマイルになった。

 アイスを食い終わり……。

 大淀は状況を凛に伝えた。

「と、いうわけですから、わたしたちは事務所のなかに入れないのです。とりあえず、錠前屋に電話して、すぐ来てもらうように……ああ、またか。凛、どこに行った!」

 話しているあいだに、凛はまたいなくなっていた。ガチャーン、という音が事務所の裏手から聞こえた。凛は中から鍵を外し、表の戸を開けた。

「お礼はいいです」

 凛は大淀をなかに招じ入れながら、穴をふさぐため段ボールとテープをもって奥へ行った。大淀も後を追ってなかへ入っていく。ぶつぶつぶつぶつ……。

「こら、待ちなさい、凛。あなたという人は、まったくなんてことをするんですか。公共の建物を故意または過失で破壊するなんて。逮捕しますよ。聞いてるんですか」

「あつーい。保安官さん、エアコン最強にしてー」

 奥の方から凛がいった。まったくもう、まったくもう。大淀は戸を閉め、中から鍵をかけた。

 さて、この保安官事務所、後述の理由により、いまでは現存していない。

 大正期にまとめられた地元の故老の談によると、この建物は木造二階建てであって、一階部分は事務所として使用され、土間をあがるとすぐ式台の上に、保安官の執務する文机と書棚、六尺棒・さす又のたぐい、ショットガンと防弾ベストの入ったガンロッカーがあったという。

 大淀は机の棚を片っ端から開けて探し、ロッカーの鍵を見つけると、ガンロッカーからレミントン銃を取り出した。今にも一揆勢が広場に現れる気がして、八発の十二ゲージ弾をつめる指がぶるぶる震えた。おそるおそる窓の外をみてみると、まだ来てはいない。

 凛は二階にあがった。

 故老によれば、二階部分は保安官の住居スペースだったらしい。浅田はほとんどの私物をきれいに片づけており、部屋にはなにもなかった。凛は畳をひっぺがし、窓のところに隙間なく立てかけた。投石の被害を防ぐためである。

「もう、なんでわたしがこんなことを。女の子のすることじゃないよ」

 凛はぶつぶつ言いながら、脇差しをすらりと抜き、ぶすぶすぶすと畳に突き刺して、カラシニコフの銃身が入る程度の大きさの銃丸と、視界を確保するための窓を作った。

 二階の備えを固め終わり、凛がカラシニコフをもって降りてくると、エアコンの冷気がふわっと体内に入ってきた。

「はー、涼しい最高ーっ。保安官さん、一揆のやつらもう来ましたか」

 凛は両腕をあげて大きく息を吸い、肺にいっぱいの冷気を吸い込んだ。暑さを当たり前に受け入れていた状態から冷房の効いた空間に入ると、人間のテンションは一段階あがる。凛はそれを楽しんでいるようだった。

 大淀は文机のところに座り、散らかしてしまった書類を片づけていた。ショットガンの肩紐にあたまを入れ、斜めがけにしているのは、ふつう通りに一方の肩に掛けると、なで肩を滑って落ちてしまうためである。

「保安官さん、なにやってるんですか。ちゃんと見張っててくれなきゃ」

 凛は横から、文机をひょいとのぞき込んだ。大淀はなにかの文書をみていた。表のなかに、細かい文字と数字がびっしり書き込まれている。だが凛はその表の中身よりも、大淀がかけている眼鏡に興味をもったらしい。

「あれっ、眼鏡? 持ってたんですか」

「ええ、巡査時代に。刑事は眼鏡禁止なので、やめてたんです。それより、この表……」

 大淀は細い指で、表の文字と数字を一列ずつ追いかけ、首を傾げた。

「なんですか? 保安官」

「これ、なにかの帳簿ですね。ここに書いてある文字、見えますか」

「んー?」

 凛は片目をぎゅっと瞑って、書き付けに顔を寄せた。

「見えますけど、これ、カニ這い文字ですか。おらんだってやつ? はっ、カステラが食べたい」

「さっきアイス食べたでしょ……。あと、カステラはぽるとがるです。そもそもカステラの名前の由来はいすぱにやにあり……」

「はいはい分かったもういいです。で、これは何?」

「うん」

 大淀も、話が横へそれたのが分かったので、元の話題にもどした。

「これは、いんぐりっしゅですね。英国および米国で使用される言語で、いま洋学で主流になりつつあるものです。ここに書いてあるのは……寝るなっ、凛。起きなさい」

「ふにゃっ、はい姉さん、じゃない、保安官さん」

 大淀はカンテラの明かりをつけ、表の特定の部分をいくつか指で差していった。

「文字は読めなくても、同じ言葉が何度もあるのが分かるでしょ」

「あ、ほんとだ。なんて読むんです?」

「レッド・シー貿易」

 と、大淀は訳した。

「この部分によると、本社の所在地はケイマン諸島」

「は? どこそれ」

「ケイマン諸島ってのはカリブ海にあって……。ああ、もういいです、場所はどうだっていい。どうせどこかの列強のダミー会社ですよ。で、その会社が毎週、神奈川にあるこの会社に金を振り込んでいるんです。ほら、手書きで線が引いてあるでしょ、ここ」

「ふむ、浅田さんが書いたんですかね。でも、それがなんなんです?」

「なにっ、てあなた。毎週千万ドル以上の額ですよ」

「…………」

 凛はあいまいな表情を大淀にむけた。凛は、ドル、というのが何なのかすら知らないので無理はない。

「あの、十万両です。毎週」

「ええええっ、そんな大金っ?」

 一両が百ドルと大淀はおおまかに換算して、凛ははじめて、びっくりすることができた。里でやっている生命保険の、死亡時に支払われる最高給付額が一両二朱だから、凛の想像をこえた大金ということになる。

「この表に書かれたものだけでも、総額で数億ドル以上になる……。浅田保安官はなぜこれを? 彼はなにか言っていませんでしたか」

「さあ。なにもなかったと思いますけどね。その、お金を受け取ってるのはなんて会社なんですか?」

「ああ」

 言い忘れてた。大淀は、浅田による手書き線が引かれた横浜の商社の名前を見、しばらく考えてから、こう訳した。

「ドゥームズデイ委員会、かな。なんて意味だろう?」

「もしかして、わたしに訊いてます? そんなの知るわけない……おっと」

 窓の外が、急にざわざわとし始めた。凛はカラシニコフの弾倉を外し、残りの弾数を確認した。三十発弾倉の半分くらい。つけなおし、ガチッと銃にはめこんだ。

「お客さんだ」









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