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橘家の人人・ドゥームズデイ  作者: 佐々原廠
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第十四話「暴動」


「やめなさい、凛。あきらかに弾が足りないでしょ」

 大淀は、凛が構えているカラシニコフの銃口を手で下げさせ、もっともなことをいった。

「二人で二百人と戦うんですか。なぶり殺しになるのがオチです」

 大淀は荷台から飛び降り、すばやく運転席にもどった。スターターをまわし、エンジンを再始動しようとする。なぜクルマのエンジンというものは、こういうときなかなかかからないのだろうか。きゅるきゅる、きゅるきゅると、スターターばかりがむなしく回る。大淀が逃げようとしているのをみて、農民はかさにかかってきた。

「もはやご本家は頼りにならず、保安官も頼りにならず。よし、一揆をおこせっ」

「そうだ、一揆だあ!」

「凛さまを生け捕れーっ、保安官を殺せーっ」

 農民は気勢をあげ、手にもったいろいろな農具や棒で軽トラをばんばんばんばん叩きはじめ、徒手のものはがんがんがんがん蹴りつけてきた。大淀はエンジンをかけようと、血眼になってがんばっている。なぜ凛は生け捕りで、自分は死刑なのだろう? おかしいではないか。そのとき、凛が二度目の威嚇射撃を群衆に加えた。ばばばばばばっ……。

「なめるな、百姓っ。このわたしを生け捕るとは笑止。成敗してあげます、どこからでもかかってこい」

「おおっ」

 荷台のへりを乗り越えて、半裸の大男が登ってきた。これは元地方巡業の力士で、流浪したすえにここへ土着したものである。

「凛さま、お手向かい致しますぞ」

「来い、くそったれめ」

 という前に、凛は、カラシニコフの床尾板で元力士の額をぶん殴り、足をかけ、股間のものを引っつかみ、荷台の外へ投げ落としてしまった。元力士は、どうと落ちた。

「磐梯山っ、養生しなさいよ。次!」

「凛さま、次はわしじゃ、お相手願いたいっ」

「ああ、来なさい来なさい、どんどん来なさい」

 新しく荷台に飛び上がった青年は、十年ほどまえ、津軽盛岡・南部藩の領村から一万数千の百姓とともに、陸奥ノ国一帯へ大量逃散してきた者たちの一人で、水の良いこのあたりで蕎麦を育てている。

 これらはたいへん兄弟が多く、男だけでも藪太郎、砂蔵、更吉、田舎ノ助、二八兵衛、十割太の六人があり、それぞれ色が黒かったり白かったり違っている。それでも凛は、どれがだれだかさっぱり区別がつけられないので、たったいま喉仏に手刀を食らわして蹴り落としたのがそのうちの誰だったかはわからない。

「もう、めんどうだっ。あんたたち兄弟、全員こい。まとめて相手になってやる」

 凛はそういったのだが、南部の兄弟たちは律儀であって

「いや、凛さま、全員同時というのは卑怯、一人ずつ参りますゆえ」

 と、わんこそば式に、一人また一人とやっていく方法を変えなかった。凛はそれらを一人一人、どんどんどんどん叩き落としていくだけでよかった。投げる、打つ、突く、払うといった様々な方法で、彼らは結局六人全員が倒された。凛の放つ鮮やかな古武術の数々に、農民たちは怯み――はしなかった。歓声を上げた。

「いいぞお、凛さま。やれーっ、やっつけろ!」

「ははあ、おどろいた。妹さまもやるもんだなあ」

「おっ、よし、次はおらが行く!」

 一種のショーなのである。

 その光景はまさに見物であったのだが、大淀はそれどころではない。農民は、凛とはある意味遊びであるかもしれないが、大淀についてはわからない。まさか公儀の役人を殺害することはないにしても、縄を打って路上に晒すくらいのことはするかもしれない。トラウマがよみがえってきた。

「ぼろエンジン、なんで動かないんですかっ、動け、このやろう、あほんだら!」

 キレた大淀が編上靴の底で蹴っ飛ばすと、きゅるきゅるきゅる、ぶうん、ぶううーん、とエンジンが復活した。

「この手にかぎる」

 大淀はブレーキをはずし、アクセルペダルを踏み込んだ。群衆はそれを阻止しようと、運転席の窓やらドアやらを叩きまくった。

「止まりやがれーっ、こらーっ、くそったれーっ!」

「代官の犬め! 犬め、犬め、犬め!」

 荷台の凛に挑みかかっているゆっくりした農民たちとは違い、大淀に向かってくる群衆は狂気の形相すさまじく、軽トラが煙を吐いて動き出すと、容赦なく石を投げ、棒を投げ、備中ぐわを叩きつけてきた。大淀の耳元の窓ガラスがこなごなに割れた。

 やっとスピードが出て、群衆は左右に分かれた。大淀はギアチェンジをし、さらに増速した。荷台に乗っていた最後の一人が、間接技からの突きで落とされ、凛は助手席にもどってきた。

「えらいことをしてくれましたね!」

 大淀、凛の二人ともが、相手に向かって同時にいった。

「保安官さんっ、一体なんですか、あのばかげた演説は。ふざけてるんですか?」

「わたしのせいだと言うんですか、ばかなことを。関ヶ原の戦いのように銃を乱射したのは誰ですか」

「あ、あれは自衛権に基づいた行動です。くそっ、こうなったのもすべて姉さんのせいだ。くわを持った百姓に追いかけられるべきは姉さんだ。全財産を残したまま死ぬべきは姉さんだ」

 農民たちは実際、棒きれや農具を手に、まてまてーっと走って追いかけてきていた。カーブの多い下り坂で、そんなに速度を出せないとはいえ、二十キロから三十キロは出ているはずだが、農民は道路横の山のなかに裸足で分け入り、軽トラがカーブ道を蛇行しているあいだに先回りして、斜面を駆け降りてやってくるのである。

「凛、あなたの姉さん、楓どのというのは、どういう人なのですか」

 大淀はたずねながら、崖の上から道路に飛び降りてきた農民を急ハンドルであやうく回避した。左側の車輪が浮き、正面には崖がある。大淀はとっさにハンドルを二回右に回し、浮いた車輪を山の斜面にざっと乗せた。カーブが切れるところでハンドルをもどし、左へ目一杯切る。サイドブレーキを一瞬だけかける。

 車体の後部がドリフトしながら、右側へざあっと横滑りした。タイヤの向きを正面にする。クルマは道なりにもどった……。刑事になるまえ、大淀は交通課で働いていた。クルマを動かすのは、手足を動かすのと同じように自在にできる。

「姉さんですか?」

 凛のほうも、大淀のラフな運転をべつに怖がっている風でもない。けろりとしている。

「あれはもう、血も涙もない冷酷なファシストで、わたしをばかにするし、このあたりの農民を搾取してます。あとわたしをばかにしてます。最低です」

「ふむ、やはり彼女が里の指導者なのですか。農民の支持はどうです?」

「さあ。なぜか、みんな姉さんには従ってるみたいです」

 凛は目線をドアミラーに向けて、わーっと追ってくる一揆勢をみた。

「最近、一週間ほど出かけてるけど、いなくなった途端にコレです」

「どこに行ったんですかね。代官も探してましたが」

 ハッパをやりながら……というのは大淀は言わなかったが、代官という言葉を聞いて、あははは、と凛は軽い笑い声を立てた。

「あの代官? まー、あの人は、商品がなくなったので分けてほしいとかじゃないですか。いつもタダで持っていくんですよ、あのクソジジイ……」

 この里で行われている、ある種の薬草の栽培は、それで見逃されているのかと、大淀は考えた。商品をタダで持っていくどころか、金も取っていると思う。

「姉さんは、そうですねえ……。ビジネスで遠くに行ってるか、森で人をいたぶってるか」

「捕まった、とか、撃たれた、とかは。考えないのですか」

「はあ、あの姉さんが?」

 凛は太めの眉を寄せて、露骨な表情を大淀に向けた。笑っている。

「ありえないです。そうなってたら面白い、ていうかサイコーだけど。明日から、わたしがボスです。ふむん、わたしがボス。いい響きだなあ。アイ・アム・ザ・ボス!」

「で、ボスさん。どこに向かったらいいですか。あなたの家でいいの?」

 軽トラは坂を降りきって、もとの四ツ辻のところまで来た。大淀は里の地理などまったく分からない。

「うーん、家はまずいなー。そうだっ、保安官事務所に行こう」

「ふむ、それってどこですか?」

 大淀が訊くと、凛は舌打ちすらしそうな顔で、大淀を横にみた。

「ねえ……、保安官さんって、ほんとに保安官?」

「し、仕方ないでしょう! 来たばかりなんですから」

 実際にそうだった。大淀がパトカーで只簑川の橋を渡ってから、まだ四時間くらいしか経っていない。









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