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橘家の人人・ドゥームズデイ  作者: 佐々原廠
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第十三話「百姓たち」


「保安官! 保安官!」

 群衆はシュプレヒコールを送りはじめた。大淀は途方に暮れた顔をしたが、やがて冷静になり、ふと考え直した。

 ――まてよ。これはわたしの存在感を示す絶好のチャンスかもしれない。

 新しいコミュニティに溶け込むのはたいへんだ。しかし、ここで見事に言い争いを仲裁し、騒ぎを鎮静したならば、有能な保安官として村民どもに認められ、理想の村に更正し、理想の保安官として、やがては幕府にもうわさが伝わり、もしかしたら、江戸に帰ることもできるかもしれない……。

「わかりましたっ、それではわたしが責任をもって、仲裁役になりましょう」

 張り切った大淀が挙手していうと、農民たちは歓迎し、わーっ、とさけんだ。単純な連中だ、大淀は思った。

「ではまずは、口論の原因を言いなさい。水争いですか、耕地の境界の諍いですか、家畜泥棒ですか」

 赤く日焼けした半裸の農民のひとりがいった。

「こいつ、超ひも理論よりもループ量子重力理論のほうが一般相対性理論と量子論を矛盾なく結びつける可能性が高いなんてぬかしただよ!」

「ん?」

 大淀はちょっと、農民のいったことが一瞬わからず、その言葉をあたまのなかでもう一度思い出し、反芻して考えてみた。

 やっぱりわかんなかった。

「しょんねえべや、それが事実だでよ」

 備中ぐわをかついだ別の農民が、首にかけた手ぬぐいで額の汗を拭きながらいった。

「ループ量子重力理論のほうが超ひも理論よりもずっと検証可能だべ」

「へえー、おもしれえ。どうやって検証するってえだや?」

 また別の農民がさけんだ。かれは野良着の帯を鉢巻がわりにし、裸の胴体の上に前のあいた野良着を羽織っている。

「波長による光の到達速度の差を検出すりゃァええだ」

 ひどく痩せて背の低い、笠をかぶった農民が、文字通り指をさしながら指摘した。

「んだ、時空の量子化は実証できる!」

「たわごとをぬかすなーっ。おめえらァなんだ! 物質の根本は小さなひもだっちゅうのを忘れやがって」

「ブラックホールのエントロピーを予測しているのはループ量子重力理論だけだーっ」

「うるせえ、このやろう」

「なんだと。分からず屋のコンコンチキ、ぶっとばされたいか、このやろう」

「ばかやろう、ばかやろう!」

 農民たちがつかみ合いの喧嘩をはじめたとき、ばーんばーんと凛がカラシニコフを二回撃った。群衆は静まった。なお、このとき撃った弾は飛び、二百メートルくらい離れたもみの木のところで、やじうま一人が死んだ。この予測不能かつ完全な事故に関し、橘ノ庄火災保険生命は慎重な調査を行い、掛け金に対して満額である金一両二朱を、指定された受取人さまに支払うことに決定いたしました。心よりご冥福をお祈りいたします。

「はい、おわり。みんなの意見はもう大体聞いたと思う。あとは保安官さんにお裁きをつけてもらいましょう。それでいいよね」

「おおーっ」

「それでええだ!」

 農民たちは大きくうなずき、日に灼けて炯々とした目を開いて、手をたたいた。

「それで保安官さん、どっちが正しいですかね」

 凛の呼びかけで、大淀ははっと気がついた。宇宙空間に吸い込まれていた大淀の魂がやっともどってきた。

「えーっと、あの、どっちがって?」

「いや、決めてもらわなきゃ。正しいほうを」

 凛は大淀と話しながら、手のひらで農民たちを均すような仕草をした。大淀は小声でいった。

「あの、すいません。凛、そのどっちっていうのは、なにと、なにがあるんでしたっけ」

「はあ? みんなが今、いろいろ言ってたじゃないですか。保安官さん、聞いてなかったんですか。うわのそらってヤツですか」

「そ、そうじゃないんですけど、なんというかその、か、確認したくて!」

「そりゃ、アレですよ」

 凛は腕組みをして、うなずいた。だまった。

「アレってなんですか」

「いやそのー、いや、アレはアレです。えーっと、ループ、なんとかっていうヤツと、あと、ひも……、ひもです。ウン」

「それってどうちがうの!」

「知らないよ! 広島風と大坂風みたいなやつじゃない?」

「は? なにを言ってるんですか、それはまったくの別物で……ああっ、もういいっ。オホンッ、あー。りょ、良民のみなさん」

 大淀は軽く手を振り、うすい頬の肉を引き吊らせて作った笑顔をむけた。農民たちは無言・無表情でその場に立ち、目をまっすぐ大淀に向けて、まもなく発せられるであろう言葉を待っている。

 大淀は目を泳がせながら、

「あの、えーっと、そうですね、その。オホン、えーっ、そもそも、人というものは、みな、それぞれに違った意見があるものであって」

 どうにかこうにか、しゃべり始めた。

 思いつくままのことをしゃべった。

「それはお互い尊重するべきであって、つまりいま、我々の我々の社会は、多様な価値観、多様な文化、グローバリゼーションのもと、新しい多様な社会をつくろうと、最大限の努力、努力をしておるさいちゅうでして、そしてですね、持続可能な幕藩体制社会をつくろうと、痛みをともなう改革があって、そして江戸オリンピックをみんなで成功させましょう。あの、おわります」

「…………」

 周辺一帯は、し――んと静まってしまった。

 不穏な空気があたりに漂いはじめたのを、大淀も凛も感じた。一分くらいの沈黙の時間が流れ、農民たちはざわざわとしはじめた。

「なあ、今んのは一体どうゆう意味だったべや」

「さあ? わがんね。おめえわかったか」

「いんや、ぜんぜん。凛さまっ」

 農民たちの目は、今度は凛に向けられた。凛は丸い両目を左右に動かし、しきりにまばたきをした。

「な、なんですか」

「いまの保安官さんの仰ったことだけんど、どうもわしらには難しくてよく分からんかっただよ。凛さま、説明してくだされ」

「そうだ、凛さま。分かりやすく言うとどうなるだね?」

「凛さまっ。ループ量子重力理論は正しいのですか、正しくないのですかっ」

「そ、それはその……。ええーい、ごちゃごちゃうるせーっ、知らねーっ、このやろーっ」

 農民に次々と詰め寄られ、凛は冷静でなくなった。農民はさらにざわざわとした。

「凛さま、それはあんまりじゃ。あんたァご本家の次女さまじゃないか。いざこざに裁きをつけるのはご本家の勤め、ご領主さまが不在のいま……」

「うるさい、うるさい、うるさーいっ」

 凛はカラシニコフを持った手を上下に振って、怒った女の子の声をだした。多くの女の子と同様、こういう状態になってしまうと、まわりの状況というものは見えにくくなる。

「あんたたちは、米を作ってなさいっ。ループだのヒモだの、どうでもいい。くだらないことは考えず……」

「なにっ、くだらないですとっ!」

 凛のこの発言は、農民たちの感情をいたく刺激したらしい。彼らはこれまでになく騒ぎはじめた。

「くだらないとはなんだ! わしらをなめとるか」

「宇宙の真実を解明することがくだらないというのか」

「ご本家、いまのお言葉、本心ではあるまいな。撤回しなされ」

「やかましいっ」

 凛はカラシニコフを構え、フルオート射撃に切り替えて、群衆のあたまの上を、ばばばばばばっと掃射した。これには農民たちもたまらず、頭を抱え、わあっと伏せた。凛はカラシニコフの弾倉を予備のものに交換した。

「共産主義のどん百姓め、ぶち殺してやる」









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