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橘家の人人・ドゥームズデイ  作者: 佐々原廠
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第十二話「田園と少女」


 行水と着替えをすませ――。

 二人は出かけた。

 凛の家の軽トラを大淀が運転し、凛は助手席にいる。

「そこの四ツ辻を少し行って、わき道を右です」

「わかりました。ところで、なぜわたしも行くことになってるんでしょう」

 数分前、橘家の水で旅の汗と垢を落とした大淀が服をつけて庭に出てくると、自動的にそういうことになっていた。

 どこの田舎に行ってもある、丸いフロントライトをつけた白い軽トラが用意されてあり、エンジンが回っていた。

 ――保安官、はやくーっ。

 凛が助手席の窓から身を乗り出して呼ぶと、水浴びの気持ちよさでぼーっとしていた大淀は、

 ――あ、いま行きます。

 なんとなく乗ってしまった。

「わたしには関係のない喧嘩ですよね?」

「関係ないってなんですか」

 凛は少しむっとした顔を大淀に近付け、説教をするようにいった。

「保安官は、保安官でしょ。村の治安を守ってもらわなきゃこまるじゃないですか。あと運転もしてもらわなきゃ」

「使われてるような気がする……。凛、あなたは運転できないのですか」

 凛は、今度はきょとんとした顔になり、口をへの字に曲げた。

「車の運転? いやあ、女の子のすることじゃないでしょう」

(この里の常識の基準がわからん……)

 大淀は車を進めた。

 凹凸の多い道で、がたん、どたん、と軽トラの硬いサスがしばしば軋む。あたりは一面、農地と山で、四ツ辻には無人の社らしい鳥居と木立がみえた。田んぼは草取りの時期で、何人かの農民が水を張った田に入り、もくもくと作業している。凛は目を細めて、トラックの時計をみた。

「十五時二分か、だいぶ遅れたなあ」

「喧嘩はもうやんでるんじゃないですか」

「あっ、そうかもですね」

 ふと思ったことを大淀が口に出すと、凛はその希望的な観測に飛びついた。

「みんなもうとっくに家に帰ってたりして。いやきっとそうですよ、ぜったい。なんかそんな気がします。そうだそうにちがいない。さて、それじゃそろそろ帰りますか。途中でアイス買ってください」

「まてまて……。調べていきますよ、ここまで来たんですからね」

「ええーっ、もうやですよわたし。ほっときましょうよ、ほっといて帰ろうよ、あとアイス買ってください」

「だめっ。里の治安を守る責任が保安官にはあるんです」

「くそー、それわたしが言ったのに。そこ右ですよ」

 大淀は軽トラの細いハンドルを切り、わき道に車を入らせた。たったったっ、というウィンカーの音が、たんっ、と途切れる。

 道は登り勾配になっていた。

 あそびの多いアクセルペダルをぐっと踏み込む。がっ、がっ、とシフトチェンジ。ぎゅうーん、ばんっ、ぶうーん、たたたたた……、と音を変えながら、軽トラはカーブの多い坂道をのぼっていく。

 高井戸という地名の通り、そこは小高い丘陵地であった。

 ――もしかすると、井戸もあるのかな。

 関東にも同名の宿場があったのを、大淀は思い出していた。

「あっ、保安官、あれ見て、あれっ」

 坂を登りきったとき、凛が九時の方向を指さした。人だかりがある。

「なんですか、ありゃあ」

 その人数をみて、大淀はおどろいた。少なくみても、二百人はいるだろう。このまばらな里にこんなに人がいたのか?

「なにってあれが喧嘩ですよ」

 凛は巻き脚絆のひもを締め、履き物を平底の草鞋に変えて足拵えをした。二百人の農民は、田んぼのなかや、田んぼのまわり、道路、立木の上などに集まり、大きく二つのかたまりに分かれていた。

「このまままっすぐ行ってください。両方の真ん中で停めるんです」

 凛は手のひらを垂直に立てて、大淀に進むべきポイントを指示すると、窓から手を伸ばして車のルーフをつかみ、車外に半身を乗り出させた。片足を窓枠にのせる。

「ちょっと、あぶないですよ! 凛、どこに行くんです」

「外の空気を吸ってきます」

 凛は荷台の突起に引っかけてあったカラシニコフ銃を肩にかけ、ルーフの上に身軽く飛びあがった。ずん、という鈍い音が上から聞こえ、大淀はしかめた顔を天井に向けた。足音はそこから後ろへ移り、凛は荷台に下りた。ばんっ、という金属板の跳ね返る音。

「オッケーですよ保安官、そのまま前進っ」

「はいはい」

 大淀は群衆にむけて、言われたとおりに軽トラをまっすぐ走らせた。凛は、荷台に立ち、左手を軽トラのボディワークの上にのせている。カラシニコフの銃床を右腰にあてると、たすきをかけた袖の下から、体格のわりに筋肉のついた硬い二の腕がみえる。

 凛は、あたり一帯の田園を見回した。山地の民のなかには、都市民にはないような種類の技能を発達させた者がたまにある。周囲の田野を一望して、群衆の数は二百二十三人、うち、手前側の陣営は三十三人、奥の陣営三十六人、あとの人数はやじうまと見て取った。

「なんでそんなことがわかるんです?」

 大淀が訊くと、みればわかる、と凛は答えた。後日、改めて調べてみると、その数はまったく正確だったので、大淀はあきれた。

 群衆はお互いに、なにごとかを語気するどく難じあっていた。凛は、カラシニコフを空に向け、間遠な間隔で四回、単発射撃をした。周囲は開けた土地なので、ぱんっ、ぱんっ、ぱんっ、ぱーんっ、という乾いた発砲音になる。数秒すると、その音が山に反射してもどってくる。

 群衆は何事かと思い、ひとまず喧嘩口論をやめた。

 大淀はゆっくりと、彼らのあいだに軽トラを分け入れさせ、畑のわきへ停めた。凛はカラシニコフを水平にして、荷台の上からいった。

「こらーっ、やめなさーい。なにを騒いでいるんです」

「あっ、凛さまじゃ」

 二、三の農民が駆け出し、その数が十人、二十人と増え、最終的には群衆全部が、畑のところへどっと集まってきた。

 畑は、多くの作物が等間隔に列をなし、ビニールの覆いのなかで幼い枝が茂っていた。

(このハッパって、あのハッパだよなあ)

 大淀は、その独特なギザギザ形状の葉の外見をみて、そのことに気付いたが、まわりの状況を考え、知らないことにした。

「あんたたち、なにがあったかは知りませんが、ものごとというのは穏やかに話し合い、お互いに争わず、平和に解決するようにしなければいけませんよ」

 カラシニコフのトリガーカバーに指をかけた凛が、みんなに説諭をはじめた。農民たちは聴いている。

「わたしたちはみんな里の仲間じゃないですか。何事も一味同心し、清く正しく生きていかなくてはならない。わかりましたね」

 群衆は口々に賛同の声をあげ、さかんに頷きあった。

「おお、そうだそうだ、ほんとうだ」

「わしらは仲間だ、話し合おうじゃないか」

「わかってもらえてよかったです」

 凛はカラシニコフを肩へ駆けなおし、運転席のドアを開けた。

「えー、ところでさっき新任の保安官がきました。大淀さんです。みんなで歓迎しましょうね」

 凛がぱち、ぱちと手をたたくと、軽トラのまわりの群衆が一斉に、雷のような拍手をだーっと送った。凛はひょいと荷台から飛び降り、運転席から大淀をひっぱり出した。

「えっ、ちょっとあの。凛、なにをするんです?」

「みんなに挨拶してください、保安官さん」

 凛は大淀の尻を持ち上げ、荷台の上に登らせた。どてっ、と大淀は荷台に転がった。凛自身は、タイヤに片足をかけ、片手で容易によじ登ったあと、大淀を起こす。凛が片手をあげると、拍手がぴたっ、と止まった。

「あの、大淀です。あー、その、よろしく」

 また拍手が起こった。凛はみんなにいった。

「さて、みんなわかると思うけど、ここは狭い里ですし、お互いに利益とか不利益とかののがあって、どっちの言うのが正しいかとか言うのが難しいみたいな感じがあると思う。そこで、第三帝国の保安官さんが」

「第三者ね」

「うん。第三者の保安官さんが、それぞれの話をきいて、で、どっちが良いかを判断するみたいにしたらいいと思う。どうですかね」

 凛はカラシニコフを水平に持った。群衆は歓呼して凛の意見に賛成した。

「おお、それがいい、それがいい」

「そうしよう、決めてもらおうじゃないか!」

「なるほど、第三者の意見を取り入れるわけですか……」

 大淀も、凛の稚拙な言い回しはともかく、わるくない解決方法だと思った。その第三者が自分だと気付くまでは。

「えっ、ちょっとまって。凛」

「なんですか、保安官さん」

「もしかしていまのって、すべてわたしに押しつけたという意味ですか」

「あーっ。……ちがいます」

 後半部分で、凛は目をそらした。大淀は押しつけられた。










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