氷結の戦場 1
ダントンの配下は港に待たせてあった。アウグストの要望通り、真冬にしか使われないソリも、あるだけ集めた。さすがにそのソリを曳く動物まではイスダールには居なかったので、一応馬を連れてきてある。
さて、アウグストがどんなものを見せてくれるのか、魔法蒐集家のダントンは胸が躍った。しかし、彼が気がかりなのは……。
「まだ解けないのな、魔力酔い」
「……ダントン、変なことを考えるなよ?」
「ばっか、俺はそんな外道じゃねえよ」
そう言いながらも、ダントンは床に足を投げ出して椅子に体をもたせ掛けているハリーをじっくり観察していた。黒い髪の毛を撫でると人形のようだった体がぴくりと反応して、意識が戻ったかと思わせたが、覗き込んだ瞳はまだとろんとしていた。
「実はニンゲンじゃなくて、活きた人形だったりしないか? 魔力酔いじゃなくて魔力切れなんじゃ……」
「……どうしてそうなる?」
「だって、十五年前から変わってないなんて……おかしいだろ。ハリーは実は死んでいて、体を人形にされちまったんじゃないのか? おお、活き人形! すげぇ! 欲しい! 俺にくれ」
「……度し難い変態だな。ハリーはちゃんと生きている」
「人形じゃないハリーも愛してるから俺にくれ」
「断る! それよりさっさと船のところへ連れて行け!」
「へいへ〜い……。ハリーはどうする、置いていくのか?」
「ハリー、ついて来られるか?」
「……はい、アウグスト様」
虚ろな表情でハリーがつぶやいた。
驚き飛び上がるダントン・ノレッジ。
「おわ!」
「……動いたな」
「ああ……そう、だな」
そこからは二人とも無言だった。ダントンたちの後からついて来るハリーは、本当に人形のようで不気味だったからだ。
そして、それはハリーだけではなかった。会う者会う者が、皆一様に昏い目をしており、アウグストを見るや跪いて頭を垂れるのだ。
(これ、魔力酔いじゃねぇぞ。もっとヤベェもんだ……!)
ダントンは思わず左手首に填めていた、精神支配を受けにくくするヘマタイトの腕輪に触れていた。大枚はたいて買った魔道具で、効力は『抗精神支配・持久力向上』の二つ、値が張っただけにそれだけの働きはしてくれているようだ。
「ダントン、何人集めた?」
「……三十。十は俺のとこのだが。というか、どうしてこうなってるのか分からないのかよ? 何かおかしいと思わねぇのか」
「さあ? まぁ、こういう状態が普通だから何とも思わないな」
「そういや王子だもんな、お前」
「そうだぞ。少しは敬え。さて、着いたな」
馬車で港まで来たのだが、そこでもその場に居た全員がその場で跪いていた。その者たちには全く構わず、アウグストは波打ち際まで歩いていった。
月はゆるやかに円く、世界にあまねく青い光を投げかけており、海は版画のように荒々しく見えるも静かだった。
「見えた」
アウグストは小さく口の中で呟いた。
海の上には遮るものは無く、小さくも船の姿はよく分かった。帆を畳んだその姿は、行き場を失くした子どものように佇んでいた。
「ダントン、離れていろ。今から少し大掛かりなことをするぞ」
「お。とうとう凍らせるか」
「そうだ。巻き込まれるなよ」
「言っても無駄だろうがな」と思いながらも、アウグストは年甲斐も無くはしゃぐ従兄殿に警告した。左手より魔力を解放する。魔力羽が震えて、冷気を撒き散らしていく。
まるで水晶の粉のように月光を受けて乱反射した煌きが、幻想的で美しく、また、触れれば命を落とすだろうその危うさが魅力に拍車をかけている。
メキメキと大木がひしゃげるような異音を立てて海が固く冷えた氷塊に変わっていく。ふわりと、海原よりの凍えた風がダントンの額にかかっていた髪を巻き上げた。
「なんだ、こりゃ……」
作戦会議のとき、アウグストは言っていた。
「海を凍らせて道を作る。船を氷の槍で縫い止めて、レオンハルトを引きづり出すぞ」と。ダントンは文字どおり海の中に氷の浮き橋を作るのだと思っていた。だが、どうだ。この見渡す限りの氷の海は……。
「すげぇ!! お前、本当にニンゲンかよぉ!?」
ダントンは波打ち際のアウグストに駆け寄った。
「…………凍れ」
「おい?」
『凍れ……凍れ! 静め、鎮まれ、沈んでしまえ! 時の流れに取り残されろ……!』
「おい、やりすぎだ! やめろ、アウグスト!!」
「っ…! ダントン……か……?」
「しっかりしろ!」
「すまない……、力に引きずられて、正体を失っていたようだ……」
ダントンは背後からアウグストを抱え込み、倒れそうなその痩身を支えてやった。アウグストは彼に身を預け、目を閉じて眉間を揉みほぐしている。
(もう少しで戻れなくなるところだった……。くそ、トマスが居なければ、こんなことすら一人で出来ぬとは……。ダントンに助けられてしまったな)
苦々しげにため息を吐くその肩を、ダントンが「気にするな」と言うように軽く叩く。大きく魔力を消費したため、アウグストから発せられていた重圧は消え、ようやく支配の解けた人々の戸惑いの声も聞こえてきた。
「人が来るな。その前にもう一仕事しなくては……」
「ナニ? まだやんのか」
「ああ。離れていろ」
「断る。さっさと済ませちまえ」
「…………。来たれ、我が眷族……代償を食らい顕現せよ!」
「おお!?」
アウグストが懐から小刀を取り出し、左腕に刃を立てた。浅く傷をつけると、貴い血が流れ落ち、砂に吸い込まれる直前に消えた。
と、同時に黒い靄が渦巻き、中から巨大な銀の狼が五頭、飛び出してきた。その一頭一頭が立派な毛並みと青い目を持っている。その大きさは成人の頭を一飲みに出来るほどだ。中でも一際大きな一頭が主の前に伏せてその手が撫でるのを待っていた。
「おおお……、これが噂の雪狼か!」
ダントンは上擦る声を抑えられずにいた。
幻想の獣を目の当たりにして心が躍る。触ってみたい……!
だが、伸ばしかけた手を本能的に引っ込める。そうして正解だ、大人しかった獣がダントンに無感情な目を向けた、ただそれだけで噛み裂かれた己を幻視したのだから。
「ダントン、行くぞ。捕り物を始めよう」
「あ、ああ……」
ダントンは五体無事なことに感謝しながら、しっかりした足取りで歩き始めたアウグストの背中についていった。




