夢の中の乙女
七夕なので更新します。嘘です、キリが悪いので殿下が無双する回まで連日更新します。
イスダール側との会談はすぐに終わった。こちらの要求が通り、直接的にはアウグストとダントンが船を陥落させ、イスダールには補助的な役割に徹してもらうことになった。作戦失敗時や敵兵逃亡の際の捕縛、また、捕らえたレオンハルトを連行するまでの拘置、また、馬や車の借受であったりだ。
「礼はまた後日」と言うと、「礼は王太子殿下へお返しください」と言うので、アウグストはそれだけは避けたく、きちんとした約定を取り交わした。まあ、ここがテオドールの領地である以上は借りは発生しそうなものだが、それはレオンハルトを捕らえた件で返す心積もりなのだった。
「アウグスト、少し寝ておけよ。用意はすぐには出来ん」
「ああ。そうだな、そうする」
「酷い面だぞ。眠れないなら添い寝してやろうか?」
「……結構だ」
「アウグスト様に近付くな! この……!」
「ん? どうした、言ってみな?」
「…………!」
にやにやと笑うダントンを睨み付けながらも、ハリーが罵声を飲み込んだのは不敬罪だとかの言いがかりで寝所に連れ込まれないための用心であった。ハリーはダントンを視界に収めたまま、ゆっくりとアウグストの側に歩み寄った。
「とにかく部屋に戻りましょう、アウグスト様。こんな危険なところに居られませんよ。アウグスト様に何かあったら、僕、トマスセンパイに殺されちゃいますよ」
「安心しろ、ダントンの氷漬けが出来るだけだ」
「つれねぇなぁ。じゃあ、また後で呼びに来る」
「ああ。……ダントン、世話をかける」
「は。……変わったな、アウグスト」
「知らん。そんな自覚はない」
「変わりましたよ。僕、今のアウグスト様の方が良いと思います」
「なぜだ?」
「……安心して見ていられるからですよ。以前のアウグスト様は、手負いの山猫みたいでしたからね」
「そうか。そうだな」
笑顔を向けてくるハリーやダントンの視線を避けるように身を翻し、アウグストは自分に与えられた客室に戻っていった。ハリーが一拍置いてついてくる。
「アウグスト様、僕がちゃんと戸口で見張っていますからね」
「部屋に帰って寝ろ」
「いいえ、ここで。ほら、剣もありますし」
ハリーはアウグストの寝室のドアに背中を預けて座り込んでいた。長剣を肩に持たせかけているが、これでは逆に狭い室内での戦闘には向かないだろう。ただの飾りにしかならないだろうが、本人が良いならそれでも良いかと考え、指摘しなかった。
招待客ではないからと、長官からの豪勢な食事の誘いを断り、戦場で摂るのと然程変わらぬ糧食をしたためたアウグストは、長く眠るつもりはなかった。黒術で体を弛緩させ疲れを抜いていく。だが、目は冴えていて眠れない。
(ルベリア……今頃は何をしているだろうか)
髪をほどき、深く息を吸う。目には見えない折り畳まれていた魔力羽が拡がっていくのが感じられた。何年ぶりだろうか、この封を解くのは。竜脈から流れ込む魔力が見えない羽の先までを満たしていく。だが、目一杯まで溜め込むと暴発してイスダール全体が凍土に変わるので、調整が必要だ。
(兄上に渡したくない。たとえ、二度と和解出来なくとも。ルベリアはきっと私を選ぶだろう。私の名を呼べ、ルベリア……)
◇◆◇
アウグストの短い微睡みの内に現れたルベリアは、見慣れぬ異国の服に身を包み、腰に届くほど長い髪を風に揺らしていた。その足元には獅子がおとなしく座っている。低く喉を鳴らしているが、獅子はアウグストやルベリアに危害を加えるつもりは無いようだ。夢の中でもその顔となだらかな胸のせいで美青年にしか見えないのが妙に可笑しかった。
『殿下……。どうかお願いです、聖典に従ってくださいませ』
「どういう、意味だ……?」
『これ以上誰も殺めないでくださいませ、我が君』
祈るように、謡うように、ルベリアは言葉をつむぐ。
らしくないな、とアウグストは思った。ルベリアなのは間違いないのに、これではまるで、よく似た別人だ。触れれば、分かるだろうか? じっと見詰めれば、乙女は恥じらい頬を染めた。
「ルベリア……」
『はい?』
アウグストはルベリアの手を取りぐいっと引き寄せた。腕の中に抱き籠めるとルベリアは身を捩って逃げようとしたが、アウグストは構わずその首筋に鼻先を埋めた。
『い、いけません、我が君! まだダメです……!』
「何が駄目なものか。私の夢に出てきたのだから、私の好きにする」
『嬉しいですけど、ダメなんです。私はこうしてお会いできただけで、もう……』
「離さない」
『あ……』
抵抗がやみ、ルベリアはアウグストの肩に額をつけた。
「私の名を呼べ、ルベリア」
『我が君……アウグスト様……』
濡れた緋の瞳が伏せられた睫毛に隠れ、アウグストの名を呼んだ唇が口づけを求めて寄せられた。アウグストが触れるか触れないかというその時、扉を叩く音が眠りを破った。
「アウグスト、居るか? 呼んでも返事がないから奥まで入らせてもらったぞ」
「ダントン………ころす!」
「うわっ、やめろ、凍る!」
「ひゃう!! つめたっ!?」
「ハリー! 見張ると言って寝る奴があるか! おかげでこっちは……くそっ!」
夢の中でルベリアに触れられなかった憤りを二人にぶつけるアウグストであった。
◇◆◇
ダントンは準備が整ったので人を遣って呼びに行かせたのだが、部屋の外からいくら呼んでも返事がないとの報告を受けて自分でやってきたのだった。おかげでとんだ八つ当たりを受けてしまったが。
やがて、準備が整ったと招じ入れられると、アウグストは寛げた首元はそのままに、略式冠でもある額飾りを着けているところだった。
その、アウグストのあまりの変化にダントンは眉をしかめた。
「おいおい、嘘だろ……」
「どうした?」
(自覚がないのか!?)
年下の従弟殿が髪を下ろしている姿など初めて見たが、驚くのはそこではない。
深い紫色の瞳は闇よりも昏く染まり、体からは常に冷気が流れ出ており、陽炎にも似たしかし全く異質の揺らめきが彼を見る者からすら、その姿を歪ませていた。ほとんど魔力を持たないダントンですら圧倒するその莫大な力は、側に控えるハリーを魔力酔いで身動き取れなくさせていた。
「ハリー、ハリー・リズボン!」
「………」
「だめだこりゃ」
ハリーは目を開いたままで固まっていた。
ハリーの灰色がかった青い瞳がどす黒く濁っている。
床にへたり込んでいるハリーの頬を軽く叩いても反応がないため、ダントンは彼をとりあえず手近な椅子に寄りかからせた。
「その魔力……、お前そこまで強かったか?」
「ああ。本気を出すのはいつ振りか覚えていないが、これが制御できるぎりぎりだ。不思議だろう? 魔力を溜める場所は胃袋と同じで他者には量れないんだ。見せたのはトマス以外では数人しか居ない」
「そうか。そりゃあ、マズイな」
「何がだ?」
「聖堂騎士だよ。ここが陰陽の安定してるアウストラルで、お前が第二王子だから今まで見逃されてきたが、そんな力を秘めてると知れりゃあ、聖堂も刺客を差し向けてくるかもしれん」
「はぁ……」
まるで他人事のように生返事をするアウグストに苛立ち、ダントンは思わず強い口調で詰め寄っていた。
「お前の力がバランスを崩しちまうんだよ。……頼むから誰も殺してくれるなよ? ヒトの命が消えればその分凍土が増えていくんだ。そしていつか凍土が全てを覆って、皆、死ぬ。
お前の強い陰の気を帯びた魔力を放置するくらいなら、処刑されようがどうしようが殺しておこうって考える連中も居るってこった」
「詳しいなダントン」
「おう。俺は一応、騎士で導師だからな。俺に無いのは魔力だけよ」
「分かった。夢に出てきたルベリアもお前と同じことを言っていたからな。善処する」
「その言葉は……いや、いい」
「?」
ダントン・ノレッジは呻いた。
善処するというのは、口だけのことが多いものだが、アウグストに限っては、それはないだろう、と。
「ところで、夢ってなんだ。さっきも騒いでたな、そういや。聞かせてくれよ、ちょっと解いてやる」
夢というのが気にかかった。夢は重要なメッセージを有していることが多いからだ。だが、アウグストから聞き出した内容にダントンは首をひねった。
内容は聖典にあるように、“天秤を傾ける者”に対する忠告だ。だが、それにしては出てきた人物がおかしい。本来は陰気な老人、“隠者”が出てくる場面のはずだ。それなのに出てきたのは太陽の獅子を従えた“乙女”だ。しかも会話まで出来て、名を呼ぶと応えたとは……。
ダントンはルベリアと呼ばれていた少年騎士を思い出した。そうだ、太陽の輝きを目に宿す魅力的な少年だった。
「アウグストよぅ、ノロケか? ただの夢だったんじゃねぇの?」
「いや。確かに触れた。肌の温かさも、匂いも、あれは私のルベリアだった」
「……触れたか」
「ああ」
「なら、離すなよ。失いたくなきゃ、捕まえていろ」
「……ああ。言われずとも」
(だが、アウグスト……。そのルベリアはもしかしたらニンゲンじゃあないかもしれんぜ)
ダントンは、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。今はまだ言う必要がないだろう。今は、まだ……。
説明回ェ…。
この、世界観を濃縮したような回は、読みにくいです、ね。
すみません…。もっと上手くなりたいです…。




