アウグスト、イスダールへ
「よーぅ、お疲れぃ!」
「げっ」
誰何されることもなく迎え入れられ、イスダールの門をくぐるとダントン・ノレッジがアウグストを待っていた。この男色家で奔放な従兄は、他の者の前でも態度を崩さない。嘆かわしい限りである。主に、胃を痛めていそうなダントンの配下にとって。
「げっ、とはなんだよ? ん? ノレッジ家の次期当主様だぞ?」
「……すみませんでしたっ」
「はは、変わらんな、ハリー・リズボン!」
「わ、わ! ちょっ、やめ……」
ダントンは馬に乗っているのがやっと、という体のハリーを引き下ろすと両手に抱えた。
「ウチに来いよ、ハリー」
「おい、引き抜きは許さんぞ、ダントン」
「元々俺の騎士になる予定だったんだ、オブライエンもリズボンも、両方持っていくたぁ欲張りが過ぎるんじゃねえのか?」
アウグストとダントンの間に火花が散る。挟まれたハリーは、隠れ屋敷で交わされた『ダントンが褒美にお前を所望したら惜しみなく与えるとしよう』という冗談が本当になりそうで青くなっていた。
「まぁ、いいや」
「ふぎゃっ!?」
ダントンが手を離し、ハリーは地面に強か打ち付けられた。
「こいつ蹴っ飛ばしていいですか!?」
「責任は取らんぞ」
「…………くそぅ」
「イスダールの代表に会う前に一旦着替えてもらう。船の話はそれからだ。なに、一刻も貰おうってワケじゃないさ、文句は言わせないぜ、王子殿下」
「……わかった。案内を頼む」
「よし、馬車回せ!」
「はっ!」
馬車にはアウグストとハリーの他に、当然だがダントンとその騎士も同乗していた。かなり狭い。疲れの酷いアウグストは腰を落ち着けられることに感謝こそあれど文句を言うつもりはなかった。ただ、更に疲れていただろう自分の従者が、アウグスト自身の肩に頭を乗せて寝ているのが他者の前で恥ずかしかった。
部下の教育から考えると、ハリーには最初から礼儀など求めていなかったし、ダントンから絡んできた先程の会話は仕方ないとしよう。また、さしたる休憩も挟まず、活力の指輪の効果が切れた状態で辿り着いたのだ、へたり込むのも座り込むのも許そう。だが、これは余りにも……。
「すまないが、白術士を呼んでもらえないだろうか」
「ああ、それもイスダールの方から出してもらってる。屋敷で術を施してもらえばいい。さすがに知らない町では信用のおける人間を探せなかった」
「助かる」
「……良ければ、そこ、代わろうか?」
「いや、結構だ」
心底羨ましそうなダントンの視線を避け、アウグストはイスダールの町並みに目をやった。こじんまりした、人々の暮らしが感じられる町だ。白い漆喰の壁と黒い木材がコントラストを描いており、芸術には疎いアウグストですら筆を執りたくなるような趣があった。
イスダールはテオドールの領地の中心的役割を果たす重要な町だ。長が置かれている屋敷は立派で、半ば城と言って良い程の堅固さを誇り、貴重な真水の湧く井戸もある。夏が来る毎に、何度もここへ足を運んだものだ。
屋敷に着いてすぐにハリーを起こし、通された部屋で湯を使う。どうやって都合したのかアウグストのいつも身に付けているような黒の服が一式用意してあった。
現在このイスダールを守る長官に会う前に、アウグストはダントンの居る客室に寄った。そういう予定だったからだ。ダントンの騎士が中に声を掛けてから扉を開く。入ると、ダントンが騎士服に身を包んだハリーを壁際に追い詰めているところだった。
「……何をしている」
「アウグスト様ぁ!」
「お? 俺はただ指輪を外してやろうと思ってな」
「そうか。それで船についてだが、イスダールの長には全て伝えてあるのか」
「ああ。異変を感じ取って救助を差し向けてくれたのはイスダールだからな。俺は海に跳び込んだまでは良かったが、そこまで泳ぎは上手くないんだ」
「だろうな」
ノレッジの領地は山岳部にあり、ダントンは生まれも育ちもそこであるので当然というか泳げない。代わりにヒョロヒョロした見た目からは想像出来ないほどタフだ。アウグストはとうとう角にまで追い詰められて身動き出来ないハリーの姿を見ないように体の向きを変えた。
「助けてくださいよっ!?」
「イスダールが見えるまでは何事もなかったんだ。だが、船が悪かった。ガイエンのを借り受けていたから、内部に隠し部屋があると気付けなくてな……武器を持って向かって来やがったんだ」
「それで膠着状態か。死者は?」
「怪我人が出たが死者はない。が、そろそろ出ていたっておかしくはないな」
「港からどのくらい距離がある?」
「さてな、イスダールの話しによるとおよそ六千フィートはあるそうだが。俺は詳しくないしな」
「ふむ」
アウグストは腕を組み、軽く曲げた右の人差し指を顎に付けた。港から船を出すと、船中の様相によっては人質を取られたり反撃を受けたりするだろう。それは面倒だ。相手には後がない、死に物狂いに違いない。
「すぐに仕掛ける。人と道具を集めてくれ」
「ほう? ま、確かに今朝、伝書鳥を飛ばしたときから、お前ならやれるとは思ってたが……そんなに早くか? じきに夜だぞ?」
「安心しろ、夜は私の味方だ……」
アウグストはニヤリと笑うと、ダントンに詳しく作戦を語り始めた。それを受けてさらに人の悪そうな笑顔を作ったダントンは、早速準備に向かった。
「………たすかったぁ」
「しかし、その格好はどうした」
「服がこれしかなくて。ノレッジ家の持つ騎士団の紋章が入ってるんですよね……」
「似合うぞ」
「やめてくださいよ……」
項垂れるハリーの肩を叩き、アウグストはイスダールの長に面会すべく、呼びに来る人間を待った。




