囲いの中のお姫さま 2
鏡に映った自分を見て、わたしは思わず息を飲んだ。流れる黒髪をゆるやかに纏め、紅玉の装飾品と真珠色のドレスで飾り立てられた淑女がこちらを見返していた。
「どう? すごいでしょ~! 喉仏隠す? あ、要らないんだっけ」
「はい、すごく、綺麗です」
「良かった! 胸の詰め物追加する?」
「是非とも。鎧が着られず急所の守りがいささか不安でしたので」
「ルビーってやっぱり面白いね~」
アデレードさんの声を背後で聞きながら、わたしは黒髪の鬘に触れた。さらさらと滑る絹糸のような流れはまるで………。
脳裏に浮かぶのは、わたしに向けられた熱い眼差し……。
「ア…………さ、ま……」
漏れ出そうな嗚咽を殺して、掬い取った黒髪に口づけた。あの方の名を声に出してしまえば、きっと止まらなくなってしまうから。
「なぁに? 何か言った?」
「いいえ。……いいえ」
「それにしても…良いわぁ。ね、お仕事辞めてウチで働かない?」
「え?」
「トマスに用事ってことは、危ないお仕事してるんでしょ? 勿体無いよ~。あんたなら、キス一つで旦那方を夢中にさせられるよ。ね、ね、キスしたことある?」
「………あります。ですが、わたしの全てはあるお方に捧げてしまったので、ここでは働けません」
ごめんなさい、と頭を下げるとアデレードさんは笑って手を振った。
「やだやだ、ごめんよ~。そんな顔させるために振った話しじゃなかったんだよ~。好きなんだね、その人のこと」
「はい……。気付くのが遅すぎたくらいですが、ようやく、お慕いしていると言葉に出来るようになりました」
「それは……良かった、の? ねぇ、大丈夫?」
「はい……、はい。ごめんなさい……」
熱いものが頬を落ちていくのを、もう、止められなかった。
「わたしなんかが、触れて良い方では、ないので……。ちゃんとお別れできるか、不安で……っ」
「よしよし。大丈夫だよ。あんたの心の特別な部屋にその人を閉じ込めてさ、鍵をしとくんだよ。そしたら、きらきらした思い出だけ取っておけるからさ……。辛いのは今だけだよ。大丈夫……」
思い切り泣いたらすっきりした。
アデレードさんはずっと傍らで慰めてくれていた。感謝の言葉を口にすると、照れたように笑って背中をバンバンと叩いてきたのでちょっと痛かった。
その頃になると丸一日食事をしていなかったことを胃袋が主張し始めて、わたしとアデレードさんは一緒に早めの昼食を摂ることにした。ここで働くお嬢さん方の何人かも起き出してきて、賑やかな食事になった。
「イザヨイがトマスを探してるから、しばらくしたら会えるからね。心配しなさんな~」
「はい!」
◇◆◇
イザヨイはすぐに帰ってきたが、その口から告げられたのは不安になるような内容だった。
「海上の船を鎮圧するだなんて……! わ、わたしも……」
「ダメだって! すわれ!」
「…………」
「そんな顔してもダメだ。待ってろって命令だ。オレはトマスさんが来るまでアンタを任されてるんだからな」
「しかし、無茶です」
「アンタは殿下を知らないから……」
「え?」
「イヤ、別に。それよかアンタは最上階から出るなよ。最初に居た部屋で待っててくれィ」
「それは……」
「ちょっとイザヨイ!」
「いででええ!」
シン族の若者の言葉にわたしが反論しようとしたのと、アデレードさんがイザヨイの耳を引っ張ったのとはほぼ同時だった。跳び上がったイザヨイは涙をためて耳を擦っている。
「ニンゲンよりでりけえとなんだよ!! やめてくれィ!」
「おだまり! 何でまたあんな囲い部屋に閉じ込めようとすんだい!」
「だって、万が一逃がしたら殺されちまうよ。オレが」
「あんたがだろ! ハン!」
「ヒデェ……」
囲い部屋……。
しっくりくる名称だと思う。
なぜなら、あの部屋は内側からは開かないようになっていたからだ。引き戸であるのに取っ手もひっかかりもない。窓も半分しか開かず、頭すら入らないようになっている。身を隠せそうな大きな調度品の類いはなく、殺風景とは言わないが部屋の大きさは然程でないのに広々とした印象を与える。
閉じ込めて、どうしようと言うのか。
(まさか……。まさか、私が魔女だから……?)
背筋にビリビリと走るものがあった。どうしよう、逃げたい……。しかし、アウグスト様にお伝えしないといけないのだ。ふと、セリーヌ姫の吊り上がった唇が思い起こされた。
わたしの死か、ギュゼル様の死か……。
選ぶものは決まりきっている。わたしの死だ。
「ルビー、顔が青いよ? 大丈夫?」
「は、い、ええ、もちろん大丈夫です」
「……そう?」
わたしはきつく握りこんでいた右手を離して笑顔を作った。ただでさえお世話になりっぱなしなのに、アデレードさんに余計な心配をかけてはいけない。きっと彼女は知り合いの死に責任を感じてしまうタイプだ。
「ま、心配しなくたってどうしても嫌ならアタシが逃がしたげるよ。イザヨイは知らないね」
「ヤメテェ!?」
「トマス殿はいつ、こちらへ?」
「あ……。サイバンがあるからそっち出るって。それから迎えに来るって言ってた」
「迎え……」
「なんだ~、ルビーもう帰っちゃうのかい? もっと居てくれて良いのにさ~」
「オレを殴るなヨ」
迎えに来る、ということは……。処刑されるわけではない? いや、そうとは限らない。喜ぶにはまだ早い。
「で、裁判ってどんな?」
「知らないね」
「役に立たないね~」
「…………」
イザヨイはピョンと跳ねて部屋の隅に行くと、こちらに背を向けて座り込んでしまった。
「あら、拗ねてる」
「アデレードさん……」
「まあいいさ。放っとこう。トマスが来るまで寛いでなよ」
「はい、ありがとうございます」
わたしはアデレードさんの優しい言葉に、甘えることにした。
もしイザヨイが、出掛ける前にルベリアの女装を見てしまったら…。
「アンタ、なんか放っとけない感じがする…。オレが、守ってやるよ!」
とか口説いたりして、殿下にバレて、シバかれそう。ちなみに一途なルベリアさんには即フラレるもよう。




