囲いの中のお姫さま 1
ちょっとだけ眠るつもりだったが、気が付いたら既に日は高く、総レースの薄いカーテンが秋風に揺れていた。わたしは肌寒さを感じ、シーツを掻き寄せる。
「ここは……?」
確か娼館までやって来て、シン族の若者(イザヨイだったか)にトマス殿への伝言を託したのだった。トマス殿はもういらっしゃっただろうか。アウグスト殿下は……?
アウグスト殿下と別れたときのことを思い出すと、魔女だとバレてしまったなぁと暗い気持ちになる。
“魔女”とは、ひとの心を操り、強大な魔力を溜め込むことが出来る女を指す。女であるから黒術の使い手であることが多く、その魔術を悪用すれば大変なことになる。
なぜなら、黒術が与えるものは鎮痛や静心といった恩恵だけではなく、狂気、錯乱、心臓の停止、眠り、盲目など、わたしが知るだけでもよろしくない効果が多い。しかもこの手の魔女は男の心を好きに出来るので権力と結び付いたら大変だ。悪しき魔女を見付けたらすぐにでも処刑せよと聖典にもある。
……わたしは魔女であるが、悪い魔女ではなかった。九年前に事故で西部大森林の大半を焼いてしまい、多くの動物を、また少なくない死者を出してしまったが、それはわたしの意志ではなく、咎められなかった。
だから、この力を、使わないようにと心に誓って生きてきた。
使ってはいけないと封印してきたのだ。
しかし、それをセリーヌ姫に対して使ってしまった……。許されることではない。だからこそ魔女として追われた。自業自得だ。
溜め息が出てしまう。
シーツにくるまり、起き上がるべきか寝ておこうかと迷っていると、ゴンゴンとドアが叩かれた。そして女性の声が外側から矢継ぎ早に飛んできた。
「起きたかしら~。よく寝てたわね、疲れてたんでしょう」
「あ、あの……」
「ああ、アタシの名はアデレードよ。ここの女主人なの。お腹空いてるわよね?」
「はい……」
「じゃあ、お風呂とご飯、どっちにする?」
「お、お風呂にしたいです」
「なら出ておいで、ルビーちゃん」
「はい?」
なぜにルビーかと問えば、「ルベリアって長いし言いにくいのよね~。アタシ気が短くってさ~」と癖の強い黒髪を揺らしてアデレードさんは笑った。四十過ぎくらいの派手な美人で、その体はメリハリが効いていて年を感じさせない溌剌さがある。
静かな館内を連れられて歩き、階段を降りて地下へやって来た。魔法石が照らす廊下は明るく、石壁であることも地下であることも余り気にならない、のだろう。わたし以外には。
私にとってはむしろ、牢での出来事を思い出しそうな光景だった。その不安を紛らわせるために、わたしは積極的にアデレードさんに話しかけた。
「地下にお風呂が、あるんですね」
「洗い流すのに、下水に近い方が便利だもんね~」
「皆が利用するのですか?」
「主にウチの娘たちかな。それと清潔好きなお客さまね~。普通はお湯で体を拭くだけよ」
「そうでしょうね」
「ここよ」と通された部屋は一面に紅い絨毯が敷き詰められており、煌びやかな装飾品と過ごしやすそうな寝椅子が設けられていた。……アウグスト様に似合いそうな豪華な部屋だ。
しかし、お風呂はどこにあるのだろう?
わたしが首を傾げていると、部屋の奥からアデレードさんの呼ぶ声がした。
「さあ、こっちよ~、ルビ〜」
そっちにはまだ扉があり、そこを開けるとタイル張りの空間が、そして中央には……大鍋? いや釜? がひとつ。ひとを三人は余裕で煮立てられそうな、物騒なものが半ば床に埋まるようにして鎮座していた……。
「中、見てごらんよ」
「し、しかし……!」
湯気がすごい……! まさか、既に茹でる準備が出来ている!?
二段構えの踏み台に乗って釜を覗き込むと、釜の底の真ん中には網が敷いてあり、そこだけへこんでいるのが分かる。中には卵大の紅い瑪瑙のような……これは、まさか魔法石?
「こんな大きな魔法石が、……十五も?」
「そうそう。水を温める石だとかってアウグスト殿下が自慢気に見せびらかすもんだからさ、アタシも欲しくなっちゃって。殿下に譲ってもらったんだよ~。
もうね~、一つ金貨五百よ~。大奮発よ! トマスからお金ふんだくって買ってやったわ~」
「一つ、金貨で五百……」
「そうだよ~。王都でもウチだけなの! お客は断っても来るくらい! だからウチの娘たちは本当に一流の客しか取らなくても良いんだよ~。それも気が向いたら、相手してあげることもあるかな、ってもんよ」
「……?」
普通の客も居ましたよ、ね……?
一流の客しか店に入れないなら私も入れなかった筈。いや、それよりも魔法石だ。
王都で一人暮らすなら、一月の食費が銀貨にして五枚くらいと言われていて、金貨一枚の価値は銀貨に直すと三十枚……の五百倍? それを、十五個……。頭がくらくらしますね!
「つまり……」
「うん?」
「アウグスト様はとてもすごいんですね」
「よく分かんないけどそうなんじゃない? ルビーは面白いねぇ」
「魔法石はいったいどこから手に入れたんでしょうか。もしかして大陸の遺跡でしょうか」
「まさか。これはノームが作ったんだってさ。アウグスト殿下にしか交易出来ない種族だとか」
「ノーム! 素晴らしいです! 物語によれば魔法を用いて武具や装飾品を作る種族です。氷の魔女はノームを誘惑して、優れた装飾品と引き換えになら私を好きにして良いと言ったそうですよ」
「あ~、殿下なら似合いそうな台詞だわね」
「そんなことより」と、アデレードさんがわたしの肩に手を置いて笑った。
「お風呂に、この浴槽に入るよ」
「えっ? お湯を浴びるのでは?」
「浴びて全身洗ってからこの中でゆっくりすると気持ち良いんだよ~」
「へっ!? や、怖い! 怖いです!」
「大丈夫~。全身ぺっかぺかにしてあげるからね~」
「ひ、一人で出来ますからぁ……」
「お姉さんに任せなさいな~。ほら、脱いだ脱いだ」
「いいです! ひ~~~!?」
生まれて初めて入る、釜にめいっぱいのお湯は、すごく怖かったのだった……。
川や滝での水練とはまた違って、首だけ出して漬かるのはいつ鼻や口に流れ込むかという恐怖と隣り合わせで、まるで滝壺か海を切り取ったみたいな……。お、大きなお風呂怖い……。
この国のお風呂は、バスタブで半身浴が基本です。桶にお湯を入れて、布で拭くのが庶民的なやり方ですね。




