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魔王子は女騎士の腕の中で微睡む  作者: 小織 舞(こおり まい)
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コルネリウス

 国王コルネリウスは泣きじゃくる愛娘を慰める(すべ)を持たなかった。意のままにならぬ体を椅子に深く沈め、膝に縋る娘の背を撫でる。



 わずか十の子にはいささか刺激が強かったようだとは理解出来るのだが、何と言えば良いものやら……。コルネリウス自身の子ども時代を思い浮かべてみたところで、九つのコルネリウスに魔物をけしかけてきた兄や、侍女を虐めぬいていた生母、コルネリウスの大切にしていた猫を焼き殺した父王のろくでもなさしか思い出せない。ちなみに成人した年に全員を手にかけたのも、ろくでもない思い出である。



「誰か……、オーリーヌをここへ呼べ」


「はっ!」



 近衛(このえ)の一人が部屋を出ていった。

 コルネリウスの命令に、ギュゼルが顔を上げる。その瞳に戸惑いを認めて、コルネリウスは苦笑した。



(オーリーヌによく似ている……)



 城の中の空気に倦んで、何もかも嫌になっていた頃に見つけた美しい娘、それがオーリーヌだった。男爵の娘で、城に奉公に出ていたのだ。彼女はキンバリー伯爵の婚約者でもあった。花嫁修業の一環だったのではないだろうか。確かめたことがないし今となっては分からないことだ。



 優しい声と穏やかな空気に魅了された。触れれば逃げる慎ましやかな乙女は、その翠玉(エメラルド)の瞳に戸惑いと歓びを映していた。愛を初めて囁いたとき、オーリーヌは逃げるのをやめ、コルネリウスの胸の中に収まった。



 手順を無視して愛を交わした……。

 ただの妾として表に出すつもりは無かったし、キンバリーに渡すつもりも無かった。妹のクリスタニアに頼んで養女にしてもらい、四番目の妃にと思っていたのだ。



 しかし、間に合わなかった。クリスタニアとその婿のダヴェンドリに打診している最中に、オーリーヌの胎に子が居ることが分かった。悪いことに、最初にそのことに気付いたのはオーリーヌの生家であった。



 彼女は戻って来なかった。



 誰の子かという話になったとき、オーリーヌは(かたく)なにその父親が誰であるかを言おうとしなかった。おかげでコルネリウスは出産に間に合わないかと思った。



 ようやく事情を掴んだコルネリウスは、「オーリーヌの赤ん坊は私の子だ」と宣言し、産まれたギュゼルを姫として認めさせた。強欲で嫉妬深い(つま)たち、不快感を隠しもしない娘たち、嘲笑う息子たち……。



(オーリーヌとギュゼルを離れ屋敷に閉じ込めて、不自由な暮らしをさせてしまったのは、私に力が足りなかったせいだ。会うことすら出来なくても、二人の存在が私に生きる活力を与えてくれた)



「泣くな、ギュゼル……。じきにそなたの母が来る。そなたの涙を見るのは辛い」


「お父様……」



 コルネリウスはギュゼルが成人するまでは政治に関わらせるつもりは一切なかった。キンバリー伯爵に預ければ悪いようにはされないだろうと、婚約の話だけは詰めていたのだが……、ここにきて情勢が動き過ぎた。ギュゼルには、もう後戻りさせられない。



「国王陛下、王太子殿下がお見えでございますが、いかが致しましょう」


「通せ」


「はっ!」



 近衛がコルネリウスに囁いたのはテオドールの来訪だった。

 もうすぐオーリーヌが来るというのに、二人が顔を合わせてオーリーヌが嫌な思いをしないかと心配になる。



 さらりと衣擦れの音をさせつつ現れた息子は、黒衣に身を包んでいた。作り笑顔がなおさら不気味に思える。



「父上、お加減はいかがでしょうか。ギュゼルもここだと聞いて、僕も混ぜてもらいに来ましたよ」


「……テオドール」


「はい?」


「用があるなら手短に話せ」



 ギュゼルの震えを感じ取り、コルネリウスはつい厳しい声を出してしまった。裁判を中断してすぐに知らされたシャイロック伯爵の自害の件もある。コルネリウスはテオドールをギュゼルに近づけたくなかったのだ。



 テオドールは口を開き、何も言わずに閉じた。そして無邪気そうに微笑んだ。



「ギュゼルと二人で話をしたいのですが、よろしいでしょうか? 僕たちの共通の友人について、彼女に伝えなければならないことがあるんです」


「なんだと……」


「ねぇ、ギュゼル、僕と話そう?」



 テオドールの差し出す手に、金の鎖が巻き付いている。ギュゼルはその装飾品に見覚えがあった。



 すっくと立ち上がる姫を留めようとする男と誘い出す男。

 彼らの胸の裡では、これはギュゼルに対する支配力の拮抗であった。



 父を選ぶか、兄を選ぶか。それによりギュゼルがどちらの持ち物かはっきり分かると……。



「ギュゼル……」


「さあ、おいでギュゼル」



 ギュゼルは静かに父親の下を離れ、しかし兄の手も取らなかった。



「お父様、少しの間席を外します」


「あ、ああ……。分かった」


「では父上、失礼致します」





◇◆◇





 ギュゼルを心苦しい思いで見送り、コルネリウスは嘆息した。額に手をやり、こめかみを薬指でさする。しかし憂鬱は治まらず、頭を振った。息子たちはねじくれて育ってしまった。コルネリウスには、テオドールが何を考えているのか全く読めないのだ。



「国王陛下、三の姫様のご生母がいらっしゃいました」


「おお、おお……。オーリーヌ、近くへ寄れ……」

「国王陛下……」



 オーリーヌは淡い銀青の月光のようなドレスを身に纏っていた。優雅に一礼し、困惑の微笑みを浮かべて立ち尽くしていた。



「どうした。誰もここにはおらぬ。さあ、近くへ」

「ああ……、コール……」



 コルネリウスが手を差し伸べると、オーリーヌは彼の愛称を呟きながらその胸に取り縋った。



「もう、二度と貴方に触れることはないと……そう思っておりました」


「私もだ。オーリーヌ、私の宝よ」


「これで、いつ死んでも後悔はありません」


「私より先には死ぬな。私を送ってからにしなさい。待っているから……」

「陛下……」


 愛の(しずく)がオーリーヌの頬を滑り落ちた。

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